ギルドは依頼を受けつけない⑫
アイアの目の前には重厚な扉があった。それを数回ノックする。
「ギルドマスター。アイアです」
「おう」
返事を得てからアイアは扉を開けた。
午前の明るい光が差し込む、応接室と執務室を兼ねたギルドマスターの部屋は広い。応接用のテーブルはともかく、執務用の机や壁の棚には書類が無造作に積まれている。
「おはようございます。ギルドマスター」
雑然とした部屋の中、ギルドマスターたるグレオスは笑顔でアイアを迎えた。
「おはようさん、アイア。調子はどうだ? 今日も休まなくて大丈夫か?」
「怪我をしたわけではありませんから平気です。むしろ、昨日は一日お休みを頂いてしまってすみませんでした」
グレオスに向けてアイアが頭を下げる。サイドに寄せて結われた栗毛がサラサラと流れ落ちた。
エリス村から帰ってきたアイアとアスクを、グレオスはいの一番に出迎えた。
受付嬢らにまぎれて案内していた窓口から駆けつけると、グレオスはアイアを見て目を剥いて──アスクを殴り飛ばしたのだ。
「俺は“無事に”アイアを連れて帰れと言ったはずだ。どういうことだアスク、ああ?」
「ギルドマスター落ち着いてください違うんです!」
アイアは慌ててアスクとグレオスの間に入り、髪の一部が失われた経緯を説明した。
そうしてグレオスはアイアの説明を聞き終えると、アスクに二発目の鉄拳を落とした。グシャリと嫌な音がホールに響く。
「アイアは助けられたと言っても、てめえのしくじりが招いた事に変わりねえぞ。おい、分かってんのか?」
「ギ、ギルドマスター……サブマスター気絶してます……」
「水引っかけて起こせ。起きたら報告上げさせろ。──アイアはもう帰っていいぞ。何かと疲れたろう、明日は一日休むといい」
そうして、アイアは一日の休みを経て仕事へ復帰する運びとなったのだった。
「何、アイアが謝ることはないぞ。悪いのはしくじったアスクだからな」
グレオスが応接用のソファに座る。ほれ、と正面のソファを示したので、その勧めに甘えてアイアもソファに着いた。
「髪型を変えたのか。よく似合ってるぞ」
「ありがとうございます」
笑って返したアイアだが、じつはこの髪型を気に入っていない。子供っぽく見えるからだ。とはいえ、一部分だけ短くなった髪をごまかすにはこれしかなかったのだ。
「さて……一昨日は調査ご苦労さん。色々と大変だったな」
「いえ、そもそもは私が我儘を言ったせいですから。でも、私の我儘をギルドマスターが許してくださったおかげで、真実を知ることができました。改めてありがとうございます、ギルドマスター」
「そうか、そうか」
清々しいアイアの表情にグレオスは安堵する。
「納得できたようで何よりだ。アスクから報告は聞いたが、アイアにとっちゃショックな結果だったろう? 落ち込まないかと心配してたんだが、大丈夫そうだな」
「多少は落ち込みましたけどね。でも、事実は事実ですから。……サブマスターは正しかったです」
アイアは膝の上の手を握りしめた。
「……だから、余計に分からないんです。どうしてサブマスターはスキルのことを言わないんでしょうか」
「ん?」
訝しげにグレオスが身を乗り出す。
「アイア。お前さん、アスクのスキルが何なのか知ってるのか?」
「直感視、ですよね。……この間、ギルドマスターがお土産に買ってくださったお菓子あったじゃないですか」
「菓子? ああ、食当たりで騒ぎになったやつか。いや、あれはすまなかった。ギルドのみんなは当たらなくて良かったよ」
「頂く前にサブマスターに取り上げられたので。結果的には助けられたことになります」
「そうだな。あいつのスキルがなけりゃ、今頃大変なことになってたよ」
やっぱり、とアイアは心の中で呟いた。
アスクは食当たりになることを直感で察知したから、誰かが口にする前に菓子を回収したのだ。
「ギルドマスター。少し前に、ゴブリンの討伐依頼を紅級の冒険者の方に斡旋して揉めた時のこと、覚えてますか?」
「紅級の……大斧のチャドのパーティだったか。覚えてるぞ、最初はサラマンダー討伐を斡旋していたのをアスクが止めさせたろ」
「その通りです。サラマンダー討伐について紅級のチャドさんは決して力不足ではありませんでした。ゴブリンの討伐はもっと低級の冒険者の方に渡すべきなのに、あの時のサブマスターはあえてチャドさんに斡旋しました。どうしてなのかギルドマスターはご存じですか?」
「なんだ、スキルのことは教えたくせにそれは言わなかったのか。──サラマンダー討伐が失敗すると分かったからだ。それもチャドが死ぬとくれば、斡旋するわけにはいかんよ。とはいえ、代わりにゴブリン討伐を押しつけたのはまずかったな……チャドの実力を軽んじているようにしか思われないというのに」
「…………そう、だったんですか……」
答えながらアイアは背筋にうすら寒いものを覚えていた。そこまでの確度となると、やはりアスクのスキルは直感という範疇に収められない。
一方、グレオスは感慨深そうにアイアを見つめている。
「しかし、本当にアスクがスキルを教えたのか……信じられんなあ」
「髪を切ったことを許す代わりに教えていただきました。かなり渋ってましたけど、さすがに罪悪感はあったみたいです」
「なるほどな。アイアもそんな条件でよく許したな」
「言い出したのは私のほうですから。それに、サブマスターにとっては事重大なご様子ですし、髪のことを盾にして言わせたようなものです」
「ああ、そうだな……。あいつはさんざん自分のスキルに振り回されて、誤解されてきたからな。まさか人に言うとはなあ……」
「……それはサブマスターの自業自得もあるんじゃないでしょうか」
棘のある言い方になってしまったが、アイアは続けた。
「誤解されてきたというのなら理解してもらう努力をするべきなのに、スキルを隠して上から目線で命令するだけ。いくらギルドマスターがとりなしたところで、肝心のサブマスターが誤解を解こうともしていないんですから当然かと。するべき努力を投げ出している人を、わざわざ庇い立てなさること無いと思います」
「──頑なにスキルを隠すアスクも厄介だが、全部が全部自業自得だと切り捨てるのも違うんじゃないかね」
グレオスが苦笑する。
「アスクにもそれなりに事情があるんだ。そこは汲んでやってくれないか?」
「それは想像できます。ですが、誰だって何かしら事情を抱えているんですから、あの人だけが例外にはなりません」
「アイアは厳しいなあ」
グレオスはソファの背もたれへ身を預けた。
「……俺がアスクと会ったのは、ドラゴンと戦う前だ。仲間とダンジョンに潜る準備をしてた時でな」
「そうなんですか」
冒険者らや同じギルド職員達の間ではグレオスの冒険譚はよく話題に上る。グレオスも現役時代の出来事を世間話のように語ってくれるが、当時のアスクについて語るのは滅多にないことだ。無論、アスク本人が自身の過去について口にすることは決してない。
興味をそそられたアイアは耳をすませて続きを待つ。
「その頃のアスクは単独で活動していたよ。その前はパーティを組んでいたが、一所に長続きせず色んなパーティを渡り歩いていたらしい」
「あの性格なら当然なのでは? むしろ短期間でもサブマスターと組んでいた方々がいたことに驚きです」
「昔のあいつは今ほど捻くれちゃいなかったぞ。──スキルの特性を誤解というか、勘違いされた結果のあれだ。おかげで単独としてやっていく他なかったんだよ、アスクは」
「スキルの特性……?」
きょとんとするアイアに、グレオスは首肯する。
「そうだ。アスクのスキル、直感視はもはや未来視のようだろう? チャドの件のように、本人死亡によってサラマンダーの討伐が失敗する、とまで分かるレベルだ。だが、直感視と未来視は完全な別物だ。そこを混同しちゃならん」
「はあ……だったら、そのふたつはどう違うんですか?」
すると、グレオスはたちまち顔をしかめて唸りを上げた。
「それがややこしいんだよな。俺もなんとなくでしか分かっていないんだが、うまく説明できたもんか……」
片手で頭をかきながらグレオスは切り出す。
「アスクは『サラマンダーの討伐中にチャドが死ぬ』ことを直感で分かっただろ? それが未来視だと……そうだな、『チャドがサラマンダーに喰われて死ぬ』と詳細まで分かるはずだ」
「んん……?」
分かるような、分からないような。アイアが首をひねっていると、グレオスがさらに言葉を足す。
「つまりだ、未来視はサラマンダー討伐に出たチャドが『崖から落ちて死ぬ』とか『別の魔物にかち合って死ぬ』だとか、そういう状況まで予知できるんだ。だが、直感視にそこまでの精度はない。単に『チャドが死ぬ』ということしか分からない…………分かるか?」
「ええと……なんとなく……?」
「説明が下手なのは許してくれ。他に例えると……ああ、アスクがとあるパーティに居た時の出来事だ。魔物討伐の依頼を請けようとしたが、そのパーティメンバーの実力や経験からすると成功できるか五分五分だったらしい。だが、アスクは達成できると直感したのでその討伐依頼を請けた」
「では、討伐は成功したんですよね?」
「そうだ。依頼自体は達成できた。引き換えにメンバーの一人は片腕を失って、もう一人は目を潰した」
アイアは息を飲んだ。
「パーティのメンバーはアスクを責めていたよ。直感視というスキルで依頼の成否は視えたくせに、どうしてここまでの被害が出ることが分からなかったのかと。当たり前だ。アスクが持つスキルは『直感視』であって『未来視』じゃない。似て非なる、絶対的に異なるスキルだ。……分かるか?」
答えることができず、アイアは黙るしかなった。
そんなアイアにグレオスは淡々と告げる。
「頑張って理解を得ようとしたところで、周りが正しく理解できるとは限らない。努力しても必ず報われるものでもないんだ。……お前さんはそれを知っているはずだ」
「…………」
返事をするのに躊躇し、アイアはうつむいてしまった。
けれど、グレオスは気分を害した様子もない。穏やかな表情だ。
「アスクも、あいつは身を以ってさんざん味わってきたんだよ。それだけでも分かってやってくれ」