ギルドは依頼を受けつけない⑪
野原には穏やかな午後の日差しが降りそそいでいた。日に照らされた緑が輝いている。
そんなのどかな風景を、馬車に揺られながらアイアはぼんやりと眺めていた。
昨日ひたすら歩いてきた道のりだ。とうに見覚えのある景色なのに、馬車の上からでは記憶と違って見えてしまう。
「……、……おい」
アイアは前を向いた。
正面にはアスクが座っている。いつもの不機嫌そうな表情だ。
そういえば、さっきからアスクの声がしていたような気がする。
「すみません、気づかなくって。考え事してて……」
「そうか」
嫌味のひとつやふたつ言われるだろうとアイアは身構える。しかし、アスクはそれきり黙ってしまった。
ゴトゴトと車輪が回り、ガタガタと車体が揺れる。
マクスキー卿が馬車を出してくれたおかげで帰路は楽だが、ギルドまであと一時間は掛かるだろう。それまでアスクと無言で過ごすというのはいささか辛い。
やがて、痺れを切らしたアイアが尋ねる。
「……あの、何か仰りたいことでもあったのでは?」
無視を決めこまれるかと思ったが、間を置いたのちアスクはぽつりと切り出した。
「…………髪」
「……かみ?」
「緊急事態とはいえ、すまなかった」
予想外の言葉にアイアはしばし呆けてしまった。
髪、と胸の内で繰り返し自分の髪に指を通す。腰まで伸びている栗毛はしかし、肩口の所で急に軽くなった──そこから先はバッサリと断たれている。一部分だけ不自然に短い髪を見て、アイアはようやく思い出した。
昨夜、興奮するケティから引き離すためにアスクは躊躇なくアイアの髪を切ったのだ。
おかげで領主館へ戻ってもアイアは子爵への報告の場から退けられてしまった。それから一夜明けた今日、屋敷を発つまで子爵夫人やメイドに憐れまれ世話を焼かれるという、気の休まらない時間を過ごしたのである。
「平気です。これくらいなら髪型を工夫すれば……」
言いながら、アイアの頭にひらめくものがよぎった。居住まいを正しアスクへ向き直る。
急に雰囲気を変えたアイアにアスクも訝しげだ。
「──やむを得ない状況だったのは理解しています。ですが、やはり女の髪を切るというのは謝罪ひとつで済ませられる話ではありません」
「……ああ」
「だから、教えてください。どうして犯人がケイルさんだと分かったのか。血濡れの蜂が殺しをしていないと確信できたのは何故なのか、どうかご説明を」
「…………村人達の話を聞いただろ」
顔つき険しいアスクが答える。その口調はうんざりとしていた。
「血濡れの蜂とケイルは幼馴染みで今でもつるんでた。子分だなんだと周りは言っていたが、そういった見方を捨てて事実だけを考えれば、おのずとあいつらの本当の関係性に辿り着けるはずだ」
「サブマスターは最初から血濡れの蜂が殺人犯ではないと断言されてました。子爵様から事件の話を持ち込まれた時点で、です。ケイルさんについても、顔と名前を見ただけでお医者様を殺した犯人だと断定されたじゃありませんか。その上で調査を始めた──証拠や証言を集めてから判断すべきなのにまるきり順序が逆です」
「…………」
アイアはさらにたたみ掛ける。
「血濡れの蜂のようなゴロツキが殺人をしていないと確信できる材料は、ケイルさんの自白以外ありません。ケイルさんにしても、ギルドへやって来た時に血濡れの蜂との接点を見出せる要素は無かったと記憶しています。どう考えても二人が共謀していたと見抜ける余地はありませんでした。ですが……サブマスターは見抜けたんですよね。何かしらのスキルによって」
一瞬、アスクの表情に動揺が走った。
血濡れの蜂が自身の悪名高さを利用してこその計画であった。子爵や村人達も彼が犯人だとすっかり信じて、ケイルをまったく疑っていなかった。
アイアもその一人だ。
「……どうしてケイルさんが捕まらなければならなかったのかと、思ってしまうんです」
「はあ?」とアスクが声を上げる。
「どうしても何も、奴は医者を殺した。人殺しを見逃す理由なんてあるか」
「それは分かっています。罪を犯したからには罰を受けるべきですし、ギルドのためにも不正は見過ごせません。そして、その結果として……ケティちゃん達から家族を奪った」
アスクの指示通り呼ばれた兵士によって、ビーヅとケイルは捕らえられた。罪を認めた二人はおとなしく従っていたものの、ケティは兄達を連れ去られまいと兵に激しく食らいついていた。
……少女の泣き叫ぶ声は今でもアイアの耳に残っている。
「事件の真相を暴いたサブマスターは正しいことをしたと言えるでしょう。でも、あんな風に結果だけを突きつけられて……家族を奪われたケティちゃんの姿を見ては、本当に正しかったのだろうかと迷ってしまうんです」
アイアとアスクの視線が合い交わされる。
「私は、サブマスターのおこないが正しかった、という根拠が欲しいんです。どうして真実を見抜けたのか。どうして正しくいられたのか。その理由を知りたい──知って、あなたを信じたいんです」
そう締めくくるとアイアは唇を引き結んだ。
アスクは完全に黙りこみ、アイアの視線から逃れるように顔を逸らした。眉間には深い皺を作っている。
ゴトゴトと車輪が回り、ガタガタと車体が揺れる。窓から見えるのどかな風景はまだまだ続く。
「……別に、信じてもらおうなんて思わない」
結構な時間が経ってから、不意にアスクが漏らした。ボソリとした呟きの後、深い呼吸をひとつ置くと、腹を決めたように沈黙を破った。
「……直感視」
「直感……し?」
「直感視。……それが俺のスキルだ」
はあ、とアイアは気の抜けた返事をした。
「えーと……それって、一般的な直感と何か違うんですか?」
「…………通常の直感よりも確度が高い」
「はあ……」
直感に確度も何もあるのだろうか。いまいちピンときていないアイアの反応は、アスクにとって想定内のようだった。
「例えば、ダンジョンに入ったとする。左右ふた手に分かれた道のどちらを進むか選ぶ場合、左の道からは嫌な予感がするから避ける──これは直感スキルだ」
何となく理解できる。アイアは頷いた。
「直感視だと、左の道の先には落とし穴のトラップがある、と分かる」
「……はい?」
「予感の中身を具体的に感じとれる、ってことだ」
「いや……いや、それは直感ではないですよ! もはや未来視じゃないですか!」
「何日も前に起こった事件のことを子爵様に教えてもらってから犯人を予知しただと? それこそ未来視どころの話じゃない」
「……あ……で、でも、ケイルさんの家で血濡れの蜂と出くわす所を予知したとか……」
「そんなことが出来ていたなら、そもそもお前を同行させなかった。ギルドマスターの命令でもな」
ごもっともだ。軽くなったアイアの髪が揺れる。
「じゃあ……本当に直感で、子爵様から話を聞いただけで血濡れの蜂が犯人ではないと分かったんですね?」
「ああ」
「ケイルさんがギルドへやって来た時、直感で真犯人だということにも気づいたと?」
「ああ」
「……最初から直感スキルを持っていると明かしておけば、突拍子もないことを言っても疑われたりはしないと考えたことなかったんですか?」
「根拠が俺の直感だと聞かされて、お前は簡単に受け入れたのか?」
「無理です」
「そうだろ」
「ただ、言ってくださっていれば私の髪がこんなことにはならなかったかもしれません」
「………………」
ぐうの音も出ないのか、アスクは苦虫を噛み潰したように顔を歪めた。
「恐れ入りますけれど、そもそもがサブマスターの今までの言動に問題がありすぎるので受け入れがたいのであっ、て……」
途中で何かに気づいたのかアイアの語気は尻すぼみになり、言葉が途切れた。つかの間思案した後、おもむろに口を開く。
「…………あの、サブマスター」
「何だ」
「先日ギルドマスターが買ってくれたお菓子、どうして取り上げたんですか?」
「ああ……? ……あれか。まだ根に持ってんのか」
「食べ物の恨みは怖いですよ。それで、どうしてですか?」
「仕事中のんきに菓子なんざ食うとは、お前も偉くなったもんだな」
「あのお菓子を食べた人達は食当たりになったそうですね。街で話題になってました」
アスクの嫌味を無視してアイアはさらに問いを重ねる。
「たまにですけど、サブマスターは受付が混んでいるにもかかわらず奥で作業するよう指示を出しますよね。あれってどうしてですか?」
「……そんなこといちいち覚えてない」
「以前、紅級の冒険者の方には明らかに役不足であろうゴブリン討伐依頼をサブマスターは斡旋なさいました。そのことも覚えていませんか?」
「……忘れた」
「そうですか。サブマスターは他にも色々と不可解な指示を多々なさっています。言われた当時は理不尽に思っていましたが、ひょっとしてそのスキルで何かを察知されていたのではないですか?」
すると、アスクは「妄想たくましいな」と鼻で笑った。
「受付より他に向いてる職があるんじゃないのか?」
「……どうしてそうやってはぐらかすんですか」
アイアは正面のアスクを睨みつける。
「素直にスキルのことを明かせば周りもちゃんと受け止めてくれます。それなのにわざわざ人の気を逆撫でするようなことばかり言って……だからいつまでも嫌われ者のままなんですよ」
「素直? 俺はドゥームのサブマスターを任されたからその役割を果たしているだけだ。お前みたいに冒険野郎共からチヤホヤされるためじゃない」
あまりの言いぐさにアイアの頭がカッと熱くなった。
けれど──口元を歪めたアスクはひどく苦しそうに笑っていた。
ぐっとアイアは言葉を飲み込んだ。そんな表情を見せられては言い返すことも躊躇われてしまう。
話の接ぎ穂を失い、馬車の揺れる音だけが聞こえる。
車窓の向こうの風景はのどかな緑が減っており、ちらほらと建物と人の姿が増えつつある。
馴染みのある街の活気とともに、アイアは胸の内に持ち重りするものを感じていた。