倫
「混乱しているとは思うがね、とりあえず自己紹介から始めようか。私は今浦。君と同じ日本に住んでいた。しかし自分の名前が好きでなくてね。どうか黒服、と呼んでくれるかな。」
黒服は液晶の電源を落とした後、また凛とテーブルを挟んで反対側に座ると、そう言った。両肘を机に立て寄りかかり、口の前で手を組んでいる。
「…鳩見凛です。年齢は17で、高校生です。…でした。凛、と呼んでください。」
凛は相変わらず椅子に縛り付けられている状態で、うつむき加減にこう言った。未だに世界が滅んだとはにわかには信じられない。先程の映像を真と捉えるなら、もうどうしようもないだろう。かといってアレを偽とするにはあまりにも今措かれている状態が謎である。それに、何となく目の前の人が嘘を言っているようには見えない。…いや、そういう宗教なのかもしれない。とりあえず、身動きのとれない以上は話を聞くことしか出来ない。
「では凛。君には知るべきことが山ほどある。順に説明するから静かに聞いてくれると嬉しい。仮に質問があるとしたら後でまとめて聞くから集中して聞いてくれ。」
黒服は胸ポケットから一枚の紙を取り出し拡げた。それには『極限地下掘削計画』と書かれており、約30年間の工事の手順や施工方法などが書かれていた。しかし依頼人の名前とこの工事の目的はどこにも記されていなかった。
「なんですか、これ。」
凜が訊ねる。
「施工計画書と言うものだ。何故作られたか、誰が依頼したか。それはわからないがね。勿論、我々が計画したものではない。数年前にこの資料を偶然発見し、この空間もまた偶然発見されたものだ。」
黒服は淡々と答え、そして淡々と続ける。黒服はスッと立ち上がると凜から見て右側の扉を開けて中に入っていった。外に通じている扉ではなかったようだ。扉は開けっぱなしにしているが、凛の座っている場所からは中の様子は伺い知れない。
「先程私は、この惑星は滅ぼされた、と言ったな。しかしこれは正確な物言いではない。ゆっくりと、時間をかけて滅びゆく。滅びは避けられない。というのが正しいだろう。」
隣の部屋から少しだけ大きくした黒服の声が聞こえる。コポコポと水が沸く音が微かに聞こえる。先述の重低音と混ざって少しだけ心地よく聞こえた。暫くして、錆びと機械油の臭いしかしなかったこの空間に、淡く珈琲の香りが漂い始めた。
「まず謎の光線が宇宙から注がれ、海陸見境なく焼かれた。光線がなぞった陸地は瞬時に焦土と化し、海は蒸発した。それが幾度も行われたのだ。」
ミルクと砂糖はいくつ必要だい?と黒服が訊ねる。凛は動揺して、大丈夫です、と答えた。その間も無く黒服は両手に珈琲の入ったカップを持ってきてテーブルに置いた。片方のカップにはガムシロップとミルクのポーションが一つずつ添えてある。
「とりあえずこれを飲んで落ち着いてくれ。今、拘束を解こう。すまなかった。」
黒服は凛の拘束具の後ろに回り込むとガチャガチャと金具を外し始めた。どうやら慣れているようで、ものの5秒程度で手の拘束を外した。脚の拘束を外しながらまた、黒服が話し始める。
「本来ならもう少し様子を見るべきだろうが、どうやら君は暴れたりしなさそうだし拘束は解かせてもらう。場合によってはこのまま拘束し続けねばならないと思っていたが、私には君を傷付ける意思も趣味もない。平和的に行きたいのが私の考えだ。」
誘拐紛いの方法でここに連れてきてはいるがね、と自嘲しながらも手は止めない。脚の拘束も漸く外されて凛は自由の身となった。この空間から出ることが叶わないことを除けば、ではあるが。
黒服は自分の席に戻ると、覆面を鼻上まで捲り上げ、珈琲を口に含んだ。痩けた頬が凛の印象に残った。香りと苦味を堪能するように少しだけ珈琲を咀嚼してから飲み込み、改めて語り始めた。その口調は先程と比べても妙に威厳を含み、それでも落ち着き払った口調であった。
「さぁ、話の続きだ。これから衝撃的な話をするつもりだから、覚悟して聞いてくれ。」
開きっぱなしの扉から甘い香りが漂ってる気がした。