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フライング

目を覚ました肥河は、己の状況を振り返る。

 確か波に飲み込まれて、何とか耐えようとしたものの息が続かなかった。せめて誰かのそばにと薄眼を開けたとき、深淵のような水底に街が見えた。明かりすら灯っていない静かな街は、寂しげに映っていた。仲間に手を伸ばしたが結局届かず。踠いた後、それからは記憶がない。何かに引っ張られたような感覚がした気がする。

 目を覚ますと、肥河は息苦しさを覚えた。喉を詰まらせており、異物に圧迫されている。肺の中身をすべて吐き出さん勢いでせき込んだが、何も出てくる様子はない。髪は濡れてはいないし、だが肥河の体には雫が纏わりついていた。濡れているように見えるというのに、全く湿った感じはない。矛盾しており頭が理解を拒んでいる。

 喉元の違和感は拭えないが、何も出ないのだから仕方ない。体が錯覚しているだけで、恐らく本当に何もないのだろう。

 肥河は体勢を立て直し、その場に立ち上がった。心地よい風が吹き、雫を薙ぎ払っていく。指先を最後の雫が滑り落ちた。顔を上げれば天は満天の星が輝いて見え、星は肥河の頭上に向けて降り注いでいた。摩訶不思議な体験だが、肥河は一度だけその光景を見たことがある。


「星の降る夜_」


それを見たものは、不幸だかが襲い来ると言われた。酔っ払いの常連に言われたことなどでまかせに過ぎない。そう思いつつも忘れられないのは、心のどこかでは信じているからではないだろうか。

 かつて兄と見た景色は相も変わらず美しい。満点の星空下、辺りには竹が生えており夜露が葉を濡らしている。地面に吸い取られたとしても、その地面は濡れない。まるで夢を見ているようである。ひんやりとした空気で肥河は、肌寒さを覚えた。

 幼い頃、大人になれば天に手が届くと妄想をしていた。兄よりも高い身長を手に入れて、共に横に並び立つ。そんな可愛げのある妄想は、未だ叶わない。兄がいないから。

 今の肥河は手を伸ばした。

 空は相も変わらず遠い。


「それで、そこにいるのは誰?」


このまま神秘的な景色を堪能したい。ただ眺めて満足したら、仲間を探す。そのつもりだったが、流石にそこまでは待ってもらえないだろう。

 肥河は振り返らず、己の背後で虎視眈々と隙を伺っている人物に声をかけた。息を潜めているが、気配が伝わってくる。いかにして目の前の肥河(獲物)を仕留めようか悩んでいるその思考が、緊張しているその呼吸が、手に取るように分かった。

 いつも突拍子もない行動を取る六甲(バカ)の相手を務めていると、呼吸や目の動きで相手が何に興味を持っているのかが分かるようになっていた。怪我の功名などと言っていいものか悩むが、とりあえず六甲は肥河に感謝するべきである。


「敵じゃないなら、さっさと動いてもらえると助かるのだけど。そっちが怪しすぎると、私が攻撃しないといけなくなるわ」


一応情けで予告して上げたものの、誰も動く気配がない。

 暫く待っていたものの、肥河が先に動き出した。一件敵に思えたが、見られているだけで襲われる様子はない。害はなさそうで、肥河に待ってあげる時間はなかった。

 体の向きを変えて、一歩進む。直前の情報から、隊員たちも同様の状況に陥っていることに間違いはないだろう。この状況で耐えられない柔な隊員ではないが、状況を打破するためには人員がいる。

 方向は適当。勘が囁くままに進んで、状況が詰んでだ場合また考え直すことにした。思慮深いことは美徳だが、判断を下すには時間がかかりすぎる。




 肥河が一歩進む度に、後ろに付き従う人物も一歩進んだ。隠密行動をしている最中とは思えないほど、気配が分かりやすい。寧ろ疑いすぎを感じてしまうほど拍子抜けだった。

 竹藪の中を通り、まっすぐ伸びる一本道を進んだ。竹の隙間から星空がちらりと伺える。

 辺りに視界を遮るものは竹しかなかった。目を凝らさずとも遠くが開けている。敵に索敵される前に、肥河が見つける方が先かもしれない状況。ただ後ろに控える人物が敵ではない可能性が芽生え始めている。

 何度も肥河に攻撃を仕掛ける機会があるというのに、何もしてこない。ただ見ているだけで、追いかけるだけ。迷惑でしかない。もう肥河の味方で、話しかける機会を伺っていたと説明された方が、納得できる。

 武器は支給品のナイフとこの身体。武器になりそうなものは、今頃寮で寝かされていることだろう。最悪なことに、切れ味をあげるために刀などは手入れに出してしまっている。今の武器は一つ、実質二つのみ。

 隙を見せ次第、潰す方が確実かもしれない。肥河の手に力が籠った。

 そのとき、足元になにか引っ掛かった。僅かな引っ掛かりで、気の所為で済ませてもおかしくないほどである。だが、肥河の勘が訴える。なにか起こると。

 突然、耳を塞ぎたくなるほどの音量が肥河にぶつけられた。頭が独りでに罠にかかったと冷静に分析していた。到底綺麗などとは言えない、失神してしまいそうな鳴き声だった。怒っているようにも泣いているようにも聞こえる。

 歯を食い縛り肥河は耐えた。全身に力を入れ、自分に喝を入れれば自分を保っていられた。この音は一体何なのか。正体を確かめようにも、それらしき姿は見つけられない。見えない場所から攻撃されているのである。

 そして肥河は気がついた。自身を追いかけていた存在が消えている。気配でも探ることはできない。思わず舌打ちを一回。何も焦ることはない、害のない存在を見失っただけ。不安を掻き消そうとするが、一つの可能性を閃いてしまった。根拠のないことだというのに、肥河の内側で可能性が高くなっていく。

 大きな影が差し込む。顔を上げると、肥河の何十倍もある巨顔が口を開けていた。先端にある鼻とその横から伸びる髭。ギョロっとした目玉は恐怖心を煽る。まるで蛇のようだった。

 肥河は身体を横に剃らせ、噛みつきを避ける。思わず「あっぶな」と漏らした。そして髭を掴んだ。人間のものとは違う太さ_親指と人差し指で輪を作ったほどの太さだった。

 それは空高く飛び立ち、肥河を振り落とそうと左右へ身体を揺らす。振り落とされまいと持ち前の握力で必死に髭を掴む。足をかけられるような場所はなく、手の支えを失えば瞬く間に地面へ真っ逆さまである。

 太くもどこか心許ない髭だけでなく、もう一つ安定したものがほしい。肥河は支給品のナイフに手を伸ばした。

 いつもの相棒は海に託してしまった。あの場では良い判断だったと思えるが、今では悔やまれる。ナイフではたいした攻撃にはならないだろう。

 だが、急所に当てることができれば話は変わる。大体の生物の弱点は鋭敏なところである。熊であれば鼻、人間であれば眉間は有名なところだろう。ならばこの生物はどうだろうか。

 蛇のような巨体をくねらせて、自由自在に動かす体からは蛇の一種だと推測される。だがその舌は蛇のように細く長くはなさそうだった。形は哺乳類のソレに近い。目を引く青い身体は珍しいものであった。

 鱗に刃を立ててみるが固く、切れないほどではないが刃が負ける。いずれは刃が折れるだろう。

 最終的に肥河がたどり着いた場所。そこにナイフを突き立てた。

 突然鋭い痛みに襲われたその生物は地面に真っ逆さまに落ちる。勿論、肥河も道連れに。

 内臓が持ち上がる不快感と共に、肥河はナイフから手を離すどころか抉った。今は急所を攻撃している、できることなら、目玉を抉り出してしまいたいところだった。視界が遮られ恐怖しない生物はいない。敵が痛みに慣れる前に決着をつけたい。

 敵は地面にまっ逆さまに落ち、竹にぶち当たる。しなやかな植物とて堪えきれなかったらしい。葉やおれた破片が肥河を傷つけた。

 地面に近い距離で敵がクッションになるか、うまく勢いを殺して立ち回るか。どれもうまく行く保証はない。うまく行かなかった場合、肥河を向かえるのは死である。肥河の運命が敵にかかっていることは皮肉だった。

 不幸中の幸いか、敵は地面に落ちる寸前でたち直した。足がつくほどの距離で地面と水平に動き出したのである。竹藪の中を縦横無尽に動き回り、肥河を振り放そうとする。


「ちょっと方法を選ばなさすぎじゃないかしら」


肥河は堪えるが、目は開けられなかった。風の勢いと竹の破片、鋭い葉から目を守るために目を閉ざしてしまっていた。

 そのため気付かなかった。己の眼前に広々と手を広げた大木の枝が迫っていたことに。

 痛みと共に肥河は意識を飛ばした。無理もない、鼻血が流れ出るほどの勢いで顔面を打ち付けたのである。むしろ数秒で意識を取り戻したこと事態を称賛するべきだろう。

 揺れる視界と酷い耳鳴り、痛む鼻頭。何も良いことがない。不愉快でしかなかった。もしかしてこれは星の降る夜の仕業なのかもしれない。

 片鼻を押えて、流れ出る血液を押し出す。みっともなく汚れた顔を服の袖で拭った。

 目が覚めるほどの一撃だった。おかげで生ぬるい世界から一気に目を覚ますことかできた。


「いいわよ…やったげる。死ぬかもしれないけれど、確実に言えること。それは_先に死ぬのはアナタよ」


最高に気分が悪く、最高に気分が良い。対立しあうはずの感覚か肥河の中で混ざりあっていた。


意識を飛ばした間に敵は身を翻し、片目で眼前の肥河()を見据えていた。大きな口を開け、肥河を飲み込もうとする。

 肥河は焦ることなく、敵を見据えていた。覚悟を決めれは、あっさりとしたものである。今迫る死が穏やかなさざ波の一部とも思える。

 肥河は容赦なく迫る口に飲まれた。呼吸による生暖かい温もりは受け入れがたい。こうして内部を見ると、妖怪だろうか化け物だろうが生物なのだとわかった。

 まず一つ謝罪を。肥河は相手がなんだろうと仕事を_やるべきことをしてくれればその本質が悪でも構わないと考えている。

 目の前の敵は善でも悪でもない。もしかするとこの敵からすると遊びにすぎない可能性がある。

 もう一つは宣告を。ただ肥河とてやられるだけの存在ではない。拳を作りその力で前歯を砕く。そしてかけた前歯と鼻先を挟むと、勢いに任せて振りかぶった。敵は背中を打ち付ける。

 人間が本能的にかけている脳のリミッターを自由に最大限に解放できる。それが肥河の最大の強みである。

 

「さあ、腹のなかを晒しなさい」


肥河は勢いよく跳躍し折れた竹を敵に突き刺した。顎下と同様、尾も固定する。腹の部分も相当な固さがあるようで、捌くにはほどほどの力がいるらしい。

 だが突き立ててしまうことはできる。杭は無数にあるのだから。これぞ()()()()

 顎から尾に向けて4、5本杭を打ち付けた。敵は踠くことができなくなり、顔に近づけば苦しそうな息遣いが聞こえた。目からナイフを引き抜くと、刃はどす黒く染まっている。

 捌く武器は支給品のナイフ。分厚い肉を切るには心許ないものだった。薄く切り、何度も繰り返すことで漸く腹を開くことができる。これほどの開きは珍しいが、残念なことに肥河に時間がないため中止になった。

 敵からの情報は聞き出せそうにないことは確定事項。戦闘中に何も話すことはなかったし、こちらの言葉が分かっている節もなかった。状況は未だ進展せず、である。

 肥河は敵に踵を返した。敵を仕留め切るには時間がかかるだろう。肥河に武器と時間、仲間のいずれかが必要だった。

 一仕事終えた後で肥河は一瞬だけ気を抜いた。一息深くついただけである。

 たったそれだけの時間に、事態は急変した。何が掻き分けられ、少々の破裂音がした。肥河が反応する前に、肥河の腹部に穴が開いていた。

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