レコード
辺り一面が夜に包まれた。目の前を幕で覆われたかのように、薄暗くどこか明かりが透けている。群青の世界が広がっていた。
一歩踏み出すと、幕は隔たりを消した。まるで泡のように幕が取り払われ、世界に僅かな差し色が入れられる。
赤、白、黒。どこまでも目を刺激するような色だった。三つの色で形成された視界は見ているだけでも目が疲れてしまう。ふと六甲は自分の髪色が異質に感じられた。明るい茶色と称される色は、地元では珍しいものだった。色とりどりの髪色がありえるこの世の中では、六甲の茶髪は地味なモノだった。この三色世界であれば、尚更自分の異質さを感じる。
六甲は夢を見ているのかと思った。地面を踏みしめれば水の音がするのに、足元にあるものは墨の池。靴を沈めてみても湿る感触もないし、色がついている様子もない。六甲たちを飲み込んだ津波と同じだった。つい最近の記憶がなければ、今も夢だと思ってしまうかもしれない。
「田中ー?肥河ー?」
とりあえず反応してくれそう、且つ、状況を判断するために動き回っていそうな人間の名前を呼んだ。だが返事はない。距離があるのかもしれない。
隊員たちと合流したいところではあるが、この世界について知っていそうで合流が出来そうな最有力候補は田中である。物理的距離が近く、田中の性格上大人しくしているはずがない。何か痕跡でも見つけることが出来れば状況は変わりそうなものの、水の地面では痕跡を残すのも難しいだろう。
羽ばたく音が耳に入り、六甲は動きを止めた。三色世界に生物が生きている。すなわち生物が生きていくことのできる環境に世界があるということである。すぐに合流できずとも数日後に、なんてあり得るということ。
六甲の頭上に大きな影が差した。大人が両手を広げたとて適わない大きさである。顔を上げると、朱い鳥が悠々と空を飛んでいた。その身体から抜け落ちる羽は、金のように輝きその価値を底上げしている。
六甲は感嘆の声を漏らした。普段生きていれば到底見ることの無い大きさ。もし発見されていれば世界中で大騒ぎだっただろう。六甲はじっと鳥を観察した。そしてあろうことか、石を投げた。足元の水に覆われていた赤子ほどの大きさの石を、振り子の要領で。
「…今日の晩飯にちょうどよかったのにな」
結果は外れ。石は軌道に乗り、予想通りに動いていた。だが鳥の羽ばたきの風圧に負け、地面いや水面に戻ったのである。
朱い鳥は六甲に見向きもせず、真っ直ぐと六甲を横切った。朱い色が三色世界で映え、遠くにいても目に付いた。
「まあ、付いていくしかないか」
右も左も分からぬ世界。六甲には待機して待つことと、動いて誰かを探す手段があった。前者の方がエネルギーを使わず、合流することが出来るかもしれない。しかしながら問題は合流できる可能性が保証されていないということにある。待機する、動く、どうちらにしても不利益が生じる。
ならば、六甲は動くことにした。そちらの方が性に合っているからである。
進むにつれて、景色は変化した。何もなかった世界に、石や草木が顔を出したのである。勿論色は例の三色。赤と白が入り混じったマーブル柄の石を見るとどうにも、赤が血に見えてしまう。黒は影だと脳が勝手に判断してしまうため、黒い地面を見ていると感覚が狂ってしまいそうになる。
どうもこの世界は生物が殆どいないらしい。今まで出会ったのは六甲という人間と、あの朱い鳥。それ以外に生物を見かけることはない。かれこれ数十分歩き続けているが、景色が変わることが幸いだった。まだ視界は狂っていない。
水平線の向こうを見渡せど、人の姿はない。建物の跡も残っておらず、文明があるのかすら怪しい。
六甲は呑気に鼻歌を歌った。自分の声が辺りに響く。
「武器もない、仲間もない。生物すら見えもしない」
こんな場所嫌だと歌いたくなる。
静かすぎる空間は六甲に一人の時間を与えた。その間頭をフル回転させ、状況の把握に勤しんだ。
ある任務中、六甲たちは敵と対峙した。内容は敵を倒すという単純明快なものだった。そこで出会った青年と少女の助力により、部隊は一時撤退。拠点で彼らと共に急遽夜を明かした。
次の日、早朝。六甲は負傷者と正体不明の味方を拠点に待機させ、再び敵に挑む。敵は変わらずそこにいた。必要以上に動かず、人間を殺すことを目的にしていない。まるで足止めのようだった。
それら敵を沈めたとき、六甲たちを津波が襲った。逃走しようにも間に合わず、二人ペアを組むことにしたが結果は変わらず。今は他の隊員がどうなっているのか、不明である。
この状況を引き起こしたのは誰か。田中の様子を見る限り、永遠永久が関係していることは間違いない。六甲も永遠永久が水を使うことや言霊のような力を使う様子をその目で見たことがある。
だが、永遠永久は無闇に暴れる性分ではない。共に過ごした時間で十分に分かっていた。もしそうであるのならば、黒幕は一人しか心当たりはない。
「ってことは蓮…ってヤツしかないよなあ」
六甲は深いため息をついた。勝負をした時間は僅かであったが、六甲が蓮の性格を理解する時間は十分であった。永遠永久をこよなく愛し、害そうとするものは排除する。問題はその排除対象に人間が入っていることである。永遠永久を害する素振りを見せていなくとも、蓮は襲ってきた。確実に敵意は向けられている。
まあ、気持ちは分からないでもない。六甲は頬を引っ掻く。人類の敵云々はさておき、その純真たる根本は独占欲。愛する人と共にいたい気持ちがあるのだろう。だが、気持ちが先走りすぎている。
「蓮を見つけるのが先か、仲間を見つけるのが先か。どっちでもいいが、早よ帰りたい」
任務中にこんなことに巻き込まれて、興醒めもいいところである。戦闘もなければ話し相手もいない。今は物珍しい気持ちがあるが、そのうち飽きてしまうだろう。
こうしている間にも、体は鈍る。歩いているだけでは準備運動にすらならない。
六甲はふと、遠くからこちらに向けて駆け出す人影に気がついた。大きく手を振って六甲に近づいてくる。ドタドタと騒がしい音をたてて、その人物は近づいてきた。
「おーい!やっと見つけたよ」
その姿は見かけない姿だった。真っ赤な羽根飾りと白い一連続きの服、そしてかさ増しされた靴を履いていた。どう見ても体を動かすには向いていない。
その人物は六甲の前で立ち止まり、体を曲げて上目遣いをする。己の魅力を把握している動きであった。自分よりも背の低い人物に見上げられ、大きく見える瞳と小さい輪郭に、六甲は反射的に体を反らせる。
「お前は誰だ?」
六甲の記憶には残っていない。真っ赤な髪が六甲の前で揺れる。
その人物は六甲の言葉に返事をすることはなかった。否、聞こえていないと言った方が正しいだろう。その姿は、別次元からの投影であった。
「もう、遅いんだから!これで遅刻したらアナタの所為にしてもいいんだね!永遠永久」
聞きなれた名前に、六甲は目を見開いた。それと同時に六甲の隣を通り抜ける人影が一つ。
すらりとした高身長。長い髪は纏められ、呆れた顔には生気が宿っていた。
「分かっている。朱君、お前は騒がしい。もとを辿れば集合時間を勘違いしたお前にも責任があるはずだろう。もう少し余裕をもった行動をしたらどうだ」
「それは言わないお約束ね!もし他の神の前で言ったら……………どうなるか思い知らないとね!私が!」
「お前な……朱君になったんだから、落ち着いて行動しなさい」
目の前にいる永遠永久は六甲の知る人物とは異なるようだ。なぜならば、彼女はこれ程生き生きとした顔をしない。百面相をすることはあれど、どこか哀愁を漂わせる。今の彼女は人間に近い。
「大丈夫、白君も蒼君も遅刻してくるって。いつも遅れてくるのはあちら様なんだから、こちらが1度遅刻するぐらい認めてもらわないと割に合わないよね!」
「一応神としては先輩だろう。敬う姿勢はないのか」
朱髪の少女は首を横に振る。自分よりも遥かに高い身長の永遠永久を見て、幸せそうに笑った。連れて永遠永久も圧し殺せず笑いを漏らす。
「立場は同等なんだから気にしないことにしたの。それに、もうすぐ祭で玄君は後継者の発表も控えてるわけじゃん。そんな下らないことが終わった、本格的にもう遊べなくなっちゃうよね。だから今のうちに遊ぼう、ね?」
後継者の発表。いかにも重要そうなものを朱髪の少女は、下らないと言った。話の脈絡から彼女も神の一柱だろう。後継者を下らないと切り捨てるには度胸がいるのではないだろうか。
少女の発言に永遠永久はふっと吹き出した。怒るというよりも、愛おしさを含んだ表情で朱髪の少女の頭に指を弾いた。軽く弾いた音がすると、少女は姿を消した。恐らくあまりの威力に吹き飛ばされたのだろう。
「後継者は決まっている。妾は最初から先代とあの子の中継だったんだ。次の子は先代の腹にいるややこ。実子であることが望まれるのは当たり前だ」
実子。六甲は永遠永久という一柱の神に詳しいわけではない。田中からも詳しい話は聞いていないし、恐らく本人も知らないのだろう。永遠永久が治めてきた時は語るにしては長すぎた。
永遠永久は六甲の隣を通りすぎて、姿が消えた。写し出すにしても限界があるのかもしれない。それにしても疑問が複数。それは何故このシーンなのか。何故このタイミングなのかということである。
誰かが意図的に見せたとしか思えない。だとすれば、一体どこの誰が。何の目的で。
考えたとしても結論はでないというのに、六甲は考えることをやめられなかった。
「妾は神になどなれんさ。卑しい身分だからね」
また声が流れてきた。それは永遠永久の声だが、声のピッチが幾分か高い。幼子のような話し方であった。
六甲に向けて、幼い影が一つ。それは六甲の腰ほどの身長をした少女。だが、朱い髪の少女とは異なる風貌をしていた。襤褸を身に纏い、素足だった。足に付いた泥がみすぼらしさをさらに増幅させる。
「いいや、なれる。神なんて肩書きに過ぎないんだ。私だって、生まれたときは玄君になる資格なんてなかった。先代の血肉から生み出されただけなんだから」
また違う声。今度はしゃがれた声だった。腰を曲げた老婆が少女と共に歩いてくる。少女は数穂先を歩いては、時折心配そうに老婆の方を振り返っていた。
「でもそれって、血の繋がりが何よりも大切ってことじゃないの?妾は先代から作られたわけじゃない。だから…」
「私は先代、先先代、先先先代…ずっと前の先代から同じ人物、同じ存在として生まれてるんだ。記憶はないけど、自分と同じ顔をした人が棺に入っているのは君が悪いね。その分、後輩…つまり永遠永久の母親でもあり師でもあるあの子は勇者だわ」
いつか永遠永久の先代について話を聞いた気がする。
確か永遠永久の先代は、自らの体を培養していた。自分と全く同じ体を作り出し、次の代替りをする。玄君という立場だけが同じ人物に受け継がれていく。その風習を破った人物こそ、永遠永久の先代だったとか。
これは永遠永久の過去の記憶。目の前にいる子供こそ永遠永久の幼少期なのだろう。六甲の身長を越える今では考えられないほどに、幼少期は小柄であったようだ。
「どうして自分じゃなくて妾を選んだんだろう。自分を作り出すことはできたんでしょう?そっちの方が皆何も言わなかったのに」
「それは何でだろうねえ。私は先代と同じ考えだから分からないわ。でも、貴女だからこそできることがあったんじゃないかしら」
老婆は穏やかそうに、少女の頭を撫でた。
六甲の横を通りすぎた老婆たちが、おもむろに立ち止まる。六甲は気配に気がついて、足を止めた。敵の領域で、何が起こるか分からない状況。六甲に緊張が走った。
「ねえ、旅人さん」
六甲はゆっくりと振り返った。その場には老婆たち以外誰もいない。旅人とは一体。六甲は首を回した。
「貴方よ、綺麗な殿方」
老婆に指を差され、六甲も連れて自分を指差した。指差す先には六甲しかいない。
「俺のことか?」
「そうよ、綺麗な髪の方」
しゃがれた声だったが、その声にはしっかりとした意志が宿っていた。重い瞼から覗く瞳が六甲を貫く。
「もうすぐ死ぬ私には分からないけれど、貴方は私たちを救ってくれそうな気がするわ。旅人さん、この落華を救ってくれないかしら」
幼い永遠永久の姿はない。例の三色で構成された世界の異端者六甲に老婆は驚きもしなかった。平然と話を続け、戸惑うのは六甲の方だった。
「ラッカ?何の話を…」
「貴方はあの子の加護を強く受けている。だから、私の声も聞こえる。でも、私の力では貴方の声を聞くことができないの。話を予測して話すことしか」
つまり、何を問いかけても今老婆には届かないらしい。六甲は口を閉ざしてしまった。
「恐らく永遠永久が世を継いだ時、永久に近い平和の世が続くわ。でも、いつか陰りがうまれる。それは恐らく身内から。永遠永久は身内に甘そうだからいつか殺られてしまう」
それは本当に起きたこと。田中が語ってくれた話そのままである。
これは蓮の策略かもしれない。一つの可能性が六甲の脳内を駆け巡った。時間稼ぎに、この映像を見せる。つい足を止めてしまう輩もいるはずだ、六甲のように。
「"信仰を失った"神は死ぬ。生身の体は数百年しか持たないから、"力の根元を壊されても"死ぬ。神はあっさりと死ぬのよ」
「…神殺しの方法を伝授してやるから、神に近い存在丹なった蓮を殺してこいと?」
無茶を言う。
六甲は既に蓮とことを交えている。経験をした上で一筋縄でいかないと分かっているのである。
「神として生きて、永遠永久に出会った。そのとき感じたの私たちこそ中継だった。初代から永遠永久が現れるまでを繋ぐための存在にすぎなかったんじゃないかって思うの」
先程の幼い永遠永久とは逆の意見である。その真意は誰にも分からぬものだったが、六甲はこちらが正しいと直感で感じた。
「落華に変わらぬ光を…頼んだわよ」
「…え、ちょっと」
待てという前に、老婆は消えてしまった。言いたいことを言っただけである。六甲にほとんどヒントを残さず。まずはこの空間を破るところから始まるというのに、それに関する話はされなかった。それに引き受ける返事もしていない。
消えてしまった姿に怒る気にもなれず、ため息をついた。どうして振り回される立場のことを考えないのか。これは完全なるブーメランである。
「神を殺す方法。とりあえずそれを収穫にして、この空間をから抜ける方法を探すか…」
結局事態は変わらない。六甲はまた歩き始めた。




