デザイア
大暴れする六甲と田中の姿をみて肥河は引いていた。しかしながら、化け物が化け物を化け物とと言う。夢野には肥河も同等の化け物に見えていた。他隊員たちをサポートしながらも、自分の敵を倒すことを忘れないその視野の広さは夢野にはないものである。最近ようやく自分に自信が持てるようになりつつある夢野には、三人が大きな壁のように思えた。
「あの三人で全てを倒せるんじゃないんですか…」
そう口から出るのは当然のことである。地面を染める血は人間だけのものではないのである。
夢野は隊内において実力ランキングは下の方。奇跡的な勘で敵の攻撃を避けることはできても、固さや速さで負ければ攻撃は与えられない。いつも負けて助けられてばかり、奇抜な作戦も思いつかない平凡さは、夢野のコンプレックスだった。
入隊の時期を考えると一応後輩の置丹は特殊能力らしきものに目覚めいる。諸刃の剣だとか本人は無力感に襲われているようだが、夢野に言わせれば羨ましさを感じていた。
たとえ、今うまく使えなくとも、戦力として数えてもらえるだけで十分幸せじゃないか。
家の方も中級階級で、跡継ぎの兄が奮闘していることだろう。そのような家に夢野叶としての価値は、有力者との胎以外殆どない。まだマシな生き方といえる親になる道を捨てて、夢野は入隊を選んでいる。もはや隊内でも実力者ではない夢野に何が残るのだろうか。
焦ってはいけないと思っていても、自然と焦りが生じる。敵をできるだけ多く倒し、隊に必要だと思われたい。必要にされなければ、夢野は生きていられない。もし、六甲にまでも不要と言われれば…
力を込めて敵を薙ぎ払う。隊内で実力はなくとも、下っ端の敵は倒せる。
「嫌だ。死にたく、ないです」
まだ生きていたい。
隊員として死ぬのは嫌だった。生きたいから隊員の道を選んで生きている。血に塗れた道を駆け抜けて、自分の価値を見出すために。
だというのに所属する第六隊は殉職が当たり前の部隊。任務を終えれば死人がいるのは当然で、いないことがむしろ驚くほどである。加えて、夢野が憧れる隊長は振り返ってくれない。真っ直ぐしか見ていない六甲は、夢野の憧れでもあり憎らしい人でもある。
六甲がいるから、夢野は希望を抱いてしまう。自分が選んだこの道はまだマシだと思いたくなって、現実から目を逸らそうとしている。
「もう…いや!」
死にかけて、生き延びて、また死にかける。後輩隊員が先に死んで、生き延びてきた。
六甲はどこから来たかも分からない金時を信頼しているように見えた。凡人の夢野の目にも金時が実力者であることは分かった。本当に信頼しているのかは本人に聞いていないため、真実は分からない。もし聞いて夢野よりも信頼していると言われたとき、どうすればいいのだろう。
思考を整えても、いつの間にか臆病な自分は考えていた。
隊員たちに命令を下す役になったとき、震えが止まらなかった。重要な役を任された故か、それとも怖さ故か。
夢野は目の前の石に化けた妖怪を切りつけた。
だが、なにか甲高い音が夢野の耳に届く。
その光景は夢野にはゆっくりと動いて見えた。
夢野が振り下ろした刀が折れた。光を反射して宝石のようにきらめく刀の破片をみた。その宝石は夢野を魅了する。地味で器量もない自分にふさわしいものだと感じた。
宝石は夢野にゆっくりと近づき、そして誑かす。夢野に幻を見せて、その右目に吸い込まれた。
「痛い痛い痛い痛い痛い!」
夢野は鋭い痛みに襲われる。目が開けていられないほどに痛んだ。先程までの尚早は何処にか、ただ頭の中には暗闇しか見えない。じっとりと湿った全身に、真っ赤な涙が流れ落ちた。
夢野の悲鳴を聞いて、周りの隊員たちが近寄ろうとする様子が残された右目に映った。目の前の敵はゆっくりと夢野の方を振り向き、首を傾げている。何が起こったのか理解していない様子で、夢野の攻撃は蚊に刺された程度にも及んでいないらしい。
腹立たしいことこの上ないが、痛みが嫌でも熱く暗くもあった夢野の気を戻そうとする。
「っ来るな!私にかまけている暇があるのなら、さっさと敵を倒してください!」
普段の前胸は鳴りを潜め、夢野の声は張り上げられた。本人が気づけないほどに怒っているのかもしれない。
まだ残る刃で一太刀でも浴びせようと振り上げる。だが、現実は時に冷酷になる。残る左目で見た景色は、自身の細腕が大根のように刻まれた光景だった。
筆舌にし難い声が耳をつんざく。その声は品のない雑音で、聞いていられないほどだった。誰か何か話しているが、夢野には早口で聞き取ることが難しい。
じんわりとした赤が片目の視界を覆い尽くしており、聴覚もろくに働かなくなったらしい。おまけに利き手がやられれば、何もできない。誰かを抱きしめることも難しくなってしまった。
夢野は死を直感した。全身が酷く痛み、意識が残っていることが恨めしい。さっさと消えてしまえば自分はこれほど苦しい思いをせずにすむ。だというのに、意識は鮮明で神経を伝って夢野に現実を教えた。
どうやら、堺程から耳に届く声は己の声らしい。普段叫んでいる自分の声は鼓膜が破れそうなほどうるさく感じるのに、今は静かで押し殺したような声だった。まるで実家で過ごしていた頃のような、自信がなくて自分に言い聞かせるような。
「生きたい。生きたい生きたい。
生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい生きたい」
夢野は唇を噛み締めた。
"道具だから俺はいざという時、お前らを捨てなければならない。だから、俺に捨てさせるな"
これはとある御仁が夢野に言った言葉である。この言葉に適う存在になるべく夢野は、今まで努力をしてきた。家族にも打ち勝ち、鍛練にも精を出した。努力はしてきたつもりだった。
でも、夢野の願いはまだ叶っていない。
六甲のために、まだしていないことがある。まだ彼が幸せだと言えるほどの世界を作っていない。
夢野は口から漏れていた叫び声を、力強く腹から出した。
「ああああああああああ!」
一歩踏み出して、夢野は目の前にいた肉に噛みつく。石のように固い。歯に痛みを感じるが、砕けてもお構い無しだった。力を込め、そして肉を引きちぎった。目が見えなくても、体は動く。背後に近づく死を痛みで吹き飛ばした。
頭を振りかざし、文字通り体を使って相手を封じる。片手片目を失い、夢野には敵の姿を捕らえることはできない。だが頭を使って考えれば、残る三肢、片目、で補えばよいだけだった。
それでも踠く敵に頭突きをした。脳震盪でも何でもいいから、敵を大人しくさせる。額が痛みを訴えているが、知ったことか。だが夢野は死ぬのだから、もう少しだけと自分に渇をいれた。
あと瞬きをする間だけでもいい。夢野が他の仲間たちが敵を倒しきれば、今回は皆無事に帰還できる。他隊員を待つだけの簡単な作業だった。
頭突きをした所為か視界が揺れ、夢野の意識が揺らぐ。気を抜けば、吐き気と深い眠りについてしまいそうな引力を感じる。気分の悪さと血の気が引いていく感覚。それは間違いなく死神の訪れを知らせる気配だった。
そのとき、夢野の隣から手が伸びる。その手は、膝をついた夢野を支える。顔を覗き込むのは夢野が憧れる可愛らしい顔。
「夢野さん、大丈夫ですか?」
鈴のようなか細い声。大きな目に、長く伸びた睫毛。夢野のなりたかった未葉六_がいた。
「辛いですよね、他の隊員さんも皆さん待っていますよ。きっと楽になりたいですよね」
そう言って未葉は夢野を抱き締めた。優しい鼓動が夢野の耳に届く。母親の腹にいたぐらいの頃、聞こえていた気がする。温もりが夢野をどこかに誘おうとした。
「だから、もう休みましょう?夢野さんは頑張ったのは、もう分かってくれますから」
目を閉じれば、受け入れたくない現実を忘れられる。眠気に身を任せれば、全てを忘れて自由になることができる。
「さあ、眠って"家族"に会いに行きましょう_」
夢野の手が引かれた。ふわりと体が軽くなる。
だが、夢野は一歩たりとも進まない。足を止め、ゆっくりと冷めていく体温を感じていた。
「……どの面下げて会いに行けっていうんですか。私は家を捨てたようなものです。家族から逃げたんです」
資産家の娘。大人しく過ごしていれば、今頃玉の輿とか言われてどこかに嫁いでいたはずの人生。それを捨てて、今戦場で死にかけている。
今家族に会いに行けば、夢野叶は自分を全て捨てたことになる。全部捨ててまた生きることを選べと、死ねというのか。
「そんなこと、するぐらいならばここで死にますぅうううう!私を舐めないでください、未葉六隊員!」
体が軽くなっていく。失くしたはずの腕が夢野の意思で動く。穏やかだった気分が、最悪の気分になった。嫌悪感が自分の動力になっていく。
右手を未葉に向けて指差す。
「貴女は私の恋敵!生きている私は変わらぬ愛情を愛しい人に向けるって決めてるんです!何があっても!どんなことがあっても!」
夢野は六甲を_
「愛しているんですうううううううう!」
「最後の一体を見つけた!」
そう叫んだのは海星である。先日、姉を失くした彼女は、折れることなく隊員として任務に参加していた。意地を張っているわけではないし、姉が死んだことは悲しいと思っている。姉が死んだのは誰の所為かなんて、考えずとも海の中で結論が出ていた。
「最後に残ったのが、こんな雑魚なんだ。もっと強い…そうあの永遠永久みたいなヤツじゃないのね」
海の前にいる敵を見つけるには苦労した。なぜならば、それは隊服を着て味方のように紛れ込んでいたからである。恐らく、さっき死亡した隊員を隠れ蓑に紛れ込んでいた紛い物。
いつも通り冷静に対処すればいい。海はそう考えていたが、そう上手くはいかないらしい。その敵は隊服に身を包み、海の方を見て手招きをした。海を見るときの目を細める動作、少し内股の足、目の下の黒子。嫌なぐらい知っている姉の姿をしていたのである。
「…血縁に化ければ敵意を削げるとでも思っているの?」
いつもの海であれば、確かに揺らいだであろう。一人しかいない血縁を殺すことなどできるはずもなかったのだから。
「今、その姿になるってことは死ぬってことなのよ」
だが、今はその話題には敏感だった。
永遠永久とかいう、化け物の所為。それ以外考えられなかった。海に残ったわずかな幸せを潰して、化け物は姿を消した。
恨んでいるし、海は死にたいとも思っている。ただ覚悟がないだけ。これまで姉がいない人生を考えたことがなかった。大きな幸せであれば奪われるが、海が望む幸せは極わずかなもの。だから、幸せは続くと思っていた。
さらに理由を付け足すのであれば、海月という人間は悲劇の主人公になり得る才能がなかったことである。周りを恨んだとしても、何かを実行する勇気はない。全てを捨てる直前で踏みとどまり、何とか人としてやり直した。持ち直したのは、彼女の姉のお陰でもある。
当然ながら彼女の姉は、海が幼い頃からそばにいた。遊んでもらった記憶も残っている。だが、その近くに父母の姿はない。彼彼女らはもう死んでいたのだから。
だが姉は死んでも尚海のそばにいた。化け物になったとしても、妹のことを離さなかったのである。そのような貴重なものを、海はおいそれと捨てられなかった。
「さっさと死ね!」
きっと止まることは望まれていないのである。恨んでも恨まれても、人は生きている。夢も過去も捨てられないほどに重いもので、それを失わせた化け物が憎い。敵が全てが憎い。
だから、任務に参加するのである。死なないぐらいに自分を鍛えるため。永遠永久を殺すため。敵を殲滅するため。
いつか自分を殺してもらうため。死罪でも自殺でも何でもいい。姉のように殺してもらえば、あの世で姉に会える。
「あたしは自分の姉に会うの!そのために手土産の首を沢山…沢山欲しいのよ!」
殺意を宿した刃は敵の首に食い込み、胴体と首を切り離した。中にあった核の欠片を割ると、張った糸が断たれた音がした。次の瞬間敵は再生をやめ、土に還っていった。
肥河が駆けつけたとき、夢野は呆然と立ち尽くしていた。片腕はひしゃげており、もう片方の手は肘辺りまでが欠損している。医療に関しては素人の肥河ですら手遅れだと分かった。項垂れるようにうつむき、そして残るひしゃげた指を伸ばしていた。いや、指差しているの方が正しいだろう。
血にまみれた地平線の向こう。そこに黒い何かがあるのが見えた。それは遥か遠くにあるように見えたが、次第に大きくなっているようにも見える。
「あれは一体…」
肥河は目を凝らした。目を細めると、近づいてくるそれが何か分かった。真っ黒く染まった波。人を容易に飲み込むことができるほどの高さの波が、迫ってきていたのである。




