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ワンダーランド


トタタタと廊下を走る軽い足音を捉えて、置丹は後ろを振り向く。ちらりと何か鮮やかな色彩のものが通りすぎたのが分かった。

 敵か味方か。喉を鳴らし、壁を背に沿わして部屋を覗き込んだ。誰の姿もない。死角に注意をしながら、置丹は部屋に一歩踏み出した。

 グシャと足元で泥濘を感じて、床に視線を落とす。その瞬間、置丹は戦慄を覚えた。

 床に広がるのは血の池。床全体に真新しい血溜まりが出来ていたのである。凄惨な現場に慣れているが、そうそうお目にかかれる状況ではない。頭上を見上げると、天井を埋めるように紅い手形のようなものがびっしりと刻まれていた。

 背筋に汗が伝う感覚がした。幼い頃から廃れた場所で生きてきた置丹だったが、人生上初めて見る光景。特殊部隊に籍を置いても、何度もある経験ではないだろう。何がどうなれば天井まで汚す現場になるのだろうか。


「誰かいますか!救助に来ました!」


置丹は声を張り上げた。置丹の声は山彦のように聞こえ、何処までも響いていきそうな予感がした。暫くすると声は聞こえなくなり、返事は返っては来なかった。

 泥濘に気を付けながら、置丹は両足で部屋の中に踏み入れる。壁際には箱が置かれており、そこからぬいぐるみが顔を出していた。その他にも電車やメンコなど玩具が山になる程に上乗せされていた。壁に貼られた真っ赤な紙には太いクレヨンで人らしき何かが描かれていた。

 砂っぽいような埃のニオイが漂っていた。微かに差す日差しも、真っ赤な部屋の所為で赤い光にしか思えない。


「子供部屋か」


なにがあったのか想像できないが、現場を見る限りその結果を予想することはた易いことだった。ここの住民たちは何らかの理由で死んでしまったのだろう。

 ふと地面に落ちていた冊子のような玩具を拾うと、置丹は何気なくそれを開いた。

 それは鏡だった。置丹の姿を映しだし、背後の真っ赤な壁も綺麗に映っている。そこに映る視界の端_鏡の端に黒い汚れが付いていることに気が付いた。真っ赤な背景に負けることなく、その色彩を保っている。

 比較的綺麗な鏡面を見る限り、大切に扱われて毎日磨かれていたのだろう。指紋1つすら付いていなかった。余程大切なものを汚すのは申し訳なく感じ、置丹は比較的綺麗な布を見つけ汚れを拭った。

 しかし。


「取れない…」


汚れは頑固なようで擦っても擦っても薄らぐ様子すら見せなかった。寧ろ()()()なっているように見えた。

 ここで置丹の脳裏にとある可能性が過る。これがただの汚れではなかったとしたら。次第に大きくなるそれが、猛スピードで突っ込んできている何かだとしたら。

 背後で馬の蹄が地面を蹴るときの重々しくもどこまでも進んでいきそうな頼もしい音がした。背後を振り向くと、そこには置丹の2倍以上もある巨体が迫っていた。今にも振り下ろされそうな足は、確実に置丹の頭を捉えている。

 先程までになかった死が直前まで迫っていた。生きることを当たり前だと感じ、いつか訪れる死のことを忘れていた。第六隊は人生の墓場で死ぬために生きているのだと毎日覚悟していた。何だかんだと生き残り、その度に運を己の実力だと勘違いをしてダサいことこの上ない。

 ここで死ぬんだ。置丹は覚悟した。


_もう体を売ることは無いんだ!給金さえ貰えれば、弟も妹も苦しまなくてすむんだよ!


いつぞや未葉に言った言葉が脳裏をよぎる。

 確かに給金を貰って、家族に送った。家族とは無事かどうかの手紙を送り合っている。もう自分は体を売らなくても良いし、家族もそんな生活からオサラバだろう。本来の入隊目的は果たしたも同然だった。

 自然に体の力が抜けていく。もう自分が思い残すようなことは無い。


_人生がやっと始まったみたいで死ねないんだ。


そんな大それたことを言ったが、人生始まってすぐにリタイア。折角手に入れたものが自分から離れていくのは辛いが、それも仕方ないだろう。人間いつか死ぬのだから。

 だが本当にそうだろうか。脳裏に申し訳なさそうにしてホロホロと涙を流す女性の姿が過る。


「情けない姿ばかり晒したな…未葉」


もう少しキチンとしていれば、自分の感情ぐらいコントロールできただろう。未葉に当たることなく、未葉が抱えていたモノを共に抱えることが出来ていただろう。このまま死ねば、後悔が渦巻く中で、すべてを忘れることが出来そうだった。


「ただ、格好ぐらいつけないとな。男として、最後ぐらいは良いところを見せてやりたい」


もうここにはいない、女性に向けて。自分の成長した様子を見せたい。だからいつか、話を聞いてほしい。

 置丹はせめてもの抵抗に刀を抜き、目の前を横に薙ぎ払った。

 だがガラスの割れるような音がして、視界がスローモーションのように再生される。刀身が蹄に触れて砕ける。そしてゆっくり、しかし着実に時が進み、割れた刀身に自分の顔が映った。予想できた結果だというのに目を見開いて驚きを隠せない様だった。

 人生が上手くいかないなんて、最初から決まっていたことだというのに。





 突然家屋が倒壊し、隊員たちの視線が一つに注がれた。田中も同じように注意を引かれ、お辞儀をしたような形になってしまった残骸を見る。

 村外れにある廃墟で比較的新しい建物だった。そこに住んでいたのは子連れの夫婦。子供も幼く、学校に通い始める頃ぐらいの年齢だったはず。


「隊員が中にいないかの確認を急いで」


肥河の声に現実に戻され、田中は辺りを見回した。

 肥河、椿、海、夢野…見える顔と脳内の隊員名簿を見比べ、足りない人物がいないか照合する。その場に全員が集合している訳ではなく、見回りをしている隊員もいる。そのため全員の生存を確認できない。

 すると置丹がいない、という声が上がった。その声にハッとして田中は辺りを見回すが、確かに置丹の姿がない。もしかすると、と不安が焦りを呼び田中は倒壊した家に近づく。

 梁やら瓦やらが山になっており、軽々とは中は伺えない。だがその中は奇跡的に空洞が出来上がっている可能性はある。


「置丹、居るか!」


瓦礫の中を探りながら声をかける、だが返事はない。瓦礫の中にいるという確証はなく、もしかすると村の外にいる可能性だってあった。だがどうしても後ろ髪を引かれる。この場で切り捨てては後戻りが出来ないようなそんな感覚がある。


「置丹ちゃんがそこにいる可能性はあるのね」

「予感がするだけで、確証はない。だが置丹の姿がないのは事実だ」


置丹がいない、その事実を確かめるだけ。そう自分に言い聞かせる。自分に必要なものは永遠永久()だけなのだから。

 肥河は何人かの隊員たちに田中の手伝いを任せた。肥河が選んだ人員は田中に対して比較的友好的な人物たちだった。その気遣いは田中としても緊急事態に確執云々は言っていられないので正直助かっていた。

 家の残骸からは靴やら箱やらは次々と顔を出すのに、置丹たちの姿は発見できなかった。中腹まで探しても全く_服の切れ端さえも見つからない。出てくるものはかつての住民たちのものばかり。


「置丹さんはここに居ないんじゃ…別のところを探した方が良いように思えますけれど」


椿が申し訳無さそうに言う。真っ赤に染まった髪が印象的だが、心根は優しい女性である。嫌みで言っている訳ではないだろう。

 続けて隊員たちも頷く。


「そう…か、矢張俺の気の所為かもしれない」


田中の中で気持ちが揺らいだ。もとから確証がなかったのだ。根拠もない話によく椿たちは付き合ってくれたと褒められるべきだろう。


「俺は一応続けるから」


 もとの業務に戻ってくれと指示を出しかけた。そのとき僅かに動かした田中の腕に何か当たった。偶々倒壊から逃れていたそれは棚の上に残っていたらしく、田中の腕に当たり地面に落ちた。その正体は鏡だった。

 手鏡サイズのそれはひび割れているが、もとは本のようにページを捲る形をしていたらしい。辺りに散らばる破片は表面が磨かれていたかのように綺麗であった。


「割っちゃいましたね。でも持ち主がいないからセーフ…かな」


椿は地面を向いていた鏡を立て直す。割れてしまったものは残念だが、壊れたものは二度と戻らない。

 鏡を正面に向けるとまだ枠に残った微かな破片が椿の顔を映す。

 その瞬間、椿の姿は消えた。


「…椿隊員?」


瞬きをする合間に隊員一人が姿を消した。手品のようだが、魔法でもない限り何もない倒壊した家屋で姿を消すことなど出来ないだろう。


「目の前から…消えた。小生の目が曇っていないのであれば、ですが」

四月一日(わたぬき)さん、肥河さんに至急連絡を」


四月一日は滅多に話すことはない寡黙な隊員だったが、誰よりも状況把握が早く迅速な対応を心がけている。と、自称する男。その通りではあるが、時折意味不明な迷信を口に出す所謂仕事はできるが変な男である。今回はふざけている場合ではないと察してくれたよう。

 四月一日は頷くと、瓦礫を抜け出し肥河を探す。田中が見渡した限り肥河の姿はない。恐らく下見に出掛けているのだろうが、場所までは分からない。置丹の姿もなく、共に行動しているのだろう。

 椿は突然姿を消した。どういう理屈か理解できないが、椿の動きをなぞれば何か分かるのかもしれない。

 とはいえ、椿の動きは簡単。鏡を拾ってそれを立て直しただけ。田中は鏡を覗き込む。

 するといつの間にか別空間に迷い混んでいた。



 




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