スタートアップ
ボロボロのバスで揺られ、六は気分が…悪かった。街中は公道であったため快適であったが、途中から整備されていないガタガタの道が続いていた。ボロボロのバスでは、小石の上を走るだけでも揺れる。何度も揺さぶられて、六は人生初の車酔いをしていた。
バスの中は静かである。未来に好奇心を踊らせている人もいれば、反対に何もかもに絶望してしまい泣く人もいる。その中間、何を考えているのか分からない人も。この中では、六は未来に希望を見いだしている人に当たるだろう。初対面の十人が狭いバスに詰め込まれて、基地に向かっていた。
おもむろに肩を叩かれる。六は顔を向けると、頬に指が当たった。
「古典的な手ですが、引っかかりましたね」
驚いた。その指の持ち主は、前髪を長く垂らしており目が合わなかった。まるでお化けのよう。声は女性のように高く、こちらに差し向けられた指は白く長い。
六はリアクションに困り、愛想笑いで返した。この空気でお遊びができる度胸が凄い。息が詰まりそうなバスの中で、彼女はまた同じように鎌をかけて遊んでいた。
「そういうのはウザイから。正直、お前みたいなのが一番腹が立つんだよ。空気読めないバカが」
「私は確かにバカです。親にも売られて、引き取られた先では私は下僕のように扱われていました。そんなとき、ここに来れば生活は保証してくれると聞き、やって来たんです。不肖、愚恋頑張ります」
眉間に皺を寄せた青年が、お化けのような女性_愚恋にズカズカと物を言う。流石に酷いと思い、六が口を挟もうとすると、愚恋はのほほんとなにも気にしていないかのように言い返した。自分の生い立ちになにも感じていないように次々と話していく。青年は思わず口を閉ざして、なにも言えなくなっていた。
愚恋は気にせず、バスが止めるまでずっと話し続けた。他人が聞いてて暗いと思う話を、愚恋は世間話のように話すのだから、元々悪かった空気が凄まじく悪くなった。泣いていた人は一層悲しみに浸り、バス内は地獄である。さらには六は車酔いで、救いはなかった。止めどなく押し寄せる吐き気を堪えながら、六は深呼吸を繰り返すばかりである。
バスはやがて止まった。雑なブレーキの掛け方に、車内では軽く悲鳴が上がる。六はシートから滑り落ち、尻もちをついてしまった。
「到着だ...ようこそ、夢と現実の境目..いや、死地へ」
全然楽しそうじゃない案内声と共に、車の扉は開かれる。青々とした空に、何処までも続いていそうな草生い茂る草原。ここが基地など信じられなかった。ただその辺にいる人々が隊服に身を包んでいることから、基地なのだとわかるだけであった。
車に乗っていた男女は次々と車外へと出て行き、皆一列に並ばされていた。六は最後に車から出て、慌てて同じように並ぶ。何やら号令が出されているが、六にはそんな余裕はない。
もう少し、もう少し。少し回るような視界と、気分の悪さが六を襲い続けている。念じ続けども吐き気はもう抑えきれない。だが、こんな公衆の面前で汚らわしい嘔吐をしてしまうのか。そんなことをしたらば、一生の恥である。そう思い、六は車の陰に走り込んだ。自身の中では最速だと自負出来る。急いで屈むと、そこからはお話しできないほど。途中で助け船があり、袋をかりたお陰で地面に吐くのは我慢できた。
「すみません、ありがとうございました」
「いえいえ、あの車は本当にボロイし、運転は雑だし誰もかれも酔うものよ。って、まだ顔色、大変なことになっているわね。救護班でも呼びましょうか」
なんとも面倒見の良い救世主である。六は気分の悪さで、大した反応ができない。ただ首を振るだけである。右も左も分からない六にできることは、醜態を晒さないようにすることだけだった。
六を助けた女性は、救護班に連絡をするように周りに命令を下していたが、中々救護班は現れなかった。その辺にいた人を捕まえて聞き出した話によると、急患が出てそちらの対応に追われているらしい。女性は対応が遅いやら、人員のバランスやら文句を垂らしていたが、六が申し訳なさから遠慮をし始めると痺れを切らしたらしい。六を担いで運び始めた。俵担ぎで。
容赦ない運び方で六の内心、体調はグロッキーである。余計に体調が悪くなりそうだった。極めつけに、女性は六をとてつもないスピードで運んでいくのである。自分の仕事を全うしようとする隊員たちを障害物のように飛び越え、壁まで見事に走り切った。この人に万有引力は働いていないのか。疑わしくて仕方なかった。
救護室と書かれた看板が掛かる部屋にたどり着くと、女性はノックなしで扉を開けた。中にいた救護班と思われる隊員たちの目を一身に受け止める。普通なら臆しても可笑しくない鋭い視線を女性は何も気にした様子はない。むしろドンとこいと受け止めていた。救護室に一歩入ると、女性は六を抱えていない方の手で後ろ手に戸を閉める。
「急患。こっちの子を診てあげてほしいんだけど」
「今は後。こっちの方が緊急だし、そっちは見た限り外傷はない。外傷だったとしても唾でもつけりゃ治るさ」
だから出て行けと包帯を片手に厳つい男が言った。六の目には医者どころか戦士に見える。目だけで人を殺せそうな程鋭い。六は慌てて退出しようと暴れたが、女性が六を放そうとしなかった。内臓が世相になるほどぎゅっと抱きしめられている。
「そんな言い草はないだろう。この子だって辛いには変わりない。そっちも急患なのはわかっているけど、この子を軽んじていい理由にはならないでしょ」
女性はそう言って、次々に救護班に文句を言う。一生懸命にやっているところに水を差され、それだけにとどまらず文句を言われる。例え穏やかな人間だとしても耐えきれるものではない。救護班の厳つい男は手を止め、女性をジロッと睨む。六は恐ろしくて、ひたすらに謝った。が、女性は態度を一切改める様子はなく、煽っているようにしか聞こえない言葉をワザと選び連ねた。
男が女性と六の前までやってきて、手を上げた。殴られると六は頭を覆い隠す。しかし降ってきたのは拳ではなく、優しく固い手であった。何度か六の頭を撫でて、手を引っ込める。
「…確かに、生意気しか取り柄のない肥河のいう通りだった。屈辱的、それはそれは屈辱的だが、正論だ。こちらで診察しよう」
男は思ったよりもジェントルだった。六を抱えてい肥河から六を受け取ると、近くにあった木箱の上に座らせて触診から始めていった。男の後ろに見えるてんやわんやの状況が、申し訳ない気持ちを煽る。
一応色々診てもらい、結果はやはり車酔い。と、少しの疲労。最近色々準備したり、バスで気まずい長時間を過ごしながら揺られたり、とかなりストレッサーになり得る時間を過ごした。その影響でガタが来ていたらしい。
ゆっくりするように言われ、六は救護室で少し休んでいくことになった。ベッドは先客がいるため、六は木箱の上で少し休んでいる。何故かずっと付き添っている肥河はウズウズとした様子で、なにやら首をきょろきょろさせていた。不思議に思った六が尋ねてみると、肥河は声を潜めて話し始めた。
「こんなにも大騒ぎするのは滅多にないの。だからどこのどんな奴が大怪我したのかって気になって」
「えぇ...野次馬根性ですね」
救護室の出入りが確かに多いように思える。血にまみれた包帯やタオルを抱えた人が出て行き、次々に真っ白なものが運び込まれてくる。肥河の言葉通りなら、余程の事態らしい。そんな事態の最中に押し掛けてしまい、六はまた申し訳なくなった。そんな六を肥河は励ましてくれたが、症状の悪化の一端を肥河が持っているように感じるのは気のせいだろうか。
六はチラリと肥河の顔を横目で見る。何処かで見たことがあると思っていたが、思い出した。百貨店であったあの六甲と呼ばれていた男の知り合い...だったはず。自信がないのは、六甲に怒鳴っていた姿が怒った母を彷彿とさせて視界に入れないようにしていたからである。怖い人物という印象だったが、意外とお茶目なところもあるらしい。
一段落したらしく、人通りが少なくなってきた頃。六の隣で退屈そうにしていた肥河が救護班の隊員の一人に呼ばれた。肥河と六はお互いに目を合わせたが、思い当たる節はない。肥河は急かされるままに、ベッドの近くまで歩み寄った。
「お、久しぶり!肥河、ミスったスマン!事務仕事まかせていいか?」
腕と足に包帯を巻いた男が元気よく挨拶をした。笑顔を浮かべるその顔にもシップが貼られている。どう見ても重症。顔色も少し悪かった。その男の足元には泣きつく隊員がいる。
肥河はその男を見ると、身体が勝手に震え出した。そして体の内側から何か熱い感情が込み上げてきて、ドロップキックを男に食らわせる。重症の患者に容赦がない見事な一撃である。ド派手な物音と共に、男はベッドから転げ落ちて点滴の針が抜けた。救護班の隊員が大騒ぎしているが、二人はお構いなしである。男は急いで立ち上がり逃げ出そうとするが、肥河が逃がそうとはしない。胸倉をつかみ上げて、男にメンチを切った。
「何してんだ!六甲!お前、怪我して帰ってくんなって言い聞かせたよな。数刻前に」
怒鳴った肥河は六甲の首根っこを引っ掴み、なぜか救護班のひ弱そうな隊員を片腕で抱きそのまま救護室を出て行った。ペシャリと扉が閉められると、残された六を含む隊員たちは何も話せなかった。台風一過。その文字がお似合いの惨状である。
そんな中、例のガタイの良い男が六甲が寝ていたベッドを片付け始める。それを見た隊員たちが徐々に動き始めた。足元には血だらけの包帯と隊服が脱ぎ捨てられていた。そして六甲にしがみ付いていた謎の隊員もまた取り残されていた。血だらけの隊員は、その謎の隊員を引っぺがし六の隣の捨てる。つぶれカエルのような声を出し、謎の隊員は椅子の表面に顔面を強打した。
「大丈夫ですか?」
「ええ、大丈夫です。六甲に負わせた傷を考えればもっと酷いことをされてもいいんですぅぅぅぅ...」
六が声をかけると、謎の女性は顔を上げ涙で化粧の崩れた顔を晒す。任務で六甲が自分を庇って大怪我をして、自分の無力感に苛まれている。だから邪魔しないでくれ。ということらしい。邪魔なんてする気はないが、隣で騒がれていればどうしても気になるものである。
構ってくれると分かった謎の女性は今度は六に泣きついた。そして聞いてもいないことまで話し出す。今日の天気や戦場の様子まで、ありとあらゆる話をした。あまりにもずっと話し続けるため、六の脳裏には心配が募り始める。
「その、お時間とか大丈夫なのですか?お忙しいのでは...?」
「そうですよね。私みたいな穀潰しなんて、働かないと生きている資格なんてぇぇぇぇぇ」
そんなこと言ってない。今まで見てきた隊員たちはほとんど忙しそうに、自分の仕事をこなしていた。だから少し気になっただけ。六が弁明しても、六の声よりも大きく騒ぎ立て話を聞いてもらえない。そこからは六がなんと話題を振っても、その女性は勝手に騒ぎそして嘆いた。
相手に困っていたが、女性は五月蠅いと厳つい男性に追い出された。ついでに六も。女性はまた嘆いていたが、六には困った状況である。肥河に担がれてきたため、救護室がどこにあるのかさえ分からない。ましてや何処に行けばいいのかなんて全く知らない訳である。
救護室に戻ってもう一度聞けばいいのだが、追い出された手前もう一度顔を出すのは申し訳なく感じる。となれば、手は一つであった。六は隣で今でも溶けそうな勢いで嘆く女性に目を遣る。顔を上げた女性と目が合った。
「あ、あの。私、新米でして。何処に行けばいいのか知りませんか」
女性は大粒の涙を拭き、鼻水を拭きとりながらメモ用紙を取り出した。そして数枚ぺらぺらと捲り、あるページで目を止める。
「新米さんなら、今日は所属する隊の顔合わせが行われる予定だそうです…この時間であれば顔合わせは終わって、自室に案内されているかと」
女性は懐から折りたたまれた本革の手帳を取り出し、内側にある文字を指差す。
”夢野 第六隊”
とだけ書かれていた。
「これが所属隊ってことです。私は先程の六甲さんが隊長の第六隊に所属しています」
この手帳は持っているかと聞かれ、六は首を横に振る。受け取る前に、救護室にやってきたため存在さえ知らなかった。これは基地内を賭けずり回して、六の隊員証を持っている人物を探し出さないといけないのかもしれない。
すると女性もとい夢野は、化粧の崩れた顔を自慢げな表に変え、先程の紙を六に突き付けた。そこには何人かの名前と部屋の名前らしきものが書かれている。今回は特別にということで、六はその紙を覗かせてもらった。
”未葉 第六隊”