エスケープ
六甲は筋内兄弟と田中が去った後、布団から出られずにいた。怪我のこともあるため、当然の処置であるが堪えきれられないのが第六隊隊長である。
「なあ、肥河」
「なによ」
六甲との付き合いはビジネスで、好き好んで自殺行為を繰り返す男の手伝いなんてしたいとは思わない。完全なる冤罪である。肥河は大変不機嫌であった。
肥河が閉じ込められたのは、六甲と付き合いがあったからである。それ以上に理由はない。わずかな取っ掛かりが気になる上司たちは、余程の近眼らしい。老眼鏡でも掛けろが内心である。
「暇なら、しりとりでもしないか」
「本当に退屈なのね」
肥河も退屈さを感じていた。捕縛されている身分で娯楽が与えられるはずもなく、出来ることと言えば六甲と話すか、天井の柄を眺めることぐらい。要するに時間を持て余していた。
「じゃあ、りすで」
「暇で」
「…マラカス」
「退屈で」
「積木」
「怠ける体」
肥河が切れたことにより、しりとりは完結した。1分ももたずに、六甲の気紛れは本当にまぐれである。
突然六甲は体を起こし、肥河の方を向いた。やけに元気そうである。髪を何とか結び巻かれていた包帯を外すと、いつものスタイルに変身した。一目見た限りでは怪我人には見えない。
「やっぱりさ、脱出しないか?」
「アンタ、馬鹿なの?私たちは棺に片足突っ込んでるのよ、そんな状態で脱出なんてしたら……片足どころか両足、全身が棺に入るわ」
また六甲の気紛れだろう。肥河はまともに取り合う気ではなかったが、六甲は根気よく何度も話しかけるため、話だけは聞くことにした。話だけは。
肥河にとって、脱出は想像しただけでもゾッとする言葉である。それにあまりにも馬鹿馬鹿しい発想。拷問室に幽閉された罪人の台詞とは思えなかった。
「上のヤツらはどうせろくな調査をしない。俺達は殺されるぞ」
「だからって、我先に死に行く必要はないわよ」
脱獄なんて見つかった瞬間殺されても文句は言えないに決まっている。それに助かる可能性も無きにしもあらずである。まだ拷問されないのは、証拠の捏造もうまくいっていない証拠ともいえる。六甲の考えは肥河に理解できなかった。
「上のヤツらだぞ?俺達をこき使う癖に、自分達は安全地帯で眺めているだけの置物たちだ。邪魔と判断すれば遠慮なく工作を仕込んでくる」
「それは分かっているわよ。でも、どうせ穴だらけの証拠を誰が信じるの」
肥河とて生を諦めた訳ではない。勿論のこと生きたいし、逃げることが疚しいことがあると主張していると同義であると言っていた。だが、六甲は話を右から左へ流していく。
「第一、どうやって出るの。私達は両手がこの通り繋がっているのよ」
肥河は自身の手首から伸びる手錠に指差す。僅かに紐が長いことが救いだろう。少しは動くことができた。だが、身動ぐ程度でそれ以上には動けない。
肥河の言葉を待っていましたと、不敵に六甲は笑った。嫌な予感が肥河を襲う。六甲が楽しそうなときは、戦場にいるときか悪巧みをするとき。
「肥河、お前…壁ごと窓をぶち破れ」
「はあ?何言ってるの、窓に手なんて届かないわよ」
肥河は実際にやって見せるが、ベッドから立ち上がるだけでも温情は使いきってしまう。六甲も同様で、体を起こすことはできても動けない。
「頭を柔らかくしてみろ、俺たちは両手は繋がっている訳だろ?」
そう言って六甲は出来るだけ最短の距離でベッドを下りる。工夫しても六甲の左手はベッドの柵へ伸びている。到底使えるものではない。
「武器はそこにある」
六甲が指を差したのは、布団。いや、正確には布団の下にあるベッドフレーム。人一人では到底抱えられるものではない。だが、肥河なら可能ではないか。そう六甲は言っているのだ。
「出来なく…もないけど、私がそうしたらアンタはどうするのよ」
肥河がベッドを持っている間、六甲は肥河に引っ張られることになる。持ち上げられたとしても、振り下ろすには六甲が邪魔になる。
怪我人に更に怪我をさせる心配がある。そんな作戦に肥河は乗り気にはなれない。
「俺も一緒にぶつけるに決まってるだろ。お前ばっかり危険に晒せるか」
さも当然に言ってのけるのだから、六甲という男はいけ好かない。普段はろくに人の迷惑を考えないくせに、ふとしたときに見せる優しさがある。
「…甘ちゃんね」
そういうところが、上に漬け込まれるのである。だが、肥河は忠告しない。
六甲の作戦に肥河は乗った。肥河がベッドフレームを持ち上げ、窓に打ち付けた。音と共に窓ガラスの破片が飛び散り、床に転がる。
「肥河、右手からお前が先に外せ」
六甲は自分の髪に突いていたピンを外して、肥河に渡した。六甲の綺麗な顔面に傷が出来上がっているのが目につく。
「ちょっと、こんなもの持っているなら先に言ってよ」
「言ったらお前は付いてこなかっただろう?」
試すように言われ、肥河は言い返す言葉もない。六甲の言う通り、六甲が自由に動けるなら助けるつもりはなかった。腹の中では勝手に逃走したということにするのもアリだと思っていた。肥河はまだ特殊部隊にいなければならない理由があるのだから。
肥河は右手の手錠を外すのと同時に、部屋に隊員たちが駆け込んできた。窓に立て掛けられるように立っているベッドフレームと片手が自由になった肥河。それにわざとらしく慌てる演技をする六甲。
状況はすぐに伝わった。隊員たちが六甲たちに向けて走ってくる。
「肥河、我慢しろよ!」
六甲は右手を引き肥河を寄せると、体を抱き締める。そしてそのまま、窓の外に出た。ベッドが窓枠に突っかかり窓枠に六甲は手を掛けた。
駆け込む隊員たちをごぼう抜きして飛んでくるのは昇進した田中。第六隊で鍛えてきた瞬発力を駆使して六甲に向けて手を伸ばす。目を鋭くさせ、今にも獲物を仕留めようとしていた。
六甲が窓の外に身を乗り出せば、迷いなく足を進める。
「ちょっと、ちょっと、ちょっと!」
肥河が浮遊感を感じて騒ぎ立てる。肥河が聞いていた作戦は、窓からの脱出までである。まさか身を乗り出すなんて聞いた覚えはない。幸いにも、建物はそこまで高くはない。落ちても即死は免れると思われる。全身骨折はなんとも言えないが。
「死にたいなら止めはしないが、俺は肥河が必要だ。動くな」
ときめく台詞かのだろうが、状況が状況である。全くもって嬉しくない。
窓から体を出した田中が六甲とベッドを繋ぐ手錠を掴む。
「作戦は失敗だ」
田中は勝ちを確信していた。六甲は最後の抵抗に身投げを図ろうとしたが、手錠のことを忘れてしまっていた。そう田中の中で結論付けた。
だが不自然な点はある。どうして手錠を外す手段を持ちながらも肥河をおいて逃げなかったのか。いくらでもチャンスはあった。肥河が脱出意欲がないことも知っていた。ならば、どうして_
田中の中で結論が出る前に、六甲が笑った。思考が途切れ、田中の思考は六甲に支配された。
「なあ、知っているか。人を信じていると言っていながら、人を信じていないヤツって、失わないように心に保険をかけているんだ」
失っても、信じていないから自分は傷つかない。苦しくないと、嘘を付き自分の首を絞める。
「お前は何を信じている」
六甲は田中の目を見た。その目の中に揺らぎがあるのは見てとれる。
六甲は真剣な表情を崩す。田中の隣に隊員たちが並び、六甲たちを引き上げようとしていた。
「最後に学びを……手錠って案外簡単に外れるんだぞ」
次の瞬間。田中が瞬きをした一時、六甲は地面にまっ逆さまに落ちていく。自由になった片手を肥河を支えるために使い、壁を蹴って六甲は空中を進む。そして木々の中に突っ込んで行った。




