フォーフーム
「夢野」
訓練を終え、各自部屋に戻ろうとする隊員の中から夢野を探し首根っこをひっつかんだ。錆び付いたロボットのように、夢野がゆっくりと首をこちらに回す。その表情は苦笑いを浮かべていた。
「た、隊長…何ですか?」
声をかける心当たりを本人は察しているらしい。だが、惚けて切り抜けようとしている魂胆が丸見えである。
「今朝田原と話していて面白いことを聞いたんだ」
「へ、へえ。そんなことがあったんですね」
話を切り上げ夢野はさっさと逃げようとする。恐らく怒られると思っているのだろう。六甲は確かに軽く叱ろうとしていたが、ここまで怯えられると困る。
何ともないような表情で、六甲は話を切り替える。
「お前が未葉を気にかける理由は一体なんだ?」
六甲の問いかけが意外だったらしく、夢野は目をパチパチさせた。そして六甲の質問を繰り返し確認するように呟いた。
夢野はすぐに答えを出すことはなく、暫く唸るように首をかしげる。
「私は六ちゃんのことが友達として好きでした。でも、六ちゃんのために隊長に言っているのでは…ないと思います」
「というと?」
六甲にとって、夢野は六と非常に仲良くしているように見えた。そんな友人が見殺しにされたことを夢野は頭に来ているのではないかと推測していたが、あっさりと棄却される。
六のためではない。とするのならば、夢野が気にかける理由とは何か。
「私は隊長が後悔しているのを見るのが嫌…っていうエゴです」
大した理由がなく申し訳ございません、と夢野は深々と頭を下げる。何度考えても、夢野の行動力は六甲のために出される。六甲の為にならないのなら、夢野は要らないと切り捨ててしまうだろう。
夢野が出会ったのは、隊長になったすぐの頃の六甲である。
当時、捨てられるように夢野は特別部隊に入隊することになった。夢野家は裕福な家庭であった。曾祖父が国の重鎮のポストを得ているほどの名を轟かせている人物。祖父と祖母は政略結婚。実の父と母は恋愛婚とは名ばかりの政略結婚であった。
夢野には一人の兄がいた。だが跡継ぎの兄は立派に成長した頃、女の叶は親のコネクション作りの道具にすぎなかった。生まれてまもなく母親は死に、母親を殺した人殺しとして家では蔑まれていたが、体裁を気にする夢野家は人前では子供想いを演じた。
夢野の親は有名な資産家。家も庭も豪勢なものだった。幾多の使用人を雇い夢野にもお情けで使用人が宛がわれた。
夢野は扱いは酷いものの使用人たちの憐れみで何とか生き延びることが出来た。だが、あの手この手を使って富を築いた夢野の親は、恨みを買いやすい相手だった。
幼い夢野は人質としてとある人物に捕まった。食事は与えられたものの、部屋からは出ることができず、人とも会えない監禁状態。言葉も忘れそうな時間が何年か続いた。
ある時、人質としての夢野は必要とされなくなった。利用価値がないと悟られたのだろう。それまで父親から何の話も無かったらしく、ついに動いたかと思えば夢野叶捨ての手間が省けたと言われたそうだ。
何の価値もない女。ろくに話もせず、食事をする穀潰し。殺す殺さないの天秤に掛けられた夢野は、せめてもの再利用として特殊部隊に売られた。
若い女それも喋ることを殆どしないため、夢野は第六隊に配属された。息を潜め、言葉を発することなく影に潜むことは、夢野にとって簡単なこと。第六隊の死亡率を聞かされたときも、夢野にとって生きる場所は些細なことのように思えた。
実際配属された第六部隊は、隊員たちは皆ボロボロの状態で、満身創痍。任務の度に人が死ぬ。笑顔のない地獄のような場所だと最初は思っていた。
夢野は新人として訓練に参加をした。今まで監禁され動かすことがなかった身体をこき使う。筋肉痛は酷かった。
「夢野、お前無理してるだろ」
影で休んでいると、隣に髪の長い青年腰かける。夢野にとって隊員たちは仲間ではあるが、あくまでも他人。横に座る青年の名前すら思い出せなかった。
話すこともなく、話しても日常会話ぐらい。自分の掠れた声が耳につく。
「そ、そんなことないです。みんな頑張っているのに、休むわけにはいかないです」
「それを無理だと言うんだ」
青年は夢野の額にデコピンをする。
「訓練で無理をするな。新人の内は苦しいだろうが、今無理をされちゃ後に使い物にならん」
「使い捨て道具みたいなことを言うんですね」
「それはここにいる皆が道具だからな」
楽しそうに笑う表情をみて思い出す。目の前にいる青年こそが第六隊の若き隊長であることを。
青年は隊員たちから人気がある。ユーモアがあって、メリハリをつけられる。さらには個人訓練にも付き合ってくれるというサービス付き。
人の思いやりを持つ人が、そんなことを言ってしまうなんて信じられなかった。ショックを受けたというよりも、驚きの方が強い。人は道具ではないと考える人間だと思っていた。
「道具だから俺はいざという時、お前らを捨てなければならない。だから、俺に捨てさせるな」
「難しいことを言いますね」
夢野は頬を引っ掻く。捨てなければならない時、捨てたくはないと言ってしまうのは隊長として責任感がないと考えるべきなのだろうか。
夢野は生まれてから道具である。それ以上でもそれ以下でもない。ものは需要と供給さえ認められれば存在することも許される。人に左右される存在である。
「俺は難題と考えられるしか言わん。だが、それは前例がないから難しいと感じるだけかもしれない。要は勇気が必要なわけだ。
だから、難題をクリアするための道具が欲しいんだ。夢野、お前もその一つな」
「…ですね」
何故か右目から涙が出た。言われていることは人として扱われていないということなのに、必要とされたことが嬉しい。
涙を流す夢野に六甲は驚いたような表情をしていたが、次第に優しいものへと変わっていく。
「夢野とこんなに話したのは初めてだよな。何時も話が長続きしない」
「そうですね、私は話すのが苦手なので」
実家では夢野は定型文しか話すことを許されなかった。自分の中で会話の式が構築され、それ以外に話す手段すら与えられてこなかったのである。いつしか相手の返事に対して深く考えなければ、会話が出来なくなってしまった。相手への返信を考えている内に、相手が気まずく思い、離れていってしまうのである。
事情をきいた六甲は顎に手を当て、唸る。そして何か閃いたらしく、手を合わせた。
「なら、語尾を長く延ばすというのはどうだ」
「分かりましたぁぁ…ってことですか?」
何とも情けない話し方である。夢野の父親ならしつこいと怒っていただろう。あの人は淡々とした会話を好んでいた。
「もっと延ばせ、そうだな三秒ぐらいは大丈夫じゃないか?」
「分かりましたぁぁぁぁぁぁぁぁってことですか?」
六甲は首を縦に振る。いかにも面白そうな表情をしている。どう考えてもからかわれているのだが、嫌な感情は抱かなかった。
「相手が何か話しているとなれば、人はその場で話の続きを待つ。夢野は受け答えをしっかり考えるから、これなら夢野がまだ話したいってことが伝わるだろ。
それに一定の声量だと肺活量を上げる訓練にもなるしな。いっそ、音量にも波を作るのはどうだ」
「なんですか、それ」
喜々として話す六甲に夢野は吹き出して笑う。自分のコンプレックスについて共に考えてくれる人は居なかった。
また話したい。そう思った。
六甲はちらりと夢野の方を見て言った。
「やっぱり、夢野は元気が良い方が楽しそうだな」
微笑むその表情。六甲の表情一つ一つが、夢野の胸に深く突き刺さった。だが同時にその瞳に映るべきなのは、夢野ではないと思う。もっと素敵な人がいる。六甲にピッタリな人が。
「ありがとうございます…隊長」
「これぐらいなんてことないさ」
手を振り離れていく六甲を夢野は手を振って見送った。
六甲のために生きよう、全てを捧げよう。そう考えたのはこのことからである。
夢野は道具である。六甲の。道具は物だが、持ち主は選べる。
自分と共に居てくれた、ただの道具を肯定してくれた。そんな六甲に夢野は惹かれている。
ならば、六甲が歪んでしまうことはしたくない。六甲を守るその先にいたのがたまたま未葉六という存在だっただけである。他の存在がいれば、夢野はそちらを選んだだろう。
「エゴ…エゴか」
「そうです、私のエゴです。六甲隊長が後悔しないようにするのがぁぁぁあ…そう、"道具"の役目なので」
夢野は可愛げにウインクをして見せる。たとえ六甲の気持ちが夢野に向いていなくても構わない。夢野はそれを承知している。
ただ、幸せになっていて欲しい。
「なんだ、それ」
六甲は目元にシワを寄せて笑った。普段の豪快な笑い方も良いが、隠すように笑うその笑い方も夢野は好きだ。
「田中、お前はどうだ」
「一体何のことですか」
六甲はため息をつく。田中は六甲と夢野が話しているところを見ていたし、さりげなく聞き耳を立てていたのも知っている。
六甲は言及することなく、田中の芝居に付き合うことにした。
「なに、未葉についてそこまで執着する理由を聞いて回ってるんだ」
「そうですか、それで夢野隊員の次に俺に」
情報を初めて聞いたかのように田中は振る舞う。そして間髪入れず、すぐさま答えを出した。
「俺の場合は、未葉隊員に魅力を感じているからです。凄く魅力的な存在を失うのは痛手でしょう」
「それは恋愛的な感情か?」
もし恋愛感情ならば、さぞかし辛いだろう。六甲は繊細な問題に触れたという感覚なく、話を進めていく。だが自分の中に渦巻く感情の名前を知らない。
田中は首を横に振る。
「未葉隊員には世話になった。だが、六甲隊長が思うようなものではないですよ」
その顔は恋よりも憧れのようなものであった。
「俺は後悔をした。前に隊長に話した母親みたいな人…トワサマの言葉通り、後悔を糧にしようとしたが失敗した。
だから、俺はその行程そのものが俺にもたらしたものを捉えることにした」
未葉隊員は生きており、死んでいると思っても最後まで否定すると田中は告げた。並々ならぬ覚悟である。
田中は多くのことは語らなかった。話は以上だと言うと、六甲を観察しに訪れた筋内のもとに駆け寄る。そして何か話し始めた。居心地悪く感じ、六甲は首を背ける。
ふと視線を感じ、顔を上げると置丹と目があった。置丹は何か言いたげな表情をしていたが、目があったことに気がつくと顔を背けた。
「…何か怒らせるようなことをしたか…?」
胸に手を当てて考える。
昨日、訓練でボコボコにしたことだろうか。それとも任務中に一時間ほど現場指揮を任せたことだろうか。それとも置丹と田中がカードゲームをしているとき、置丹の手札を背後からみて考え得る手を田中にリークしていたのがばれたのだろうか。
考えれば考えるほど、怒らせるようなことをした記憶がよぎる。一つ言えることは、置丹に聞く際に彼の地雷を踏まないようにすることだけである。
田中もフラグを回収するが、六甲も例外ではない。
「分かって言ってますか…それ」
田中はフラグの数が多い。対して六甲は数は少ないものの、買う怒りが大きい。
「隊長………暫く話しかけないでください。隊に入る限り、指示には従います。
ですが、アンタはやっぱりおたんこなすだ!」




