タイトル未定2024/07/08 19:31
赤い紙。政府からのお言葉が綴られているという。六は実物を見たことは無かった。壱の出兵時に家にも届いたという話だったが、六はまだ幼いからという理由で見せてもらえなかった。そんな赤い紙がどうして今になって届いたのか。昨晩食事中に話していた人員不足が原因だろう。
六は郵便受けに入っていた赤い紙を懐にしまった。無論、封は開けていない。心の準備なしに見るべきものでもないし、これを家族に見せるのは酷だと思う。ようやく元の形に戻ってきているというのに、これ以上家族を壊したくはなかった。
懐にしまってどこかに隠したところで、何も変わらないだろう。いずれ家族には気付かれる。それまででいい、それまででいいからこの平穏を享受させてほしい。六は手を合わせ、願った。
「六ちゃん、盛り付けをお願いしたいの。いいかしら」
家の中から艶の声がして、六は辺りを見渡す。誰の姿もない。赤い紙の存在は六以外にはまだ気付いていない様だ。十分に確認すると、安堵の息をついた。
「うん。今行く!」
返事をして家の中に向かって駆けだした。が、朝刊のことを思い出し急いで戻ってくることになる。
今日も今日とて平和である。…と言いたいところだったが、そうも行かなそうだった。
調味料が足りないということで近くの商店に顔を出したのだが、そちらでも品切れを起こしていた。物入用の季節である。こんなことは珍しいものの無い訳ではなかった。今すぐ必要ではなかったが、それでも手が空いている今、準備するのが得策である。
そうと決まれば朝食を終えた後、余所行きの服に着替える。衣装箪笥を開けても同じような服しか入っていなかった。六にとって飾り気は重要なモノではなく、寧ろ動きやすければどんなものでも良い。だが飾り気のあるものが嫌いという訳ではなく、順位が低いだけではある。飾り立てるような淑女らしさは産みの親の胎内に置いてきてしまったようだとよく残念がられる。
カバンに財布と念のための地図、ハンカチーフを入れて、履き慣れた履物に足を滑り込ませる。準備は整った。
「行ってきます」
玄関まで見送りに来てくれた肆瑠に手を振る。肆瑠は照れながらも、周りに見えないように下の方で手を振った。六はほほえましく思いながら、また行ってきますと声をかけて出かけて行った。
商店よりも大きな買い物ができる場所といえば、駅前の百貨店が真っ先に思いつく。道のりは長いが品ぞろえは比べ物にならない。何もかもがそろっている、それが百貨店である。きっとそちらも混雑しているだろう。それに最近は冷房器具で涼しくなったと聞くが、果たしてどうなのだろうか。
六の記憶の中の百貨店は煌びやかなものである。化粧品や装飾具が所狭しと並び、店員がずらっと一列に並んで客を待っている。気になる商品を眺めていれば、店員が気をまわしてあれこれと準備してくれるという至れり尽くせりの買い物パーク。六は幼い頃に行ったきりで、記憶も朧気だった。
百貨店に近づくにつれ、人が多くなる。六は辺りを見渡しながら、案内板に従い百貨店への道をひたすらに歩いた。呼び込みの声があちこちから聞こえ、人の活気が六の気持ちを弾ませる。その場にいるだけでも十分楽しめるものだった。
「いらっしゃいませ。試食いかがですか」
自分に向け差し出されたのはウインナーだった。羊の腸に色々詰め込んだものだそう。あまり馴染みのないものだった。六の家ではかまぼこが使われることが多い。何でも祖父が歯ごたえが少なく柔らかいものを好んでいたため、祖父亡き後も艶の料理は祖父好みになっているらしい。
ウインナーをおずおずと受け取り、六は一口でぱくりと食べた。舌の上で薄い炭の味が広がる。お世辞にも美味しいとは言えない。こんなものを商品として販売しているのかと目を疑いたくなる。
そこら辺に設置されている広告を見ると、大々的にウインナーを宣伝しているものばかり。そこまで言うのなら、何か美味しいと感じさせるモノがこの腸にはあるのだろうか。六は覚悟を決め試しに噛んでみる。その瞬間、口に広がる肉汁。旨味が凝縮され、口の中の炭を一掃してしまった。
「あ、美味しい」
店員がニコニコと笑いながら、爪楊枝を回収していく。次々に爪楊枝を回収する手捌きとウインナーの衝撃から、暫くその場に立ちすくんでいた。人の流れが六を避けて左右に分かれていく。やがて我を取り戻すと、時計を見た。百貨店に来てから約三十分が経過していた。焦りを感じて六は、そそくさと調味料売り場に足を運んだ。
醤油に塩、ついでに砂糖とみりんも追加で。入れ物もついでに新調した。結果は、大重量。六一人でもつには重すぎる。店員にカートを借りたものの、運べるのは百貨店内のみ。外を出ると自力で運ぶしかなかった。
色々な思いが錯綜し、いったん外に出たものの六はまた百貨店に姿を現した。そして休憩スペースに向かって歩いていく。結局、六は暫く百貨店内で休憩することにした。外に出たとき、人の多さに気力が失われた。百貨店に出向く時点で覚悟していたが想像以上である。さらに買い込んだ重量感のある袋。疲れしかないこの状況で、六は一旦諦めることにした。
昼食の頃合いになると、自然と人の足は食事処に向くはずである。その頃になれば、体力も回復していることだろう。少しでも体力を温存していかなければ。六は隣に置いた買い物袋を見る。そこから顔を出すモノたちの重さといったら...
「人が多いわね…流石百貨店といったところかしら」
行き交う人々を呆然と眺めた。人それぞれ自分の好みに合った服装をしている。流石都会、流石流行の最先端である。どの店にも人が並んで、次々に捌かれている。
そんな人たちの中でも、ひと際気になる人たちがいた。数人マントのようなものを羽織る人たち。体を覆い隠すように着ているが、チラリと覗いた隙間からは軍服が見え隠れしている。六にとって見覚えのある服である。
詳しいことは知らないが、軍服だけでも階級があるらしい。六郎の説明は確かこうだった。
「軍の中でも当たり前に階級は存在する。トップが総督・指令。分かりやすくすると将軍かな。その下に何人か幹部がいて、幹部たちが統制する各管轄、部署がある。幹部がエリート、その下俺や壱が一般人...ぐらいに思ってもらえれば分かりやすいかも」と。
さらには所属している場所でも軍服が異なってくるらしい。ベースは同じでも装飾や色でどこ所属かが一目でわかるらしいのだ。
それに従って考えると、目の前の彼らは黒い軍服を着ている。装飾は少なく、機能性を優先しているように見えた。黒は確か...実働部隊の制服。血で汚れても気にならないように黒にしており、特殊な繊維で作られた軍服はその辺の刃物では傷がつかない。しかし汚れは汚れ。色を変えたところで血は落ちない。頑丈ではあれど汚れが浸透しきってしまうと全く落ちないので、困ったものだと六郎は嘆いていた。
実働部隊がなぜこんなところなんかに。もしや何かあったのか。軍服に身を包む彼らを眺めていると、その中の一人と偶然にも目が合った、気がする。急に首をこちらに回して、確かに視線が絡み合ったのを感じた。六は思わず目を逸らす。心臓がドクドクと忙しなく動いている。こんな人ごみの中で視線なんていくつもあるはずなのに完全にこちらを見ていた。真っ直ぐこちらを見た瞳が、酷く冷たく首筋にひんやりとしたものが宛がわれるように気圧された。
六はもう一度視線を戻す。しかし同じ場所には誰もいなかった。通り過ぎたのかと思い少し先も探すが、全く見つからない。全員の姿が丸っと消えた。まるでマジックである。
きょろきょろと周りを見渡していると、肩に手をポンッと置かれた。六は肩をビクつかせ叫びかけるが、それを口に手を当てられ塞がれた。
「ちょちょちょ!叫ばれたら流石にまずい!落ち着いて怪しいモンじゃないから!」
顔を上にあげ、声のした方向を見る。すると長いミルクチョコレートのような色の髪が視界いっぱいに広がった。髪のカーテンの中央、六の目と鼻の先に大きな目があう。さっきと同じその瞳を六はじっと見つめていた。
「ほ、ほんにひは(こ、こんにちは)」
口をモゴモゴとさせながら言った。髪の長い人はこんにちはと元気よく笑って返す。裏表のない屈託のない笑顔。美人と笑顔は最高の組み合わせだと知った。
「は、はのてほはなひてふれまへんは(あ、あの手を離してくださいませんか)」
口ごもって聞き取りずらかっただろうが、何か言ったことは伝わったらしい。髪の長い人は首を傾げてウンウンと何か頷くと手をポンと叩き合わせる。「あー!わかった!」と声を上げた。そしてようやく手を離してくれた。通じたのは嬉しいことだったが、そのお陰で人の視線を集めてしまった。
六が慌てて頭を下げて謝罪をすると、人の目は次第に離れていく。
「ごめん、ごめん。そんなに声デカくなるとは思ってなかった」
「そうですか。こちらこそ声を上げそうになってしまったのですから、お相子ということにいたしましょう」
髪の長い人は、軽々と六の荷物を提げてその場所に座った。相当な重さなはずで、細腕のその人物からは想像できないほどの力持ちのようである。思ったよりも重いなと漏らして自分の膝の上にそれらを置いているが、それでも大した負担には感じていない様だ。
その人はゴホンと一咳して、六にグイッと顔を寄せる。
「それで何の用?」
「えっと...?」
お互いに気まずい沈黙が訪れる。首を傾げ合い、お互いに相手の言葉の続きを待った。
六は相手の顔をじっと見て言葉を待っていたが、相手に話す気がないのを察して話題を探す。妙に馴れ馴れしい態度をとる目の前の人物は、六の記憶中ではであったことの無い人物。初対面だと思われる。しかし態度が態度だけに何とも切り出しずらい。
「私たち、初めまして...であってますか?」
「おん。その通りではある」
それでいきなり何の用って…こっちの台詞なのでは。色々言いたいことが出てくる。六は髪の長い人物の全身を隈なく観察した。
黒い軍服に、その上から羽織られたマント。白い肌に長い髪。髪は青みがかったブラウンの色で、肌を際立たせている。何よりも顔が整っていて、近いと緊張してしまう。
「だって君、俺たちのことじっと見てたから」
何か用があるのかなってと髪の長い人は話を続ける。見ていたのは事実だが、こんなことになるとは思ってもいなかった。
距離が近いと六が訴えると、髪の長い人は首を傾げどうして離れないといけないのかと聞いてくる。近いからです。それ以外理由がない。
六にとって目の前の人物は相性が悪いことが分かってきた。何ともデリカシーというものがない。人に興味があまりなく、感情の機微を読み取るのがあまり得意ではない様だ。六の中での好感度は、ガタ落ちである。同じ組織の人間でも、気遣いのできる六郎は貴重な存在だったのだと知った。
「コラ、六甲うううううううう!離れなさい!」
急に叫び声がした。次の瞬間目の前にいた人が浮く。否、首を掴み上げられていた。
「女の子をナンパするなんて最低な...本当に低俗!大雑把!仕事しろ!私のことを使用人だとか思ってんじゃねぇ!」
「最後の方はただの文句じゃねぇの...」
六甲と呼ばれた髪の長い人に怒っているのは、新芽のようなグラデーションの髪が印象的な女性である。六甲の首をこれでもかと締め上げ、次第に六甲の顔色が悪くなっている気もした。それでもなお、口は止まらずに文句を吐き続けている。間違いなく髪の長い人、六甲の知人。
六は慌てて女性を止めに入る。さっき散らした人の目が余計に集まってきていた。状況が状況だけに、事件と勘違いされても可笑しくはない。女性は六に目を遣ると、手を離し六に微笑みかけた。
女性は六話には耳を傾けてくれるようで、六は嫌々ながらにも口を開く。
「その、その人は悪...くないようなあるような」
六甲の潔白を証明しようとした六だったが。六甲の行動を振り返ると庇いようがない。次第に語気が衰えていくのを聞いて、女性が六甲を鋭く睨みつけた。一方の六甲は尻を打ったらしく、ボヤキながら擦っている。
女性_肥河は何やら不穏なオーラを放ち始める。そして低い声で、六甲の前に立った。
「やっぱりお前というヤツはあああああああああ」
そして先程までとは比べ物にならないほどの怒号を上げた。
。。。
事態は何とか収拾がついた。肥河が怒号を上げた後、騒ぎを聞きつけた仲間たちがやってきて仲裁をしてくれた。事の顛末を聞いた彼らは、もれなく六甲を叱り六甲はたん瘤を作り上げることになった。色々迷惑をかけた礼として、彼らは高級な車で六を自宅まで送り届けることにしたのである。
現在は六を届けてから、基地へと帰宅する途中。六甲は仲間たちにどやされていた。
「全く、六甲さん。いい加減にしてくださいっすよ。いくらもの珍しいもんがあったからって、いきなり消えて...かと思ったら、一般人に迷惑をかけてるなんて」
「はいはい。俺が悪ぅござんした」
「ちゃんと反省してくださいっすね」
六甲は首の後ろで腕を組み、空を見上げた。今日は偶々目に付いたのだ。遠目から見られていた女性に。注目されることには慣れていたはずなのだが、あの女性の視線は無視できなかった。
ついどこかで見たことがあると思い近づいたが、近くで見ると何となく思っていた印象と違った。六甲達を見ていた本人と何となく思い浮かべた人物は別人なのかもしれない。
六甲は六の推察通り、人にたいして興味はない。名前を覚えるのにも時間を要し、部下たちにも怒られる程である。それでも記憶のどこかにあったモノが、六を見た瞬間引っかかった。一体何だったのか本人でさえもそれの正体を知らない。
「次の任務は何だっけ」
「突如出現したっていう卵の駆除っすよ。自分の軍の予定ぐらい覚えてくださいって」
「無駄よ。このバカ隊長は技術しかのがないんだから」
肥河は眠ろうとする六甲の頬を跡が残るほどにつねった。
「こんなのがウチの隊の長なんて信じたくないわよね」