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カムトゥルー


 朝が来た。1日の何よりも面倒なこの時間は、人々を悩ませる。

 曇り空の下、街中に設けた訓練場に向かい走っていく隊員たちの足取りは重々しかった。開始時刻には隊員たちは全員集合し、訓練という名の扱きを受けた後、各々の任務のため散り散りに去っていく。

 訓練は比較的軽いものに終わり、隊員たちは額から流れる汗を拭い自室に戻った。そして5分後再び顔を出し、街の巡回をする。


「隈無く街中を見回ってこい。今日は要人が来るらしい」


六甲は隊員たちに号令をかけ、次々に持ち場につく様子を部屋から眺めていた。今日も今日とて第六隊としての任務は変わらない。

 ただ隊長としての六甲の仕事は次々に追加されている。先日の傷が痛むような気がするが、それはいつも通り。痛みを感じる間もなく、別のものに気を回せば良い。いつの間にか痛みには慣れるだろう。

 今日の予定を隙間なく詰めていると、六甲に近づく影が一つ。


「六甲、久しぶりネ」


書類とにらめっこをしていると突然ドアが開けられ、何人かの屈強な隊員たちが六甲の部屋に雪崩れ込んでくる。六甲よりも筋骨粒々な隊員たちは顔も名前も知らないような男ばかりで、澄ました顔をし主人の到着を待つ。

 六甲はため息混じりに資料を机に置いた。隊員たちをこんな風に扱えるのは、特殊部隊の中でも限られた人である。隊長クラスの人間、もしくは司令官。

 男たちが横にはけると、奥から顔を出したのは露店で買ってきたものを両手にぶら下げた特殊部隊司令官_アカネであった。


「それほど久しぶりではないだろ。司令官サマが直々に顔を出すとは何事だ」

「そうネ。オマエの言う通り、何事もなければこんなことをする必要はないネ」


袋に入った何かしらの芳ばしい匂いが部屋に立ち込める。気にした様子もなく、アカネは護衛にそれらを預け、部屋にある椅子をスルーして六甲の膝上に座った。お互いの息がかかるほどの距離。

 六甲はアカネと顔を合わそうとせず、ただ真正面を眺めていた。


「ただし、少し気になることを聞いたネ」

「気になること?」


 アカネの指が六甲の前髪を持ち上げる。動作一つ一つが妖艶で、官能的。その様相を崩さず、アカネは六甲の耳元で六甲の名前を囁いた。


「…命令違反もほど程にしなければ、本当にあの娘の命は無いわよ」


ピクリと反応した六甲はアカネと顔を合わせる。六甲と目が合うと、アカネは愉快そうに微笑んだ。辺りに殺気が立ち込め、屈強な男たちは空気に圧倒される。


「…なんの話だ。いつも通りに任務をこなす俺には心当たりはない。それにあの娘とは誰のことだ」


六甲の声色はいたって平生通りである。ただ鋭い殺気が暴れ出ていた。収まるところをしらず、実力を見せつける。


「…その立場でいるならそうするといいわ。でも、後悔するわよ」


アカネは六甲を恐れることなく、飄々としていた。身軽に六甲の膝から降りると、露店で買った肉を頬張る。タレが床にシミを作った。


良いこと(アドバイス)を教えてあげましょうか、六甲」

「あっそ、放っとけ」


六甲は茜の言葉に聞く耳を持たず、アカネの言葉を一刀両断する。

 六甲にとってアカネの口から聞く言葉は大概である。今回の休暇然り、以前の運搬然り。全て何かしらの思惑が絡んでいると睨んで間違いない。上司命令と言われない限りは、従うかどうかは自分で決める。そういうことにしている。


「聞いた方が得をすると思うネ」

「聞いて得をしたと見せかけて、踊らされるのは俺だろ」


 アカネは詰まらなさそうに口を尖らせた。だが六甲がいつもより冷たいのは想定済である。隊の中で何かあれば全てアカネの耳に入ってくる。どれ程どうでも良いことでも。


「聞かなくても良いってことは確認したネ」


 何か考えたアカネは余裕そうに笑って、足取りを軽く部屋を出て行く。護衛が大忙しで追いかけるのを六甲は見送った。

 台風一過。六甲は力を抜き椅子の背凭れに体を預けた。置き土産に大量の書類と芳ばしい香りを持ってきたのは許せないが、さっさと帰っていったのは嬉しい。


「いつかアンタ首を斬られるわよ。文字通り」

「人間いつか死ぬんだ。それが後か先かって話だろ」


入れ替わるように部屋に足を踏み入れる肥河は、大量の書類(置き土産)に顔を歪めた。これも一種の罰なのだろう。休暇という話は何処へ行ったのだろうか。


「…やさぐれたな。スマン」

「少なくとも昨日のアンタには今のそれは無理。今もギリギリっで、やさぐれてる感じだけどね。昨日の干からびてる六甲よりはいいと思うけど」


肥河は六甲の世話に慣れきっていた。いつもはなんとも思っていないことでも、精神の疲れが出たときには大ダメージになる。それは六甲も例外ではなく、使い物にならないほど動けなくなることは知っている。そのため、今回も対して慌てなかった。

 だが、新人たちに説明することをすっかり忘れていたことは失態であった。ここ最近疲れた様子を見せないため勘違いしていたが、ただの痩せ我慢だったらしい。新人たちが慌てる様子をみて不思議に思い駆けつけたところ、既に田中が対処に当たっていたのである。


「感謝しなさいよ、新人ちゃんたちに」

「分かってる」


大量の書類に目を通していく。肥河の目に映る六甲は万全を装っているようにしか見えない。一度弱るとトコトン弱る男である。隊員たちの前では虚勢をいくらでも張る癖して、気の置けない人に対しては弱い姿を見せる。

 黙々と作業をする六甲を眺めながら、肥河は深くため息をつく。


「今日はどうするの。六甲も巡回に出るの?」

「今日はパスで。俺も仕事があるからな」


六甲は親指で書類の山を指す。気分転換にと思ったが、そうは上手くいかないらしい。


「そうね。それを終わらせてから、また考えましょうか」


肥河は後々楽になるように手を動かした。





手品師さん(マジック)、大丈夫?」


気が付けば我が子たちに囲まれていた。鼻水を啜りながら、ホロホロと涙を流す様子を見て、次第に目が覚めていく。


「大丈夫ですよ。何せ、私は人間ではありませんので」


体を動かせば削れる音がする。あの妙な男に斬られた部分が深く削れているらしい。

 言った通り、この体は人間ではない。生まれたときから、手品師(マジシャン)となるべく存在していた。人を喜ばせるため、笑顔を守るためにしか、生きることを許されなかったのである。


「でも、怪我してるよ」


我が子たちが騒ぐ中、我が子の中で年長の総太(そうた)が率先して世話を焼こうとする。しかし人間ではない体に出来ることは限られている。だが総太は懸命に考え、布を巻いて出来るだけ摩擦を減らそうとした。


「これぐらい、どうということはありません」


体を起こすと、また破片が飛び散った。肌に見える表面さえも、実は破片の集合体で削れても痛みはない。総太が焦ったように手品師に肩を貸す。必要はなかったが、手品師は好意に甘えた。

 子供たちを手品師お得意の手品で慰めた。ちょっとしたことで笑顔を見せてくれるのだから、扱いやすいことこの上ない。


「これからどうするの?」

「私はもう街には戻れませんから、我が子たちは帰りなさい」


もう一度街に戻ろうなら、手品師は今度こそ消されてしまうだろう。ひっそりと暮らしていても何処からかバレるのだから、それならば最早人から遠い場所にいるべきである。

 だが、それは我が子には関係のないこと。勝手についてきたとはいえ、もとばといえば手品師が懐くようにしつけた子供たちであった。使えるであろう手足とするために教育してきたが、このまま連れていてはいつか足手まといになってしまうだろう。

 我が子たちは泣き喚いた。先程泣き止んだばかりだというのに、何が気に触ったのか理解できなかった。


「そんなこと…言って欲しくないんだよ。手品師…僕たちも連れていって欲しいんだよ」


総太は聡明な子供であった。泣いても周りの人々は自分のしたいことを察してくれない。言葉にしなければ伝わらないということを悟っていたのである。

 手品師は首をかしげる。さらに一段と理解できないことである。


「慈悲など要りませんよ。私は食わず飲まずでも生きていけますが、我が子たちは違うでしょう」


人間には食欲・性欲・睡眠欲があるという。それらを満たせるかどうかも怪しい生活に堪えられる保証はどこにもない。手品師と我が子たち両者にとって、不利でしかない。


「それでも良いんだよ、手品師。僕たちは手品師が良いんだ」

「私は人間ではありませんよ。私は我が子たちの親になることはできません」


まともに会話出来ていた聡太まで涙ぐむ。


「親なんてどうでも良いんだ。僕だって、両親はいない。一人歳の離れた兄と妹がいるだけなんだ」


聡太の頬に涙が伝う。喉を震わせながら、聡太は懸命に言葉を捻り出す。


「手品師、お願いだから僕たちを一人にしないで」


聡太は話せないほどに涙が流れ、鼻を啜る。聡太が泣き始めると、我が子たちはさらに声を上げた。

 手品師は心をざわつかせながら、目的のないまま手を伸ばした。何故かこうするべきだと体が動いたのである。布を巻いて保護したはずの亀裂が嫌な音を立てる。もうヒビの入った心臓(コア)が、熱を持っているように感じた。


「私は…人間ではありませんよ。それに我が子たちよ、私は我が子を人として…立派な人間にしてあげられるとは限りません」


 出会いは裏路地だった。手品師は深い眠りについていた。

 ふと騒がしさに目を覚ましたところ、子供たちがひもじさのあまり泣き喚いていた。大人たちは子供たちを黙らせるために暴力を振るう_あまり良い状況とはいえなかった。

 手品師は子供たちを泣き止ませるため、タネしかない手品をして見せた。すると子供たちはまるで宝物を見つけたと言わんばかりに喜び、手品師にもう一度とせがんだ。

 初めての披露は一人の観客だった。だが、次第に人数が増えていき、今では大所帯、表の子供たちまで観客に来るまでになった。

 手品師は笑顔をみると思い出すのである。目が覚める遥か前。自我が生まれる前に人の手によって大切にされてきた。手品師の前で人は自分の身形を整え、笑顔を見せるのである。それが何よりも嬉しかったことを。


「それでも良いんですか」


我が子と呼び始めたのは、偶々だった。光の世界から来た子供と暗闇の世界_裏路地に住む子供たちを区別するために呼んだだけ。その区別がなくなり、やがて一つの我が子になった。


「…我が子たちよ」


声が震える。道具として生まれたら、道具として死ぬしかない。いつか寿命が来る。心臓のヒビをみる限り、すぐには死なないだろうが、終わりは来る。我が子たちと手品師の競争だろう。


「いいんですか?…私は世間一般では忌むべき存在。そのような物と居ては、我が子たちも」


我が子たちが四方八方から手品師を抱き締める。破片で頬が切れているにもかかわらず、手品師に頬を擦り寄せた。

 手品師の体は熱い血は流れていないし、肌も顔も全てが偽物、作り物である。目に見えるそれらは、手品師にとっては人間の真似事に過ぎなかった。


「ああ…矢張人間は愛おしい。いつか滅ぶと判っていても、傍にいたい」


猿真似が本当になった。

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