リフレクティング
「未葉隊員は無理しなくて良い。さっき恐ろしい目にあったばかりだろ」
「あれぐらいどうと言うことないです。犬も歩けば棒に当たると言いますし」
「…未葉隊員、今日は厄日か」
田中がそれを言うと洒落にならない。悉くフラグを回収してきた田中は、歩く爆弾である。彼が言う悪い予感は大概的中した。
敵にも使えれば新たな武器になるが、これがまた上手くいかない。何時も途中から外れてしまうのである。
「心配はありがたいですが、よくよく考えると気の所為だったのかもしれないですし」
事情を話して曰共に話を聞いたが、全身黒づくめの人物は宿泊していないという。件の間にも誰も来ていないと話していた。
どこにも姿を見せない、六だけが見た人物。すれ違う六甲すら見ていないというのだから、あれは幻覚。全て夢だったと思うのが辻褄が合う。
六は自身が寝惚けていたと思い込むことにした。あの低い声も、抑え付ける力も全てまやかし。だが忘れようとすると、余計に鮮明に頭の中をあの姿が駆け巡った。
ふと辺りを見回せば耳朶を打つ低い声が、すぐそばで聞こえた気がする。過ぎ去っていく足音すらしっかりと。1時間すら会っていない人物のことをこれ程覚えられたのは始めてだったと思う。
次第に血の気が引いていくが、六甲たちに迷惑はかけられないと堪えた。
「何かあったら言えよ」
置丹にそう語りかけられ、六は首を縦に振る。意識してしまうからこそ、考え込んでしまうのである。指先が冷える感覚を感じながら、六は指先に力を入れた。
いつまでも怖がっていると思考が鈍る。一瞬の迷いが死に直結するのだから、全てまやかしだと思い込む。迷う必要はないのである。
だが、頭の片隅では黒ずくめの人物が過っていた。忘れてはならぬというように、記憶の中に根を張っていた。
その根はやがて心臓まで届くことを六は知る由もなかった。
六甲は六が飛び込んでいった部屋の手前で左折し、両開きの扉の前に立つ。木製でありながら、凝った装飾が目についた。
扉に手を掛け、ゆっくりと押し開けると中はほの暗い雰囲気が広がっていた。足元までも暗く、一寸先は闇。
六甲は迷うことなく足を動かし、部屋の中に進んでいく。従うように、六たちも足を動かした。
皆が足を踏み入れたことを確認すると、六甲は扉を閉める。唯一の明かりが閉め出され、部屋の中は暗闇に包まれる。
「隊長、真っ暗になった」
「田中、それはみんな分かるだろ」
田中の天然が炸裂するが、誰も笑うことはない。置丹は手探りで明かりのスイッチを探そうと、辺りの壁をペタペタと触る。
ふと置丹の視界に何か動くものが映り、目で追うと人がこちらを見ていた。驚き体を震わせると、相手も同じように動いた。よくよく見ると、それは鏡に映る己であった。
「そういえば、周りに鏡があるから気を付けろよ」
遅すぎる六甲の忠告に、皆が返事をする。置丹が鏡に向き合うと、鏡の中でも同じように体を操る。暗い部屋では実物の人間と区別がつかないほどにそっくりであった。
六甲たちが足を踏み入れている部屋には明かりはなく、ただ鏡が壁や天井を覆っていた。唯一床を覗いて、部屋の住民の一挙手一投足は鏡で繰り返されている。"魂の宿"の噂、真の自分とは鏡に映る姿を表している。
「こんな部屋…本当に気が狂いそうですね」
夢野が思わず呟く。夢野の口の動きも鏡で映し出されていた。そしてそっくりそのまま鏡の夢野も動く。
「気が狂ったっていうヤツの噂は聞くが、確証はない。元から狂っていただけかもしれないし、ここで狂ったのかもしれない」
六甲が屁理屈を述べて、分厚いカーテンを開けた。明るい日光が部屋に差し込み、部屋に光が灯る。次々に鏡に反射し、部屋が瞬く間に白く染まった。
「この宿の名物、真実を映す鏡。どんなに上手に化けていたとしても、光が灯った鏡には本当の己しか映らないんだとさ」
まあ、変なものが映ることは早々ないと言うと六甲はカーテンを閉めた。しかし視界は暗闇に包まれることはなく、仄かな明かりが鏡から発されている。
「ある鏡は見た目は普通の鏡だが、太陽光に晒されると、本当のことしか映さなくなる。太陽光に晒す前は嘘ばかり映すとかなんとか…本当かどうかは知らないが、そんな鏡が集められているんだ」
六甲はそう言いながら、鏡をペタペタと触る。指紋を付けて怒られないか心配で、ヒヤヒヤするのは六である。
「集めているのはあの曰共さんですか?」
六が問うと、六甲は首を横に振る。コレクターは曰共の父親らしい。六甲もお世話になった気の良い人物だったが、面白いものに目が無かった。曰く付きのものばかりを好み、実際に呪いを受けているが本人はちょっと運が悪いとしか捉えていなかった。
「まあ悪いヤツじゃなかったが、良い意味でも悪い意味でも周りを巻き込むヤツだったな」
曰共の父親について話す六甲は穏やかな口調だった。言葉だけでなく実際に良い人だったと思っているようだった。
だが、いくら平穏なムードを醸し出していても六甲のことを侮ってはならない。ふと目を離すと、とんでもないことになっていたりする。
何か少し呟く声が聞こえ、振り返る。すると慌てる夢野と倒れる鏡が目に入った。六甲が助けに入ることで持ち直し、鏡はもとの位置に戻る。
ホッと一息つく六であったが、不意に肩を強く叩かれた。肩を跳ねさせ、そちらを向くと田中が六の目と鼻の先に迫っていた。
あまりの近さに六が一歩下がると、田中は一歩六が下がった分を踏み出した。
「どうして近づいてくるのですか」
「…逃げるから」
それは田中が近いからである。また離れると、田中は壁まで六を追い詰めた。
「一体何ですか!」
「…近づいただけで逃げるからだろう。ただ未葉隊員と近づきたいだけだ」
「どうして!私は田中さんを不快にさせることをしましたか」
田中は別に何もないと言う。なら、この距離の詰め方は異常である。
六が何とか距離を稼ごうとすると、救いの手が差しのべられた。
「田中、それぐらいにしてやれ。あんまり距離感を詰めすぎると嫌われるぞ」
救世主置丹は、田中の肩に手を置く。田中は納得したように頷くが、「だが」と続けた。
「足踏みだけでは何も進展しないだろう。距離感はどうやって詰めるのが正解だと思う、置丹」
何故か置丹は胸を抑えて跪く。田中の言葉は置丹の何かしらの傷を抉ったらしい。
「…ゆっくり、ゆっくり近づくとかどうだ?」
瀕死状態の置丹は何とかアドバイスを絞り出した。ゆっくりならば特段驚くこともないだろう。声をかけてくれれば、何の不満もない。
置丹の助言を聞いた田中は、考え込んだ。そして閃いたらしく、六の方を向いた。
「近づくということは、仲良くなるということだ。つまり、後で2人で買い物に行こうと誘っても良いか」
どうしてそうなった。思わず突っ込んだ置丹の声は大きかった。
田中のことは嫌いではない。運搬任務から仲良くなった訳だが、距離感のバグが凄まじいことが後々発覚している。距離感が近いということは、田中から好意的に見てもらえているということで嬉しくはあるが、流石に近すぎた。
「ま、まあ、良いですよ。明日の下見を予て」
明日に夢野と約束があるが、その下見にはちょうど良いと思った。初見で歩き回るのは楽しいが、完璧にエスコートして相手を楽しませるのも悪くないだろう。決して六甲の気を引けるかもと、打算した訳ではない。ちょっとはしたかもしれないが。
置丹はため息を付き、意外なことに付いていくと名乗り上げた。普段なら行ってこいと放任されるというのに、珍しいことも旅先では起こるらしい。
「お前たちが暴走したら止めるヤツがいないだろ」
失礼なことを言われ、六はそんなことはないと返した。ならばと、置丹は運搬任務での敵を利用した飛び道具式移動法を指摘する。それについてはぐうの音も出ない。だが、それは田中が実行したことであり、六は被害者と言えるだろう。
「任務に行く度に大怪我で救護室に運ばれているヤツに何か言いたいことがあるみたいだな」
「ナニモナイデス」
強いて言い訳するなら、六もしたくてしているわけではないことしかない。
置丹は六を挟み込むように、田中の反対に立つ。まるで要人警護の気分だが、緊張することはなく口は良く動いていた。というよりは、無理矢理にでも動かさなければならなかったが正しい表現だろう。
視線をずらせば、鏡に置丹が映り込む。その隣には田中が立ち、話に相槌を打っていた。あまり表情が動いておらず、相変わらず聞いているのか疑いたくなる仏頂面である。
「お前ら、行くならさっさと行ってこいよ!集合時間には間に合うようにな、報・連・相だぞ」
六甲に敬礼をして、田中と共に六に歩幅を合わせて移動する。気を抜けば追い越してしまいそうになるのだから、ペース配分が求められた。
置丹が田中の話に乗ったのは、2人で行かせることが心配なだけではない。その気持ち半分、もう一方といえば六のことである。
置丹は見てしまったのである。田中が親しげになるためにと言って、六を追い詰めているときに。田中が邪魔をして直接六がどのような表情をしているか分からなかったが、ふと天を見上げたその先に。田中が追い詰めた先には誰もいなかったことを。
驚きで声がでなかった。夢か現か、これは夢ではないかと目を疑う。もう一度確認するが、矢張誰もいないのは変わらなかった。
_ある鏡は見た目は普通の鏡だが、太陽光に晒されると、本当のことしか映さなくなる。
つまり、どういうことか。六が実体を持たない幽霊とでも言いたいのだろうか。しかし六には触れられるし、皆の目に映っている。声までも聞こえれば、これは幽霊・幻覚の類いではない。
田中の肩越しに見た六は生きていた。だが、その背後にある鏡には何も映っていない。田中はしっかりと映っている。己の顔も確認できた。だが、何の妨げもないはずなのに六は何処にも確認できなかった。
田中の肩を掴み、六の注意を己に向けた。田中が真っ先に気付いて六の注意を引いたのだとすれば、それは策士だろう。残念なことに田中の予想では建前がそっちで、本音は六とただ遊びに行きたかっただけだと思う。
田中が防ぎきれない六の視界を置丹は埋めるように立った。助けを求めて六甲の方を見るが、当の六甲は夢野と鏡についてあれこれ離していた。肝心なところで使えない隊長である。だが、2人の姿は確認できた。
姿が見えないのは六だけであり、本人は気付いている様子はなかった。今まで六は怪しい様子を見せたことは全くない。寧ろ一目を引いたり、無茶をして監視されるような性格。とてもじゃないが、人の目に映らないような存在には思えなかった。
それはそれで、あれこれと問題を巻き起こすのはやめてほしい。そう思いながら、ため息をつく。入隊してから、何度目のため息だろうか。
「付いていく」
気が付けば、そう口にしていた。
田中がどれぐらい事態を把握しているか知りたい。人目を避けるのであれば屋内だが、宿内ではどこに人がいるか分からないため、密会には向かない。ならば、堂々と外でしてしまえば良い。雨が降れば、雨音で声が打ち消され最高なのだが、晴れ渡る空をみれば望み薄だろう。
報・連・相だなんだと話す六甲を人睨みする。夢野は此方を見ていなかったが、六甲は確実に六を見ていた。恐らく、六の異変に気がついた。だが、何か言う様子はない。
遊んでいるのか、何か考えがあるのか、勉学に勤しんでこなかった置丹には計れない。だがふと目があったとき、口許を意味深に歪めていた様子を見ると前者としか思えない。
「信じられないな」
仲間であっても。




