アナザーエピソード
自分の身代わりになって、のほほんとしている置丹は腹立たしそうな顔をした。一方の六は何でもなさそうな表情をして、置丹はその表情が気に入らなかった。
置丹が六を初めて認識したのは、入隊日。詳しくは基地についてから半日たってからのこと。置丹が送迎車にたどり着くと、座る場所がなかったため、仕方なく運転手の隣に腰を下ろした。少し派手な隊服に、少し長く伸びた髪。目があまり良くないのか眼鏡をしていた。その運転手はあまり特殊部隊に所属しているとは思えない優男だったのを今でも覚えている。
運転手は特に注意する様子もなかったため、置丹も良かれと動く素振りすら見せていなかった。やがて車は全員が乗ったことを確認すると、ゆっくりと走り始めた。
車内は誰一人、口を開くことはなかった。これから死にに向かうようなものだから、誰もが口を開くような気分でないのは当たり前である。置丹も話すようなことは思い付かず、ただそとの景色を眺めていた。
町中から段々と離れ、人の姿もまばらになってく。そうすると増えるのは、乞食。その日の食事も危ういような人にもなれぬ人。憐れだと思うかと聞かれれば、そうではないと答える。苦しいのは生きている証拠であり、その人が懸命に生きようとしている証である。
どれだけ侮辱されても、蹴られても、良いように扱われても。止まることは許されない。泥水だろうとなんだろうと啜って生きるしかなかった。自分が止まれば、弟や妹はどうなる。その日暮らしの生活に耐えている、健気に生きようとしている彼らは、自分が生きるのを止めた途端に、死んでしまうだろう。そのために置丹は体を売ることもあった。全ては生活のため、使えるものは使った。置丹は自分の生だけを背負ってはいけなかった。
「可哀想にな」
車に手を伸ばす子供を見て運転手が呟く。憐れむような言葉。だが言動は言葉と異なり、目の前を通り過ぎていった。
「何が可哀想なんですか?」
少し言葉にするなら、イラっときた。理解しようとするくせに、自分たちの尺度でしか見ることができない一般人。憐れみが助けになると信じて疑わない。一回の恵みなんてたかが知れており、すぐにまた苦しい世界がやってくる。
取り憑くようにいつもの営業スマイルを運転手に向けると、何も知らない運転手は乾いた笑いを漏らした。
「不快にさせたならすまない。ただ、ああいう姿を晒すことが可哀想だと思って」
その言葉を聞いて、置丹は矢張り腹立たしく思った。
その姿を晒さなければ生きていけない。神はいないと悟ったら、自分が生きるためには何でもしなければ生きていけない。生きていくことを許されないと戒められるのである。自分を庇護してくれるような凡人がいたら、利用して生き残るしかない。その姿が可哀想の一言で表されるなど、信じられなかった。
「そうなんですか?俺は当たり前だと思いますけどね。醜態でも何でも、喜んで貰えるなら晒します」
「…人間の尊厳なんて立派な言葉があるが、その尊厳ってなん何だろうな。国のためになんていう大層な尊厳を守って死ぬのはいいことなのか、その尊厳のために人を殺すのは尊厳を傷つけていないということなのか不思議でたまらない」
話がかみ合っていなかったその運転手の言葉は下手を打てば不敬罪に当たるだろう。だが、的を得ているような気がした。
「それは特殊部隊に仕えている身として言っていいことなんですか」
「本当はダメなんだろうな。人のためになんて大層なことを掲げているが、本音はみんな自分のことで精いっぱいなんだよ。それに今の部隊の大将はそんなことを気にしていない。あの人が考えるのは、命の正解について、のみ。命がどこで生まれたどこに向かうのかを知りたいんだとさ」
「そんな哲学者みたいな人がトップで大丈夫なんですか」
運転手とは少し話をした。他愛のない話であるが、気が紛れるような気がした。これからのことを思えば、これが最後の普通の会話と言えるのかもしれない。
運転手に見送られながら基地の中に入り、なんやかんや説明を受け宿舎に入っていく。先輩隊員に一通り場所の紹介を受けて、自室に向かった。扉を開けた先には、一般家庭のような部屋。レンガで出来ているかのような壁紙が張り巡らされており、机とタンスは木製、ベッドはフカフカ。隊服と数枚の室内着も用意されており、部屋の壁に掛けられていたのは綺麗なデザインの壁掛け時計。
つい最近まで飢える暮らしていたとは思えないような豪華な部屋が広がっていた。着ていた服を脱ぎ、室内着に着替える。不思議とサイズはピッタリである。質素なデザインで腕や身体は動かしやすく、そして何より伸びが良かった。上質な生地で作られているのだと、学のない置丹でも分かった。
置丹は体を動かすと、部屋の壁に掛けられていた時計を取る。そして中に入っていた電池を抜き取ると、素早く時計を着ていた服で覆った。思ったよりも時計が大きく、時計がはみ出る。しかし大きな傷がつかなければ良しと判断した。電池はタンスの奥にしまって、部屋にある大きな窓の外を覗いた。
宿舎自体、基地の端に位置している。窓の外には隊員たちがチラホラ見えるが、廊下に設置された方には人影がなかった。宿舎の反対側は手入れはされているが、道が狭く人が通るような場所ではなさそうである。宿舎には隊員たちがいるため、お互いのことを監視しているかもしれないという緊張感があり下手なことをする隊員は少ないのだろう。警備が薄めだった。
置丹は覆った時計を持ち、部屋を出ようと扉に近づいた。そのときである。
「凄い煌びやかな内装ですね。お金かかってそう」
「そう。寮っていうのはお金が掛けられてます。だって人生最後かもしれない時を過ごす場所なのだから、最後ぐらいは豪勢なところに住みたいじゃないですか」
女2人の話し声がした。ドアノブに伸ばした手を引っ込め、代わりの耳を扉に密着させた。女たちは置丹に気付いた様子もなく、置丹の部屋の前を通り過ぎていく。
心臓の音がいやに聞こえた。もし鉢合わせていたら、怪しまれていたかもしれない。女たちが通り過ぎたのを確認すると、置丹は音をたてないように部屋を出た。そして窓から外に出て、基地の外に出ると適当な茂みに隠れ地面を掘り、そこに時計を埋めて隠した。部隊をやめるときに、持ち逃げするためである。そうすれば隊員としての仕送り分だけでなく、ちょっとした小遣いにはなるだろう。1つや2つ、モノが亡くなっても気付くような隊員はいないだろうし、何よりそんな暇はないはずである。
しっかりと埋め立てると、置丹は分かりやすくするために石と土で目印を付けた。念のため、いくつかのダミーの用意も忘れずに準備しておく。泥だらけになった手を服で拭い、何事もなかったかのように部屋に戻ろうとした。しかし、身体が上手く動かなくなってしまった。ふと視線を感じたのである。
どこかの誰かが自分を見ている。置丹は自分をよく見せるために、人の視線には敏感であった。視線は人がどこを見て、何を求めているのかを安直に教えてくれる。言葉で騙せていても、視線だけは騙せない。目は口程に物を言うという言葉はあながち嘘ではない。
顔を上げると、そこには女がいた。年端もいかないように見えるが、│特殊部隊に来るぐらいだから同じぐらいの年齢ぐらいなのだろう。いかにも純粋そうな目をしていた。いつから見られていたのか、一部始終を見られていたのだろうか。もし上に報告でもされれば、置丹は一巻の終わりである。冷や汗が流れた。折角の金づるを早々に捨てるわけにはいかないと思った。
女は何を考えているか分からなかった。ずっと微笑んでこちらを見ているだけ。何か害をなそうという素振りを一切しない。やがて呼ばれたらしく、振り返るとそのまま戻っていった。置丹は不安感が拭いきれず、緊張感を感じたまま部屋に戻ることになった。後始末はしっかりと行っておいたのは我ながらナイス判断だと思う。
意外に思ったのは、そのあとすぐに女に再会したことである。部屋に戻って、ベッドに寝転がっていると、突然扉がノックされた。頭の中は女をどうやって黙らせるかでいっぱいで訪問客のことは煩わしく思っていた。
今日1日の記憶を思い出したが、例の女はどの人間とも一致しなかった。第六所属でないのか、はたまた外部の人間なのか。最終手段は女を捕まえてハニートラップを仕掛けるか、最悪暗殺である。
扉をそっと開けると、2人の女がいた。一人は夢野。同じ第六所属で、軽く話した。少しヒステリック気質があるようだ。とにかく騒がしい。
問題はもう一人の方である。
「お休みのところ、申し訳ございません。諸事情で皆さんに自己紹介できず、今頃になりましたが自己紹介にして回っています」
お淑やかそうに笑うのは、先程こちらを見ていた女である。女は置丹に気付いていないのか、ワザと気付いていないフリをしているのか不明だが、相も変わらず純粋そうな瞳をしていた。
「…宜しく頼む」
少しぶっきら棒になったが、少し間を開け遅れて返事をした。不自然だったかもしれないと夢野の様子を伺ったが、夢野は変なそぶりを見せず置丹と女を見ていた。
その後数分世間話をした。女は特に何も言い出さず、本当に軽く世間話をして切り上げた。これから隣の部屋に訪問に行くのだという。最初から最後まで、先程のことには触れなかった。かといって脅す様子もなく。もしかすると見られていなかったのかもしれないと思うほどである。
夢野たちに別れを告げてから扉を閉め、壁に背中を預ける。ゆっくりと脱力すると、身体が屈んでいった。腕で視界を覆うと、見られた女と先程訪ねて来た女の顔が浮かぶ。別人とは思えないほどそっくりに思える。
置丹は大きくため息をついた。さっきの女は何と名乗ったか。ああ、そうだ。
「未葉六...」
油断ならない相手だと思った。




