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ビクティム

「じゃあ、発表するぞ」


その場が静かに、六甲の言葉の続きを待った。訓練場には第六隊しか居ない。朝練をしている人の姿もなく、現実から切り離されたようだった。

 六甲は手に握っていた書状を広げる。そしてサラサラと目を一通り通す。その表情は変わらず同じ。10秒も経っていないだろう。たった数秒で今日1日の元気が失われていく。

 上空を鳥が飛んで行き、爽やかな風が吹き抜けた。


「…任命されたのは、置丹。お前だ」


第六中の視線が、1人の人間に集中する。置丹は余裕そうな笑みを浮かべて、意気揚々と頷いていた。六の周りではホッと一息つく隊員たちが見える。

_自分ではなくて良かった。まだ生きていられる。

 六は任命されず、心が軽くなった。だが、すぐに嫌悪感に包まれる。自分はなんと醜いのだろう。自分でなくて良かったとは、他の誰かなら良かったということ。自分のことを可愛がるあまり、他人の不幸、犠牲を喜んでいる。自分じゃなくて良かったのか、本当にそうなのか。むしろ自分のほうが良かったのではないか。

 その場で異議を唱えることは叶わず、六はその場で拍手をした。任命された置丹(勇者)が誇れるように、命を雑に扱わないように。

 あれだけ大騒ぎしていた任命者発表はあっという間に終わった。六甲が置丹を指名し、激励という名の慰めをして、それで皆で拍手をする。万歳、勇者万歳_と。

 それからすぐに日常が戻ってきた。いつも通り走り込みと組み手。そして任務をこなす。大したミスはなく、怪我人は少数。六も擦り傷を負っただけで、次の日には完全に癒えていた。

 発表された日の夜。眠れず、六は共同スペースに座っていた。辺りには誰も居ない。暗いため適当に付けた蝋燭の火がユラユラと揺れていた。

 外からはシンシンと雨が降る音がする。湿っぽいニオイと、原因は色々あるであろう鉄臭いと、窓を叩く雨の音。それと六自身の呼吸音。蝋燭が灯す微かな明かりが、六の心境を表していた。


「本当に良かったのかな」


思い出すのは、今日の朝。置丹が指名された瞬間。ほんの一瞬、置丹の瞳から何もかも消え失せてしまっていた気がした。絶望に染められた瞳は、希望の光を見ることなく、足元に迫る死を見ていた。


「明日、どうにかならないか聞いてみようかな」


もしかすると、どうにかなるかもしれない。置丹が犠牲にならなくて良いかもしれない。置丹とは仲は良いとは言えない。しかし折角同じ第六に所属して、仲良くなり始めたところ。これからではあるし、悪い人ではないと思える。それに、六が所属してからここまで犠牲者ゼロの記録。その記録を破りたくはなかった。

 火を眺めながら、明日の予定を雑に考えた。


「下手なことはしない方がいい」


ふと足音と共に床が湿っぽく軋む音がした。六が廊下の方を向くと、寝間着姿の話題の人物_置丹がいる。その手には六と同じように、蝋燭が乗せられた皿が握られていた。

 置丹は断りもなく、ドカリと六の隣に腰を下ろす。少し埃が舞った。


「…余計なことはしなくていい」


六の呟きを聞いていたらしい置丹は、ポツリと漏らした。その声はか細く、震えているようにも思える。


「余計なことじゃない」

「誰がどう考えても余計なことだ」


六は言い返すと、立て続けに置丹が口を開いた。少し乱暴な物言いで。


「俺が任命されたんだ。俺がいかなければならない」


六は何も返せなかった。手元に視線を落とす。


「それはそうかもしれないけど…怖くないの?」


圧し殺していた本音を六は、か細い声で吐き出す。置丹の肩がピクリと動いた。漸くして、置丹は口を開く。


「…俺だって行きたくない。だが、だが、俺が行かないと、誰に、一体誰に頼めばいいんだ!」


悲痛な声。きっと置丹の本音だと感じた。あの場所では余裕そうに振るしかなかった。置丹は力強く机を叩く。蝋燭が一瞬宙に浮いた。


「誰に…誰にどうか俺の代わりになってくれって、俺の代わりに死んでくれって!なあ!」


置丹は力強く六の肩を掴む。興奮しているようだった。未成年とはいえ、男性の本気の握力に六は顔を歪める。

 六が見た置丹の瞳は揺れていた。水の幕が目全体を多い、揺らぎ、そして溢れだそうとしていた。


「ここにはいいヤツらばっかりなんだ!そりゃ面倒だと思うことはあるが、それも一瞬のことで、俺を俺として見てくれる。

もう体を売ることは無いんだ!給金さえ貰えれば、弟も妹も苦しまなくてすむんだよ!」


置丹は人生を振り返り、何も残っていなかったことに最近気付いた。人と人の間をくぐり抜け、なんとか生活をしてきた頃。騙されて金を失い、その日の生活を無事に乗り越えるため、初めて置丹は体を売った。才能があったらしい置丹は、金を稼ぐことが出来たが、人生を虚しく思っていた。

 そんなとき、偶々見た赤い紙。人生を抜け出すきっかけになるかもと全てをかけた。たった一枚の薄っぺらいものに。


「生きたい、生きたいさ!どうにかして逃げ出せないかって何回も何回も考えた。でもそんなときに思うのは、自分の代わりに犠牲になるヤツらだ!

俺は死にたくないし、俺の代わりに誰かが犠牲になるのも嫌なんだ!」


置丹は六の肩を強く揺さぶった。夜のため、潜めていた声はいつの間にか大きくなっている。恐らく一階には聞こえているだろう。騒ぎに気付いた人が起きてきそうだ。

 興奮しており、思考が回っていない置丹は、六の肩を放そうとはしなかった。無言を貫く六の肩にすがりつくように、ただ助けを求めるように置丹は必死に生にしがみついていた。


「…未葉。言ってくれよ…俺の代わりになるって。俺の代わりに死んでくれるって!」


置丹の瞳から静かに涙が伝った。頬から顎に向かってまっすぐ下り落ちていく。


「人生がやっと始まったみたいで死ねないんだ。死ぬ訳には行かないんだよ!アイツらが待ってるんだ」


置丹は膝から崩れ落ち、六の肩に頭を乗せた。六は何も言わなかった。胸が張り裂けそうで、息をするのも苦しい。置丹のことは深くは知らない。隊員としての置丹しか知らないが、隊員としての置丹は知っていた。

 六はそっと置丹の頭に手を回した。ゆっくりとゆっくりと置丹の頭から肩に向けて、何度も手を動かした。始めは嫌がるような仕草をみせた置丹であったが、次第に大人しくなり最終的には何も言わなくなった。

 六には置丹にかける言葉は思い付かなかった。六には六にとって大事なものがあるし、それを譲れない。六に今すぐ出来ることは、置丹のことを受け止めること。かつて兄たちがしてくれたように、触れることだった。


「すみません……すみません……すみません」


口から出るのは謝罪のみ。気の利くような言葉でも紡ぐことが出来ればと思うが、謝罪以外思い付かなかった。







 日が昇り訓練を終えた夜。六は緊張した面持ちで隊長室の前に立っていた。誰も居ないのに圧を感じる。生半可な覚悟ではここを通ることは出来そうになかった。右往左往して、覚悟を決める。

 六は深呼吸をして、ドアノブに手を伸ばす。


「開いてるぞ」


緊張のあまりノックのことを忘れていたことを思い出し、慌ててドアノブから扉全体に焦点を切り替える。六の骨とドアが触れ合う直前、部屋の内側から声をかけられた。声からして六甲に違いない。

 六は礼儀を尽くそうと、気を取り直しノックから始め部屋に入る。部屋の中は相変わらず書類が積み重なっており、書類の塔の影に六甲の姿が伺えた。訓練で少し解れた髪をそのままに、書類に向かっている。


「おう、未葉。どうしたよ」


六に声を掛けるも、視線と注意は書類に向いていた。六が話すのを躊躇っている最中も、六甲は大して気にした様子はなく書類に目を通しサインをする。

 重々しい雰囲気の中、六は口を開いては閉じた。口が石のようにかたく、重い。勇気を振り絞ろうとするが、不安が押し寄せてくる。


「…その、お願いがあります」


漸く六が言葉を吐いたとき、六甲が手をピタリと止めた。資料に向けられていた目が、ゆっくりと上がる。返事は特になく、お互いの目線が合う。


「例の運搬任務、置丹から私、未葉に代えていただけませんか」


六甲はすぐに返事をしなかった。瞬きのみの動きをする。その様子はただ何かを深く考えているように見える。六甲の目を臥せられ、ゆっくりと再び開かれた。


「無理だ」


きっぱりと断られた。六はどうしてと直ぐ様切り出す。理由は言えないと首を横に振られた。


「上の決定だ。逆らうことは出来ないだろう」

「まだ実行していないのでしょう。なら、特例でも何でも出来るはず。置丹くんが行く必要はないのではないでしょうか」

「なら、お前が行くか、未葉」


鋭い眼光だった。今までにないほど高圧的な六甲の態度に、六は体が震えた。入隊してから度々死にかけたが、窮地から救ってくれた六甲は救世主のように感じていた。だが、そんな六甲でもこんな風に怒るのかと失望する自分がいる。勿論、六甲も生きている人であり、感情があることは承知していたが、微かに胸が痛んだ気がした。


「…上の決定は覆せないと言っていたのは嘘ですか」

「あ、ヤベ」


ボロを出したらしい六甲は口元を慌てて抑える。先程の高圧さは消えていた。だが、言質は取った。

 方法はあるのだ。どうにか切り抜けられる抜け穴が何処かにある。その可能性は見つけることが出来た。


「とにかく、無理だ。帰って寝ろ」


あっという間に追い出され、六は部屋の外に放り出された。もう一度入ろうとするが、押しても引いてもドアはピクリとも動かない。


「さっさと帰れ。上の決定に逆らうことは許さない」


体当たりしても入れてはもらえなかった。

 1時間後、六の姿は本館の入り口にあった。警備は複数人いたが、関係ない。第六の主な任務は隠密。並大抵のヤツらには早々探知されない。

 入り口は2人の警備が立っていた。屈強そうな男たちで勝てそうにはない。殴りかかっても、大したダメージにはならないだろう。

 建物の入り口は正面だけではない。裏口などセキュリティで守られているに決まっている。建造物にはもっと大きな入り口がある。入ってくださいといわんばかりに、誰も警備をしない。鍵は簡単には開くようになっているし、夏でも冬でも換気のためにソレは開く。

 六は本館の窓から侵入を試みようとしていた。敵に攻め困れやすい一階に標的がいるとは考えにくく、かといって建物の奥地では袋のネズミ。恐らく撹乱のため、他の部屋と変わらぬ内装になっていると思われる。本館は3階建。2階、3階のどちらかである。

 樋にしがみつき、あとを残さぬよう昇っていく。そして2階にたどり着くと、外に向けて伸びる屋根に降り立った。騒がれることはなく、発見されたようには思えない。

 素早く窓から部屋に入り、壁に張り付く。気配なし、足音もしない。六を中心に左右に伸びる作りで、人の姿はなかった。近くにあった扉を開けると、中は執務室のようで、机が中央に1つ、そして家具棚、何かの賞状。スッキリとした内装である。飾り気がなく、ゴミもない。生活感が丸でない空間である。司令官がいる部屋とは思えないほど、整理整頓されていた。

 外れ。六は部屋に踏み出すことはせず、そっと扉を閉めた。辺りの様子を確認すると、続いて1つ奥の扉を開ける。今度は不思議なことに真っ白な部屋だった。机も棚も、本すらも白く、光が反射して眩しい。こちらの部屋も人影、生活感すらない。汚れ1つ無く、足跡すらもない。随分使われていないようだった。六は扉をそっと閉める。

 最後にもう1つ奥に部屋があり、その部屋の前は異常に暗い。来るものを拒むような、圧を感じていた。

 六はその部屋の前まで歩く。ドアの表面には無数の穴が開いていた。表面の塗装も剥げ落ちささくれが出来ているのに、何年も放置されたように見える。よく見ると扉は湿っていて、ひんやりとした空気すら漂っているようだった。


「誰か、いますか?」


扉の穴から中に向けて、声を潜めて声をかけた。物音はしない。顔を近づけるだけでも、首もとに冷気が当たるのを感じた。

 こんな部屋に司令官がいるとは思えない。だが、この部屋には何かがあるとそう感じた。この部屋を開けなければ_


「その用事があって、案内を頼みたいんです」


不気味な雰囲気を堪えながらも、六は扉に向けて声をかける。返事はなかったが、何か布ずれのような音がした。

 もしかして本当に誰かいるのだろうか。六はドアノブに手を伸ばす。


「やあ、やっと見つけたネ。未葉隊員」


肩に手を置かれ、驚きで肩が跳ねる。勢いに任せて振り返ると、この前であった司令官_アカネがいた。


「し、司令…」

「その通り、驚かせて悪かったネ」


六は手を引っ込めて、アカネの方に体を向ける。六の目的はアカネにあった。


「いえ、アカネ司令官にお願いがあって参りました」


静かな瞳でアカネを見つめる。アカネは六から目を反らすことなく、口元を緩めると踵を返した。


「まあ、用件は聞くネ。とりあえず、こんな湿っぽいところは話し合いには向かないネ。部屋に案内するよ。こっちに来るネ」


用件について何も聞かれることはなかった。さっさと大股で歩くアカネを六は小走りで追いかける。すれ違う隊員たちが、アカネを見つけると頭を深々と下げた。隣にいる六は訝しんだ目を向けられ、アカネに隠れるようにして付いていく。


「ここまでよく来れたネ。警備はどうした。今日は誰も通さないように言ってあるはずネ」

「樋を伝って…窓から入りました…そんなことになっているとは知らず…申し訳ございません」


叱られることを覚悟したが、意外とアカネは怒ることなく寧ろ愉快に笑った。落ち着いてもぶり返したように笑い出すのだから、もしかするとアカネはツボが浅いのかもしれない。


「これまでヤンチャなヤツはいたけど、本館でそれを実行するヤツは居なかった。未葉隊員は常識人のように見えていたけど、案外ネジが外れてるタイプネ」


六の何かがお気に召したらしく、アカネは上機嫌であった。

 六がいた場所とは反対側まで行くと、アカネは突き当たりの部屋に入る。中は本が所狭しとタワーを作っていた。その隙間をアカネは縫うように動き、体を蛇のようにしならせた。六も着いていこうとするが、体が硬いようでタワーを崩していく。


「気にしなくていいネ。それは本の虫が積み上げたヤツ。今度もとの場所に戻しに行かせるネ」


アカネは部屋の壁にたどり着き、壁を叩くと小さな窪みに手を引っ掻けた。そのとっかかりは暗証番号入力装置になっており、認証できるとすぐ横の壁が開く。現れたのは、基地内部のどの部屋よりも豪華な一室。天井からぶら下がる照明器具は見たことのないもので、海外から輸入品に見える。


「ここで聞くネ」


アカネは部屋に設置されていた分厚い椅子に腰を下ろした。足を組むとなかなか画になるものである。

 六は姿勢をただし、頭を深々と下げた。そして一息ついてから体を起こす。そして


「どうか運搬任務の」

「分かったネ」


六は肝心の内容を聞いてもらえかった。それどころか話し終える前に間髪をいれず、オッケーを貰ってしまったのだ。予想外の展開に、六は戸惑う。


「内容を聞かなくていいんですか」

「おおよそ分かってるネ。恐らく例の運搬任務の話ネ。

確か第六の置丹に運搬師を任命したと思うんだけど、それに異議を唱えに来た…違う?」


六は首を縦に振る。アカネは満足そうに笑い、椅子を回転させ背後にあった窓の外を覗く。


「変更するのは構わないネ。六甲からも言われただろうけど、代わりはどうするネ。

未葉隊員が行くか、その他誰かに引き受けて貰わないといけないネ」

「私が行きます」


作戦の中止はあり得ないという態度。1つの可能性として、作戦そもそもの中止があったがこれも失敗。ならば、腹を括るしかないのだろう。六は覚悟を決めた。


「私が行って、さっさと終わらせてきます」


震える手を握り閉めた。







 突然の作戦変更は部隊中に混乱をもたらした。中でも一番驚いていたは、置丹である。作戦変更が言い渡された直後、まだ六甲の話は終わっていないというにもかかわらず、六のもとにやって来た。酷く恨めしいような目付きをしている。


「何をやった」

「何もしていません」

「正直に言え」

「何もやってないって言ってるじゃないですか」


ただ、アカネに頼みに行っただけである。その他はアカネが命令した。六が関与したのは、極々一部。言うようなことでもない。


「大体、何故私に聞くんですか。他にも容疑者はいるでしょう」

「こんな自己犠牲を考える馬鹿はお前しかいないからに決まってるだろ」


頭に来ている様子の置丹は、荒々しい話し方で六に言葉を浴びせた。大して怖くはなかった。何故私だと分かるのか疑問にしか思えない。


「証拠不十分です。勝手に決めつけないでください」

「だったら、」


置丹は眉間に皺を寄せ、言葉を放とうとしたが叶わなかった。肥河が六と置丹の頭を掴み、ぶつけたのである。しかも容赦がない。

 最近は頭を捕まれたり、ぶつかったりぶつけられたり散々である。本当にお祓いに行った方がいい気がしてきた。


「喧嘩しないの。話は後で聞くから」


体を丸めて頭を抑える置丹は納得できない顔をしていたが、肥河が満面の笑みを向けると大人しく従った。六には更々逆らう気はないため、首を縦に振るしかない。逆らえる勇気が足りなかった。



 






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