とある男の暇
第六隊隊長である六甲の休日は殆どない。稀にある休日は重傷を負って動けない時など、どうしようもない事態のみ。碌な休日を過ごした記憶はなかった。
戦場の変化は急激であり、休日などと言っている暇はなかった。今も昔も同じで、何処の隊でもそれは同様だろう。今頃ストレスを溜めた村雨が青筋を浮かべているに違いない。
本日の天気は雨。どうしようもなく退屈である。今日は任務も無く日課の運動も終えていた。今日の任務は、肥河が隊長代理を務めている。それが六甲が退屈な思いをしている理由であり、さらに肥河が隊長を務めている理由は六甲が負傷したためである。腹に穴が開いた、斬られた程度動けないことも無いのだが、万全でない隊長は必要ないと突っぱねられた。
とはいえ、六甲の性格上大人しくしているはずも無い。その点を肥河は十分理解していた。そのため大人しくしていられるように、と見張りを付けたらしい。救護室から追い出され、閉じられた六甲の部屋の外に人の気配がした。時折様子を伺うように扉に隙間ができ、何者かが顔を覗かせている。
書類にサインをしては、書類を机の端に移した。少しは進んだと思いきや、視線を後ろに動かせば山のように積みあがった書類と目が合う。任務と基地を往復するだけの生活を送っているが、どういう訳か書類は減らない。寧ろたまる一方で、他の隊長はどうやって減らしているのだろうかと不思議でたまらない。肥河に手伝ってもらい二人体制でしているにもかかわらず、終わりが見えなかった。
三枚ほど書き終えたところで、六甲はもう飽き始めていた。体を動かしたいが、天候は悪化するばかりである。これほど退屈であれば、無理やりにでも肥河に役割を交代してもらうべきだったかもしれない。
六甲が飽きたところで書類の山が消えるわけではなく、ため息をつきながらまた手を動かす。一方で頭の中では空想に耽ることにした。堅苦しい文章ばかり読んでいては、頭がおかしくなる。
六甲は考えに耽る事はあまりない。その場でいかに合理的に判断するか、即断即決の男である。偶にはと始めた考え事であるが、自分自身で驚くほど題材が思いつかない。唯一思いついたことが、己の人生についてであった。
もし己が隊長でなけば、今頃どうしていたのだろうか。
今と異なる自分があったのなら、六甲は考える。現実的に考えるのであれば、実家で暮らしているのではないだろうか。隊長となる以前の生活を同じよう送り、当主である兄に仕えたに違いない。そこでどこぞの人間と結婚をして、家の為に子供を作る。そうして、生涯を六甲の家と共に送るのである
六甲は実直な男であり、現実に沿ったこと以外は考えることを苦手としていた。たらればを語ったところで現実は変えることができないと、素で言う。
椅子の背凭れに体を預け、いつの間にか書くことをやめていた。妄想に耽りながら三十枚は仕上げていたため、休憩である。
「自分がいてこそ、考えられることだってのに。そんなこと考えたことも無いな」
六甲は黒い手袋を外した。人差し指の付け根から指先に向けて、紐のようなものが巻き付いた跡が残っている。これはある時期からできたもので、病気によるものではないらしい。健康診断で引っかかったとこはないし、今のところ体に異常はない。
指でその後を撫でる。僅かにざらつきを感じると同時に、心が満たされていくのを感じる。不思議と勇気がもらえるのである。
気持ちの切り替えを終えて、六甲は再び書類に向き合う、はずも無い。
六甲は立ち上がると、窓を開けた。雨が部屋の中を濡らすがお構いなしに、六甲は窓から身を乗り出し外に出た。窓枠に手をかけて、身を翻し屋根までのぼる。
雨の所為だろう。今日は基地の外の隊員たちが少ない。見張りをするには視野を防ぐ傘は使いずらく雨具なしでいるしかないが、隊長は崩しやすい。しかし見張りをやめるわけにはいかない。そこで代替案で最低人数を交代で回すことにしたのだろう。また救護室が大盛況になるに違いない。
屋根の上は雨で滑りやすく、気を付けなければ落下してしまいそうだ。だが、気を付ければ問題ものである。
第六の寮は基地の端に位置し、且つ後ろは森である。障害物も無く、辺りを眺めるには適していた。
腰を下ろして、風邪と我慢勝負をしている隊員たちを眺めた。とてもではないが苦痛には間違いない。濡れて歩きづらい靴に重たくなる服、視界を防ぐように項垂れる髪。どれも煩わしい。
「まあ、それは俺も一緒か」
思わず笑う。独り言にしては大きく、大層楽しそうな笑い声だった。辺りには雨音に紛れて聞こえなかっただろう。だが、近くでは案外聞こえていたらしい。
扉が開く音がした。そして悲鳴が聞こえ、ドタバタと騒がしく大急ぎの足音が聞こえた。
「隊長どこですか!」
窓から顔を出して、叫ぶ声が聞こえる。聞き覚えのあるこの鈴のようなか弱い声は、新人の未葉六である。
屋根から身を出し、窓の方をのぞき込む。すると、予想した通り未葉であった。
「呼んだか?」
未葉六は自身の上から顔を覗かせた六甲に驚き、目を見張る。その様子が初心で、六甲が未葉を大変気に入っている部分であった。
我を取り戻した未葉は、六甲に訴えかけた。
「書類が濡れています!これは提出するものですよね。それに、風邪を引いたらどうするんですか。肥河さんに怒られてしまいます!」
先程の大慌てぶりは書類を危惧したものらしい。確かに書類は六甲の後ろ、つまり窓に近い位置におかれていた。それを大雨が濡らしてしまっていたようだ。まだ手を付けていないものがびしょ濡れでは、肥河は青筋を浮かべるどころの話ではないだろう。大災害と称しても良いほどに、怒り散らすはずだ。
「じゃあ引っ込めておいてくれ、またあとで確認する」
「もうしました。それよりも早く戻ってきてください!怪我以上に風邪なんてどう言い訳するつもりですか」
首を捻って、未葉は六甲を見上げた。翡翠色の瞳が六甲を映す。
大慌ての未葉に向けて、六甲は自然と手を伸ばした。何も考えていなかった。ただ面白そうだと思ったから行動したに過ぎず、それは隊長としての六甲の行動ではない。もしもの自分についての考えていた所為だろう。
その手を未葉は見て、数秒躊躇う。そこで六甲が早くと促すように、軽く左右に手を揺らした。すると漸く未葉は手を取った。
「雨で滑るからな、気を付けろよ」
「それを言うなら、室内にいてください」
六甲の手を借りた未葉は、屋根をよじ登った。そして六甲はゆっくりと手を取って、未葉を己の隣に座らせる。いつ滑り落ちても問題ないように、気を配ることは忘れなかった。
雨が未葉の髪を濡らしていく。雨のにおいが辺りを漂った。
六甲と未葉が二人きりで話したことは、先日ぶりである。六甲が未葉の涙を拭ったあの日ぶり。未葉には刺激が強すぎたらしく、今だに接する際は避けられている。
「任務にはいかなかったのか」
「無茶するからお預けだと言われました。その分、訓練しようとしたら更に延長するとも言われて。それならと任務に行く代わりに、六甲隊長の見張りを頼まれました。これを遂行できればチャラにしてくれるそうです」
「なんだそれ。犬みたいだな」
六甲は噴き出した。肥河の扱いは妹弟に接するというよりも、犬の待てを躾けているように思える。肥河も面白半分でしたに違いない。
だが、未葉にすれば上司に言われた命令だ。遂行しないわけにはいかない。指摘された未葉は、ウザったそうに髪をかき上げた。
「それは実力不足だと自覚しているので、これから何とかします」
「じゃあ、これからに期待してるわ」
六甲は膝に腕を突き、頬杖をついた。雨に濡れた未葉は、普段に増して幼く見える。少し不貞腐れたような表情と、それを取り繕うような顔。それが六甲には人間らしいものに見えた。
六甲は徐に問いかける。
「未葉。お前が今の自分とは違う人生を歩めるとしたら、何をしてると思う」
これは暇つぶしだった。私的な考え事の延長線でしかない。聞いたところでどうしようという気もない。聞いたところで実力が変化するわけでもない。ただの興味本位だった。
未葉は六甲の問いかけに、眉を顰める程に考えた。意味がない質問だと告げても、恐らくその言葉すら裏があると疑われてしまうだろう。六甲は未葉の言葉を待った。
「もしかするとお姫様になっていたかもしれません」
漸く出て来た言葉が、夢物語のそれで六甲は唖然とした。未葉は続けて話す。
「一度は考えたことがありませんか、お金持ちになりたいとか、お殿様やお姫様になりたいとか。今考えたら、幼い頃はお姫様になりたいと思っていたことを思い出したんです。なので、違う人生を歩めるとしたらお姫様だと」
「…そうか、お姫様、か」
六甲は笑いをこらえていたものの、堪えきれなかった。確かに己の質問では、夢見がちな答えもできよう。確かに、六甲の頭には現実に沿ったものしか考えていなかった。
世間ではいい歳と言われる齢になっても、そのようなことを考えるのか。六甲をさらに笑いを誘う。
「どうして笑うんですか。隊長も考えたことがあったでしょう」
「嗚呼、あったよ。俺は剣士か王子様か。誰よりも強くなって、大切な人を守りたいってな」
人のこと言える立場ではないと、未葉は六甲を指さして言う。その通りだった。
今の自分でなければ、今の選択は出来ない。たらればを語る事は、やはり苦手である。
六甲は手を伸ばし、未葉の頬についた髪を耳に掛けてやる。真っ赤になった耳が露になり、笑いが漏れた。
「ありがとう…ございます」
先程までの騒がしさが嘘のような小さな声で、未葉は言う。僅かに向けられた顔の、水で潤んだ瞳と唇が目に付く。真っ赤に染まった頬がまるで_
何かがゆっくりと込み上げてきた。怒りとは異なる感情だった。熱いがどこか穏やかで絆されていく気がする。
「気にするな。さっきの質問も今のことも。不躾に触って悪かったな」
慣れない感情だった。平静を装い、言葉を紡ぐ。だが、その内心は荒れ狂う波のようだった。
むしろそちらの方が有難かっただろう。この感情には、生じた原因も名前も分からない。気が緩み、何故かむず痒い。何かの病なのかもしれない。食事は塩のきいた粥しか口にしていないし、間食もせず水を飲んでいただけである。
全身に痒さが広がり、一段と耳が熱い気がする。
これは恥ているのだ。漸く六甲の中で結論が出た。先程未葉も耳を赤くしていた。それは恥じらいがあったからで、今の己に近い状態であった。つまり六甲も、不躾な行動をしてしまったことを恥じているに違いない。そのはずである。
そうでなければ説明できない。
「い、今、ちゃんと考えました。自分がなりたいなと思うものを思いつきました!」
何か気まずい雰囲気になりつつあることを察したのか、未葉は矢継ぎ早に口を動かす。六甲は自身の感情を整理することが出来ず、生返事を返した。
その六甲の返事を、肯定だと判断し未葉は話を続ける。
「叶うなら、そうです!私、お嫁さんになりたいです!」
混乱しているであろう未葉は、己の言葉の意味を理解できずに話しているようだった。その言葉を発した次の瞬間には、慌てて訂正をしようとして、次々に言葉を並べている。
平然と「お嫁さんか、いいじゃないか」と返すつもりだった。だが、何故かそうもいかない。新人のすぐ死にそうな隊員で、興味を持っているだけの駒。そう考えることは出来るが、行動に移すことはできない。
隊長としての自分が崩れていく気がした。不味いと自分を律する。平生の六甲はチャランポランの人間である。なので口八丁手八丁はお手の物。
だが、その”時”は違った。
「…第六隊に所属している限り、その幸せはかなわない」
「はい、そうですね」
六甲が現実を突きつけると、未葉は大人しく退いた。彼女も、現実を理解していない訳ではないのである。
六甲の声は冷たい。先程の感情は鎮静化されていた。仲間の屍を踏んで歩いていくしかない人生は、平和な夢を崩壊させる。恐らく未葉の人生において、幸せな時間はわずかなものになるだろう。
未葉の返事には諦めが混じっていた。その選択は間違いなく、未葉の苦難を楽にするものだと六甲は知っていた。特殊部隊に所属してしまった限り、文字通り物理的・精神的に死ぬまで戦い続けるしかない。所属理由はともあれ、その覚悟があって所属を許されるのである。家族の幸せを願うために、己の幸せを捨てる。誰かを恨まずにはいられなくなる特殊部隊において、その判断は正しい。
だが、夢や将来を捨て、自分自身の存在を未来から捨て去った少年少女に同情がない訳ではない。だから、これはこれから死に瀕するであろう未葉に向けた同情の一部である。
六甲は自分の上着を脱ぎ、そして未葉の頭に掛ける。
幸せを捨てた女性に、六甲は愛を囁くことはできない。どれでも、別のものであれば六甲でも用意することはできる。
「だから、せめて。ここにお前が死ぬまで、俺が導くことを誓おう」
任務が終え、続々と隊員たちが各々の部屋へと戻る。悪天候の所為で服がびしょ濡れである。
不快な気分のまま、肥河は六甲のもとへと向かった。脳裏には出立前に任せた書類の山が過り、その後の顛末までありありと想像できた。
「六甲!ちゃんと仕事したんでしょうね」
扉を勢いよく開け放ち、中でサボっているであろう六甲を探す。いつもであれば、今にも逃げ出そうとする六甲を引っ掴む流れであった。
だが、今日は六甲は逃げ出さずに椅子に座り本を読んでいた。
「肥河か、書類ならすべて終わらせてある。確認しておいてくれ」
「ちょっと、アンタどうしたのよ。熱でもあるんじゃない?」
十枚も終わっていればいい方だと思っていたが、結果は大外れ。良い方向に、ではあるが。
あれだけ溜まっていた書類の山が綺麗サッパリ片づけられ、整理整頓まで終わっている。六甲とは思えない仕事ぶりである。
「何言ってるんだ。俺はいつも通りだ」
「いつもって、書類は終わっていないわ、部屋は散らかっているわ、体は傷だらけだわの三種最悪セットみたいなものでしょ」
肥河は書類の一枚を確認した。書き損じは無し、誤字も無く文字は綺麗に書かれている。文句なしの書類である。その一枚下、さらに下を確認しても同様であった。
半日で信じられないほどの変化を遂げている。肥河は感極まり、六甲の手を握った。すると冷たい温度が伝わる。よく見ると、六甲の全身は雨に当たってきたのかと疑いたくなるほどに濡れている。
「どうしたの、どうして濡れてるのよ」
当然、肥河は六甲に尋ねる。だが、六甲ははぐらかすばかりで答えようともしなかった。
唯一彼が答えたのは_
「日向ぼっこをしていたら濡れた」
それだけである。




