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ゼノ…いや、ゼノ様がイグラファル王国の第二王子だった。
「イグラファル王国の第二王子であられるゼノ様に、とんだご無礼を致しました」
イグラファルの地で見知った人間に出会えてはしゃいでしまったとはいえ、あまりにも礼を欠いた態度だったのではないだろうか。
自身の言動を振り返って、いっそ倒れてしまいたい気持ちになる。
「そんな他人行儀なことを言わないで…」
しょんぼりとするゼノ様に良心が痛むけれども、親しき中にも礼儀ありだ。
人質として連れてこられた私が、軽々しく言葉を交わしていいような相手ではない。
ん? 人質だよね?
「恥ずかしながら、私きちんとした話を聞かされておりませんで。私がゼノ様の側室にしていただけるということでしょうか?」
「側室!!!」
先程「夫婦になる」と言われた気がしたので確認したけれど、私の言葉に愕然とするゼノ様を見て、やはり私の聞き間違いだったのだなと理解する。
人質として連れて来た王女に「側室にしてほしい」なんて言われたら、どれだけ温厚な人間でも気を悪くするだろう。
「大変失礼いたしました。失言をお許しください」
そう言って頭を下げるけれども、ゼノ様から放たれる空気が冷たすぎて、命の危機すら感じる。
「君は…、失礼、“アイリス”とお呼びしても?」
「もちろんです」
「アイリスは、ここに来るまでの経緯をルクシオ国王からどのようにお聞きになっていますか?」
そうなるよね。
人質として迎え入れたはずの王女が「側室に」なんて言ってきたら、何を浮かれているんだと思うわよね。
「王からは、我が国が同盟の条約に反する行為を犯した代償として私の身柄を差し出すことになったと聞いております。両国の国民にとってより良き結果になればと思い、参上いたしました」
「なるほど」
自分が政治的な駆け引きなどには無縁であることはわかりきっているので、とにかく正直に、そして敵意がないと伝えることに集中する。
「確かに、ルクシオ王国に同盟違反があったことが発端です。しかしこちらは、アイリスを人質として呼び寄せたのではありません。友好国の証として、私がアイリスを妻として迎え入れることとなったのです」
なんということを。
“友好の証”などと言いながら、差し出したのが冷遇され続ける私だなんて。
ルクシオ国王の誠意のなさに、目の前が真っ赤になる。
しかしここで事実を伝えてしまえば、ルクシオ王国の裏切りが決定的になってしまう。
そうなると、すぐにでも戦争が始まってしまうかもしれない。
とにかく、“きちんとした王女”を演じなければ。
マナーや言葉遣い、教養が身についていないのは、病弱設定を前面に押し出そう。
必要ならば、これから死ぬ気で勉強すればいい。
「それは、大変光栄なことでございます」
妻とは言えども、敵国の王女を重要なポジションに据えることはないだろう。
甘んじて側室の末席に身を置かせてもらおう。
「しかし、私のことはどうか気にせずにお過ごしください。イグラファル王国に害をなす気は毛頭ありませんし、こんなにも素敵な部屋を頂けただけで十分ですので」
そう、正妻の座を狙ったりしませんよ。身の程をわきまえて慎ましく暮らしますよ。
「…あなたは、私が妻を蔑ろにするような不誠実な人間だと思っているのですか?」
明らかに傷ついた顔をしているゼノ様を前にして、言葉選びを間違えたかもしれないなと思う。
「不誠実、とういことではないでしょう。ただ、望まない婚姻の相手にまで心を砕く必要はないと言いたかっただけなのです」
だから私のことは放っておいて構いませんよと、むしろゼノ様を思い遣っての発言だった。
それにも関わらず、ゼノ様は眉間の皺をさらに濃くして、何かを思案するように目を閉じた。
「アイリス、あなたは何か思い違いをしているようです。私は側室を迎える気はありません」
「それは、私は早々に国へと送り返されるということでしょうか?」
イグラファル王国の第二王子の側室として、自分では力不足であることはわかっているけれど、せめて自分に課せられた役目だけは果たさなければならない。
戦争だけは、なんとしてでも阻止しなければ。
「ゼノ様に心を通わせる方がいらっしゃるのであれば、私は決して邪魔は致しません。ですのでどうか、形だけでも私を妻に迎え入れてはいただけませんでしょうか。難しければ、人質という形でも構いません」
私が言葉を発するほどに無表情になるゼノ様が、何を考えているのかはわからない。
けれども、ここで引くわけにはいかないのだ。
「私でお力になれるのであれば、使用人として働くことも厭いません。ですので」
「あなたには、私の唯一の妻になっていただきます」
私の言葉を遮って発せられた言葉は、丁寧でありながらも有無を言わせぬ迫力があった。
「アイリスは、イグラファル王国の第二王子妃になるのですよ」
そう言いながら微笑むゼノ様は、この世のものとは思えないほどに美しいけれども、同時にこの上なく恐ろしくもあった。
「…慎んでお受けいたします」
ゼノ様の、イグラファル王国の意図は全く掴めないけれど、私にはそう言う以外に道は残されていなかった。