6 ※ゼノ視点
ついにアイリスがこの城に来る。
ルクシオの王城で出会って以来、五年ぶりの再会だ。
昨夜はなかなか寝付けなかったし、今日は朝から心ここに在らずの状態で、側近であるリックには「いい加減にしてください」と呆れられた。
それほどまでに楽しみにしていた来訪なのだから、馬車の音が聞こえてすぐに迎えに行くくらいは許してほしい。
むしろ、ルクシオ王国まで行かなかった私を褒めてもらいたい。
彼女の侍女には、私の乳母であるカーラと、アイリスと年の近いグレイスをつけた。
リックの実母でもあるカーラは私が心から信頼できる侍女であるし、グレイスもその能力の高さは王城内でもトップレベルだ。
アイリスには、自分が出来る最大限を与えたい。
カーラの説教を躱しつつ馬車の扉を開くと、中には強張った顔で俯くアイリスがいた。
知らない土地への緊張や、長旅の疲れもあるのだろう。
「アイリス王女を迎え入れたと聞いていたが、どうしてエイミーがここにいるんだい?」
少しでもアイリスの気持ちを和らげようと冗談を言ったつもりだったが、その言葉を聞いたアイリスがどんどんと顔色を悪くするのを見て、やってしまったと内心冷や汗をかく。
違うんだ、私は君を望んでいたんだよ。
血の気が引いて真っ白な顔で弁解をする彼女を落ち着かせると、じわじわと喜びが湧き上がる。
ゼノと、覚えてくれていた。
浮ついた気持ちのまま彼女を部屋まで案内する役を買って出る。
エスコートのために重ねられたアイリスの手の柔らかさに、今すぐ彼女を引き寄せて抱きしめたい衝動に駆られるが、さすがにそれはまずいたろう。
眉間に力を込めて我慢した私の顔を見て、アイリスが不思議そうにしていることには気づけなかった。
「ここが今日から君の部屋だ」
自身の部屋と扉を隔てて繋がっているこの部屋に、アイリスがやってくるのをどれだけ心待ちにしていたことか。
彼女の生まれや育ちから、おそらくゴテゴテとした装飾は好まないだろうと判断し、シンプルで上質なものを揃えさせた。
とはいえ、私の趣味を押し付けるつもりはない。
部屋の内装は自由に変えてよいと伝えると、「とても素敵です…」と小声で恥ずかしそうに呟くものだから、思わず手が出そうになった。
その途端に彼女の表情が徐々に曇りだし、私の不埒な考えが伝わってしまったのかと身構える。
行動には出していないはずだが?
「何か不都合な点でもあっただろうか?」
何か不快なことがあったとして、今この国に来たばかりのアイリスがそれをはっきりと伝えることはないだろう。
自分よりも頭二つ分ほど背の低い彼女の表情は、俯かれてしまうと全く見えない。
どんな小さな懸念も払拭してあげたくて、彼女の表情の変化を読み取ろうと顔を覗き込む。
不都合はないと返事をするアイリスの頬が赤くなるのを見て、彼女も私を意識してくれているのではないかと、自惚れた考えが頭に浮かぶ。
なんて愛らしい生き物なんだ。
続いてクローゼットの中を示す。
あの荷物の量だったなら、おそらく衣装はほとんど持ってきていないのだろう。
正確なサイズが分からない上に、それこそ本人の好みもあるだろうということで、こちらも数着の用意しかない。
長旅で疲れているだろうが、早急に仕立てさせないといけないな。
この後の段取りを考えていたところ、目を輝かせてドレスを見ていたアイリスからの質問が、私の思考を停止する。
「何か、色合いに指定がありますでしょうか。ブルー系のドレスが並んでおりますが」
実際そうなのだが、気づかれてしまったことに膝から崩れ落ちそうになる。
アイリスには自分の瞳と同じ色を纏ってもらいたいなどと、口が裂けても言えるわけがない。
ちなみに、これらの衣装が運び込まれる際に立ち会ったリックには、私の疚しい考えをすぐに見抜かれた上にさんざん揶揄われた。
「好きな色を着てくれたらいい」
…できることならば、私を好きになって、私の色を纏いたいと思ってほしい。
けれども、まだアイリスにそのようなことは伝えられない。
そもそもアイリスは、私に好意を抱いているわけではない。
ルクシオ王国の弱みに付け込んで、無理矢理に連れて来ただけなのだ。
この短時間で、はっきりとしたことがある。
私のアイリスへの愛は、自分で思っていたよりも重たいようだ。
ならばこれだけは絶対に守ってもらわなければならない。
「最後に一つだけ守ってほしいことがある」
そう言って、私はアイリスを室内にある扉の前まで誘導する。
私の部屋とアイリスの部屋をつなぐ扉。
「この扉はまだ開けてはいけない」
自室に無防備なアイリスが現れるなど、そのような試練を与えられたら乗り越えられる自信がない。
「内鍵も決して外さないと、約束してほしい」
万全の警備体制の中、アイリスにとって最も危険なのは私かもしれないのだ。
「承知いたしました」という彼女の返事に、自分が彼女を傷つける可能性が減らせたと安堵する。
「あの、いまさらこのようなことをお聞きするのはお恥ずかしいのですけれど、なんとお呼びすればよいでしょう?」
そうか、私はまだ彼女に正式に名乗ってはいなかったのか。
彼女の来訪に浮かれていたとはいえ、アイリスを正体不明の男に付き合わせることになってしまったことに反省する。
「名乗るのが遅れて申し訳ない。イグラファル王国第二王子、ゼノ・オーウェンです。夫婦になるのだから、どうか“ゼノ”と呼んではもらえないだろうか?」
そう名乗った瞬間、彼女の顔色はみるみると血の気を失った。