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部屋に戻ってからカールから聞かされたのは、頭が痛くなるような話だった。
近頃王が商人を城に招いて、武器を大量に購入していたということ。
それと同時期に、我が国のスパイがイグラファル王国から軍事機密文書を持ち出そうとしたところを、イグラファル国内で捕らえられたということ。
ルクシオ王国からの武力攻撃を危惧したイグラファル王国が、人質として“王女”を差し出すよう要求したこと。
「ルクシオ王国の王女であるアイリス様が自国内にいる状況であれば、さすがに戦争を仕掛けてくることはないだろうというのが、イグラファル王国の考えかと」
そうカールは言うけれど、きっと内心私と同じことを考えているだろう。
「…私がいようといまいと、王はやるときはやるでしょうけどね」
私に武力行使を思いとどまらせるだけの価値なんてないのだから。
「でもまあ、そう要求されているのならば行くしかないわね」
王城で働くみんなと離れるのは不安だけれども、人質として迎え入れられるのであれば生命の安全は保障されているはずだ。
「こんなときに用意された服が、今まで王族から与えられたものの中で一番高価なものだなんて、笑っちゃうわね」
私は心底面白くてそう言ったのに、荷詰めを手伝ってくれているエイミーが泣きそうになってしまったので、慌てて口をつぐむ。
お通夜のような空気の中で、荷造りはあっという間に済んでしまった。
そもそも持って行くようなものなどほとんどないのだ。
母の形見になるようなものすら、何も。
そこから出発の日まではあっという間だった。
今までお世話になった城の人達は王や王妃の目を盗んで私に会いに来てくれたし、中には涙を流して私の身を案じてくれる人までいた。
私がイグラファル王国に行くことになった理由を知らされているのはごくわずかな人数だったけれども、「侍女はこちらで用意する」と言われていることから単身でイグラファルに向かう私の待遇が、決して良いものではないのだろうということは誰の目から見ても明らかだったのだから。
「エイミー、あなた達のおかげで私は王城でも楽しく安心して過ごすことができたわ。イグラファルからみんなの幸せを願っていると、伝えておいてね」
当然ながら、王族の見送りなどない。期待もしていなかったけれど。
忙しい時間帯であるにも関わらず、王城の裏口まで見送りに来てくれたエイミー(とそれに協力してくれた掃除係の使用人のみんな)には、本当に感謝しかない。
エイミーと抱擁を交わして馬車に乗り込む。
馬車の扉を閉めるガチャンという音が、私とルクシオ王国の繋がりを断ち切ったように感じた。
王族との間に良い思い出はないけれど、城での生活は悪いものではなかった。
何より、母との思い出にあふれるルクシオ王国の地を離れるという事実に、鼻の奥にツンとしたものを感じる。
…これからどうなってしまうのだろう。
仕方のないことだった。
力のあるイグラファル王国から「人質として王女を差し出せ」と言われて、逆らうことなどできるわけがない。
王や王妃を助けることになるのは癪に障るけれど、私が隣国に嫁ぐことで多くの国民の生活が守られるのだから。
そう頭では納得しているものの、不安が尽きることはない。
同盟違反を犯した敵国の王女を、イグラファルの国民はどのように思っているのだろうか。
イグラファル王国で、果たして人間として扱ってもらえるのだろうか。
そもそも、私がルクシオの王女であることを認めてもらえるのだろうか。
そんなことばかりをぐるぐると考えていたら、二日間の旅路もあっという間だった。
ルクシオ王国とイグラファル王国の国境であるこの場所で、あちらの馬車に乗り換える手筈になっているということだ。
私以外の人間を一人たりとも国内に入れようとしないその態度は、猜疑心の表れなのだろう。
自身の今後への不安をさらに深めながら、案内されたのは想像の何十倍も立派な馬車だった。
王城から乗ってきた馬車も古いとはいえ王族専用のものだったが、その馬車とは比べ物にならないくらいに豪奢なうえ、中には女性が二人。
母娘ほどに年齢が離れたその二人は、年嵩の女性がカーラ、若い娘がグレイスと名乗った。
「私ども、イグラファル王国にてアイリス王女の専属侍女を務めさせていただきます。道中ではご不便なことも多くおありかと存じますが、ご容赦のほどお願い申しあげます」
カーラにそう言われるけれど、これほどまでに丁寧に人から接されたことがない私は思考が停止してしまう。
ルクシオの王妃と同年齢くらいかなあ、などと考えたのもいけなかった。
なんとか「ありがとうございます」と言って微笑んだが、「とんでもないことでございます」という言葉と共に返ってきた笑顔があまりに完璧すぎて、私は今度こそ何も言えなくなってしまった。
黙り込んでしまった私に、カーラとグレイスは最低限の声掛けしかしなかったけれども、静かな車内に居心地の悪さは全く感じなかった。
程よい硬さで座り心地の良い椅子は、山道であっても振動もほとんど感じることなく、いつの間に少し眠ってしまっていたようだ。
起きた時には薄い毛布が掛けられており、私の目覚めに気づいたグレイスは温かいお茶の準備までしてくれる。
「あの、そんなに気を遣っていただかなくても構いません。教えていただければ自分でやりますので」
人質である私に尽くしてもらうのが申し訳なくてそう言ったところ、完璧侍女二人をぎょっとさせてしまった。
もう極力口を開かないようにしよう。
馬車を乗り換えてから丸一日、なんとかボロを出さないように口数を減らしていたせいで、自分がイグラファル王国でどのように思われているのかを聞くことはできなかった。
侍女を二人もつけてくれるということから、それほどひどい暮らしにはならないのではないかと考えている。
あまりに他人行儀な二人の態度に少し寂しさも感じるが、ルクシオの王城での暮らしが異質すぎただけで、本来の侍女・使用人とはこういうものなのだろう。
意外となんとかなりそうな気配に、改めて自身を取り巻く環境のありがたさに思いを馳せているときだった。
「間もなく王城です」と、グレイスが静かな声で告げた。