第二王子妃の初夜
「ゼノ様のお部屋のベッドは広いので、二人でもぐっすり眠れそうですね」
そう言うと、一瞬にして部屋の空気が凍った。
結婚の儀を一週間後に控え、私の部屋で当日の流れを確認している時だった。
「結婚の儀が終わったらようやく同じお部屋で眠れますね」と、リックがゼノ様に言ったのだ。
体調管理に厳しいカーラがぎろりとリックを睨んだので、「同じ部屋にいてもゼノ様の睡眠を邪魔しませんよ」という気持ちを込めての発言だったのに。
「アイリス。君は“初夜”というものを知っているか…?」
恐る恐るといった風に、ゼノ様が私に尋ねる。
「はい、“夫婦になって初めて迎える夜”のことですよね?」
私のその返事を聞いて、部屋の温度がさらに下がった気がする。
「それで…?」
「それで、とは?」
ゼノ様が何を言いたいのかわからず質問で返したところ、彼がカーラに目を向ける。
カーラはその視線を受けて力強く頷き、そのまま大慌てで教育係が手配された。
結婚の儀は滞りなく行われた。
大勢の前で結婚の報告をする結婚披露式とは違い、神殿での誓いを交わすこの儀式は、ごく一部の者しか参加しない。
イグラファル王国からは国王夫妻と王太子夫妻に加えて、カーラとリックが、ルクシオ王国からは兄である国王と第二王子、そしてカールとエイミーが参列してくれた。
「アイリス様、本当に、本当によかったです」
エイミーはそう言って、終始泣いていた。
兄二人はとても緊張した面持ちで、主役である私達よりも力が入っているようだった。
「アイリスがイグラファル王国で幸せに暮らしていることを、心から嬉しく思っている。ルクシオ王国では、力になれなくてすまなかった」
そう言うユリウス兄様は、新婦の家族だとは思えないほどに沈んだ表情をしていた。
こんな顔で本番を迎えてしまうと、ユリウス兄様は後でゼノ様から散々小言を言われることになるだろう。
「ユリウス兄様、そんな顔をしないでください」
そう、国家間の平和のためにも。
「私のこの幸せがあるのは、ユリウス兄様のおかげでもあるのです。今後、兄様達とも良いお付き合いができたらいいなと思っております」
私のその言葉に、ユリウス兄様が鼻を啜ったのが聞こえた。
神殿での誓いを経て、私とゼノ様は無事に夫婦になった。
あの後きちんと教育を受けたので、“初夜”がなんなのかは理解した。
今夜いよいよ…、そう思うと顔に熱が集まるのを感じる。
「アイリス、ごめん。急ぎの仕事が入ったようだから、先に部屋で待っていてほしい。急いで終わらせるから」
結婚の儀を終えてすぐに、ゼノ様からはそう伝えられた。
気持ちを落ち着かせる時間はありそうだ。
初夜だからということで、入浴を手伝ってくれたグレイスはかなり気合いが入っていた。
身体中をキレイに磨き上げられて、良い香りの香油を塗り込まれて。
用意されていた藍色の夜着は、裾に向かって黒いグラデーションになっており上品な感じだけれど、生地はかなり薄い。
色合いのおかげでぱっと見はわからないが、身体のラインが透けて見えるほどだ。
そんな状態の私は、ゼノ様の私室でどう待つのが正解なのだろうか。
どうせならそこから教えて欲しかった。
とりあえずベッドに座ってみる。
そういう行為を待ち侘びているように見えて、はしたなくはないだろうか。
それになんだか眠ってしまいそうな気もする。
初夜に部屋に戻って新妻が寝ているとなると、ゼノ様をがっかりさせてしまうかもしれない。
次にソファーに座ってみる。
重厚な造りのソファーに、頼りない夜着で座っていることに違和感を感じる。
これは相当ちぐはぐな状態なのではなかろうか。
普段はきちんとした格好で腰掛けるソファーにこのような格好でいることに、背徳感すら湧き上がってきた。
どうしたものか。
立って待ってたらいいのかな?
しばらく唸りながら部屋中を徘徊していた私だけれど、扉の方から不意に笑い声が聞こえてきて足を止める。
「ゼノ様!? いつからいらっしゃったのですか!?」
目線の先では寝支度を終えたゼノ様が、口元に手を当てて下を向いていた。
「ごめんね、ついさっきだよ。あまりにも真剣な顔をしていたから、声を掛けられなかったんだ」
そう言われて、つい先ほどまでの自分の行動を反省する。
大人しくベッドで待っていればよかった。
「何をしていたの?」
私の頭を撫でるゼノ様からは、シャボンの香りがする。
自分の心臓が痛いほどに鳴っているのがわかるけれど、どう足掻いても静まることはないだろう。
「どうやってゼノ様を待っていればよいのかわからなかったので、いろいろと試していました」
とりあえず正直に伝えようとしたものの、言葉にすると自分の行動の滑稽さが際立って、後半は消え入りそうな声になってしまった。
ゼノ様が一瞬息を止めたような気がしたけれど、気のせいだろうか。
しばらくして、ゼノ様が覚悟を決めたような顔で私を覗き込んだ。
「アイリス。これから私がすることで、もしも嫌だと思うことがあったなら、遠慮なく言ってほしい。私達は夫婦になったんだから、急ぐ必要はないからね」
ゼノ様が私を思い遣ってそう言っているのはわかるけれども、誤解はしてほしくない。
「確かに緊張はしています。けれども、私は今夜を心待ちにしておりました」
ゼノ様の身体に腕を回しながらそう伝えると、彼の身体がびくりと大きく震えたのがわかった。
「…アイリス、おいで」
ゼノ様のその言葉にこくりと頷き、私は彼の元へと向かう。
ベッドに横並びで腰掛けると、ギギッとベッドが軋む音が耳についた。
窓から差し込む満月の光を受けたゼノ様の肌は、まるで内側から発光しているのではないかと錯覚してしまうほどに美しく透き通っている。
優しく細められたダークブルーの瞳に正面から覗き込まれて、私は息をするのも忘れていた。
「私の人生において最も幸福なことは、君を妻に迎えられたことだよ」
そう言って微笑むゼノ様は、蕩けてしまいそうな顔をしている。
きっと私以外の人間には見せることがない表情。
「愛してるよ」
ゼノ様に耳元でそう囁かれ、身体がふるりと震えてしまった。
「私も、愛しています」
そう伝えた途端に視界が反転し、ベッドに寝かされたことに気がつく。
「なんて幸せなんだ」
そう言ったゼノ様の唇が私の唇に優しく触れたのを合図に、あっという間に二人だけの世界に閉じ込められたのだった。
これにて作品完結です。
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