20 ※ゼノ視点
「申し訳ないが今はまだ何も言えない。近いうちに必ず、本当のことを伝えよう」
その場ではそう言ってそれ以上語ることのなかったユリウスが、緊張の面持ちで私に声を掛けてきたのは、彼が立太子の儀を終えてすぐのことだった。
「ゼノ、二人きりで話がしたい」
ユリウスのただならぬ様子に、すぐに個室に控えていた者達に下がるように命じる。
それだけでは足りないのか、ユリウスは自身の護衛に対して、同じフロアの部屋から部屋に通じる廊下に至るまで、全てに人が入らないように見張っていてほしいと指示を出していた。
部屋には私と彼の二人きり。
空気の音が聞こえそうなほどに静まり返った部屋で、ユリウスが口を開いた。
「ルクシオ国王は、イグラファル王国に戦争を仕掛けるつもりかもしれない」
想像もしていなかった内容に、思わず目を見張る。
「国王による暴走だ。私はそれを止めなくてはならない」
ユリウスは真面目な男だ。
タチの悪い冗談を言う人間でもなければ、冗談で言って良い内容でもない。
私に伝えたということは、確信がある話なのだろう。
「少し前から城に怪しげな商人の出入りが増えていたので、調べてみたんだ。王は武器を買い集めている。加えて、人を雇ってイグラファル王国の軍事機密文書を持ち出そうとしていることもわかった。申し訳ないが、警備の強化をイグラファル国王に進言してほしい」
ユリウスはそう言うが、一つの疑問が浮かぶ。
「しかし、君の母君は聡明な女性だ。王の行動がどういう結果をもたらすのか、わからないはずがあるまい。国王は王妃の言葉にすら耳を貸さないのか?」
私のその言葉を聞いて、ユリウスは力無く笑った。
「母は三年程前から床に伏している。今では起き上がっていることの方が稀だ」
確かに、三年程前からルクシオ王妃が国外の行事に参加する姿を見ていない。
「精神的なものだ。“国民の幸せを願う国母”としての感情と、“不貞を働いた男の妻”としての感情、その二つのバランスが取れなくなってしまったらしい」
そう言われて、ユリウスとアイリスは異母兄妹であろうという、自身の推測が当たっていたことを確信する。
「アイリスと、彼女の母親か…」
ユリウス自身も「聞いた話だが」と前置きしたうえで、話は続けられた。
アイリスの母親が子を身籠ったと知ったとき、王妃は怒り狂ったとのことだ。
常に“国母として正しくあること“を望まれていた王妃は、怒りに任せて彼女を城から追い出した時点で、「自分のしたことは正しくない行為だった」と、塞ぎ込むことがあったという。
ギリギリのところで持ち堪えていた王妃の体調が、アイリスを城に迎え入れてからは急速に悪化したらしい。
「子どもに罪はない」「母親も被害者だ」とわかっていながらも、アイリスに冷たく当たることがやめられなかった王妃は、遂には心の均衡を失うことになったそうだ。
「母親を失ったばかりのアイリスには、本当に悪いことをした」
そう言うユリウスに対して、なぜ弱者であるアイリスを助けてやらなかったんだという怒りがないわけではない。
しかし、親子といえども相手は王妃。
その行動を強く咎めることができないというのは、同じ立場にある私もよく知っている。
「私にできたのは、城の者に対して『アイリスを気に掛けてやるように』と言うことだけだった」
そう自嘲気味に笑うユリウスを、非難することはできなかった。
「話を戻そう」
ユリウスはそう言って話を続ける。
「私と弟はすでに国王と対立する覚悟ができている」
つまりは、王位剥奪に向けて動くということだろう。
血の繋がった親子であろうとも、失敗すれば処刑される可能性も十分に考えられる。
「だが、妹を巻き込むことなどできない。あの子は生まれる前から、私達の両親によって人生を狂わされ続けているのだから」
私が言えた立場でもないが、あの子には幸せになってほしいんだよ。
視線を落としながらそう言うユリウスは、妹を心配する兄の顔をしていた。
しかしアイリスがルクシオ王国の城内にいる限り、彼女も無関係ではいられない。
どうするつもりなのかと問う前に、ユリウスは私に告げた。
「そこでゼノに頼みがある。できるだけ早く、妹を君の妃候補としてイグラファル王国に迎え入れてほしい。君は妹を全力で幸せにしてくれるんだろ?」
「もちろんだ」
食い気味に返事をした私に対して、ユリウスはようやく明るい笑みを見せた。
なるべく自然に事が運ぶように算段を立て、ようやく話がまとまったところで、ユリウスが姿勢を正して私に向き直る。
「迷惑をかけてすまない」
そう言って頭を下げるユリウスに対して、「ああ」と言うのが私ができる唯一の返事だった。
大丈夫だ、気にすることはない、などと軽々しいことは言えない。
国王の誤った判断は、多くの国民の命を奪うことにも繋がるのだから。
「上手くいくことを祈っている」
私はユリウスのことも失いたくはないのだ。
計画通りにアイリスをイグラファル王国に迎え入れて、四ヶ月が経過した。
「父がイグラファル王国への武力攻撃を指示した。私達の力が及ばなかったときのことを考えて、そちらでも対策を講じてほしい」
ユリウスからそう連絡を受けて、城内はかつてないほどの緊張感に包まれた。
アイリスに状況を伝えたところ、覚悟を決めたような表情で彼女が語ったのは、自身の生い立ちだった。
「自分はルクシオ王族にとって価値がある存在ではない」と、それを事実として語るアイリスの姿に胸が締めつけられる。
しかし今は感傷に浸っている場合ではない。
現段階において、アイリスの立場は非常に微妙なものだ。
彼女に何かがあった場合、ルクシオ王国は「自国の王女が傷つけられた」とイグラファル王国を責めるだろうし、イグラファル王国も第二王子の婚約者が傷つけられたとなると黙っているわけにはいかない。
とにかく彼女を安全な場所へ。
部屋に呼んだカーラとグレイスに、アイリスを地下へと避難させるよう命じる。
「今後のことについては、落ち着いてから話をしよう」
婚約発表を予定通りの日程で行うのは難しいかもしれないという思いから、地下へと向かうアイリスにそう声を掛けた。
その後は目の回るような忙しさが続いた。
両親や兄にもユリウスの話は事前に伝えてあるが、彼の思い通りに事が運ぶとは限らない。
万が一に備えて国民を避難させ、防衛体制に入るようにと、父が軍に指示を出す。
ルクシオ王国と争うことなどしたくはない。
だが、自国民を守ることが上に立つ者の最大の使命なのだ。
「ユリウスが王位剥奪に成功した」という知らせが届いたのは、最初の連絡から丸二日が経ってからだった。
軍部全体を味方につけたうえで前ルクシオ国王に譲位を迫ることで、誰の血も流すことなく目的を果たしたそうだ。
「ユリウス、よくやった…」
学友を讃える私の言葉は、誰にも聞かれることなく消えていった。
次回本編最終話です。




