13
ダンスレッスン中にゼノ様が熱を出してから、一週間が経った。
翌日にはゼノ様の体調も良くなり、すぐに日常が戻った。
半日休んだだけなのに、その間に溜まった政務の影響で私のダンスのレッスンに毎日付き合うのは難しくなってしまったと、ゼノ様から申し訳なさそうに告げられ、改めて第二王子の多忙さに驚く。
「一日おきには顔を出せるように調整する」
そう言われるものの、また体調を崩されても困る。
「いいえ、本当にご無理はなさらないでください。他の方に付き合っていただけるか、聞いてみますから」
そう伝えると、ゼノ様はショックを受けたような顔をしていた。
「ゼノ様が行けない日は、私が代わりを務めましょうか?」
「おまえは私に刺されたいのか?」
リックが名乗り出てくれるものの、ゼノ様に食い気味に却下される。
物騒なワードが出てきた気がするけれど、なんだったんだろう?
話し合いの末、ゼノ様が来れないときにはステップの練習のみをすることになった。
ゼノ様が共に練習することにこれほどこだわっている理由は、結局わからなかった。
他に私ができることを…と考えた結果、ダンスの練習と並行して、婚約発表会の参列者リストを覚えることになった。
一人で覚えるよりも効率が良いだろうということで、リックが付き合ってくれている。
側近としてゼノ様と行動を共にすることが多い彼は、公式なリストに書かれていないような情報まで教えてくれるので、本当に助かる。
リックが私に付くことに最後まで難色を示していたゼノ様だったが、やはり側近がいるのといないのとでは政務の進捗具合も変わるのだろう。
そう思うと、彼の側近を借りることになってしまったことに申し訳なさを感じる。
なるべく有意義な時間にしようと、必死に資料を読み込み、リックの説明にも耳を傾ける。
しかし、侍女であるグレイスが常に傍に控えているうえに、部屋の扉が開け放たれているため、なんとなくやりづらい。
私の集中力もまだまだだ。
国賓である各国の王族から始まり、公爵家、侯爵家、伯爵家にまで目を通す。
「この方とゼノ様は特に親しくされています」「先代から、王族とこの家は水面下では対立関係にあります」など、リックに教えてもらわなければ知らなかったことばかりだ。
「そろそろ休憩を」とグレイスに声を掛けられたときには、勉強を始めてから三時間が経過していた。
体調管理も仕事のうちであると学んだ私は、大人しくティーセットが用意された席に腰掛ける。
ゼノ様の強いお願いにより、リックと私はテーブルの端と端、三メートルは離れた位置に座って休憩する。
グレイスが淹れてくれるお茶は、本当に美味しい。
初めて飲んだときには、お茶とはこれほどまでに香り高いものなのかと驚愕した。
それでも、私はエイミーが淹れてくれた、ちょっぴり渋いお茶も好きだった。
そんなことを考えていると、ルクシオ王国のエイミーが急に恋しくなる。
「どうかされましたか?」
しんみりとした表情をしてしまっていたのだろう、リックがそう声を掛けてくれる。
「ルクシオで親しくしていた使用人のことを思い出してしまって。懐かしく思っていました」
エイミーだけではない。
別れの際、涙ながらに私の身を案じてくれた城の人々に、私が幸せにしていると伝えられたらいいのに。
「イグラファル王国とルクシオ王国は国交が盛んですからね。ゼノ様とアイリス様のご婚約は両国にとっておめでたい話なのですから、王都間の距離があるとはいえども、ルクシオからも婚約発表会を見に来る国民が多いのではないでしょうか」
リックがそう言うのを聞いて、頭を殴られたような気がした。
ルクシオ王国の王女であると公表されてから人前に出ることがなかった私に、貴族の知り合いはいないからと高を括っていた。
正式な婚約発表会はイグラファル王城において招待制で行われるが、その後城下でのパレードを予定していると、確かに説明を受けた。
「イグラファルの街をようやく見られる!」ということにばかり気を取られて、自国の国民がその場にいる可能性を全く考えていなかった自分の能天気さに嫌気がさす。
私が城下町の花屋で雑用をしていた“アイリス”だと、知っている人がいるかもしれないんだ。
唇の震えが止まらないうえに、目眩までしてきた。
リックもグレイスも、私の様子がおかしくなったことに気がつき、室内が急激に慌ただしくなる。
「アイリス様? どうなさいましたか?」
「気分がすぐれませんか? 医者を呼びましょうか?」
…私が、自分の口で説明しなくては。
「体調は大丈夫です。リック、お願いがあります」
震える拳を握りしめ、私の決意をリックに伝える。
「ゼノ様にお話しなくてはならないことがあります。ゼノ様に、お時間をとっていただくことはできますか?」
「確認してまいります」
私の言葉に対してすぐに返事を返すと、リックは大股でゼノ様の執務室へと向かった。
話の場はすぐに設けられた。
お忙しいゼノ様に対して申し訳ないと思う気持ちもあるけれど、こればかりはできるだけ早くお伝えしなければならない。
まずはゼノ様の判断を仰ごうと、執務室には私とゼノ様の二人きりにしてもらった。
イグラファルに来てまだ三ヶ月しか経っていないが、ゼノ様は私の出自を知ったからといって見下すような人ではないと断言できる。
大丈夫。大丈夫。
そう自分に言い聞かせ、机を挟んで対面に座るゼノ様へと顔を向ける。
「公表されてはいませんが、私はルクシオ国王と使用人との間に生まれた子です」
喉がカラカラに乾いて、思っていたよりも小さな声になってしまったけれど、ゼノ様にはきちんと伝わったようだ。
ゼノ様は、机上に肘を乗せた状態で握り合わされた両手を自身の顎の辺りに置き、話の続きを促すように頷いた。
「母が亡くなるまで十年間、ルクシオ王国の城下町で、母と二人で庶民として暮らしておりました。ルクシオ国王の意向で“辺境の地で療養していた”と公表されていますが、健康上の問題はなく、働きながら生活していました。これほど重要な事柄を今日まで隠していて、申し訳ありませんでした」
言わねばならないことは伝えた。
後はゼノ様がどう判断するかだ。
膝の上で握った手が、自分の意思とは無関係にガクガクと震える。
ゼノ様がふーっと長く息を吐く音を聞き、痛みを感じるほどに心臓の鼓動が早くなる。
ゼノ様が立ち上がり、私の方へとやってくる気配を感じるが、彼がどのような表情をしているのかを見るのが怖くて、顔が上げられない。
ゼノ様はそのまま私の隣に座り、私の腰に手を回す。
「知っていたよ」
穏やかな声色で言われた言葉は、私の予想に反したものだった。
「初めから知っていた。まさか君が、そのことをこれほど気にしているとは思っていなかったんだ。きちんと伝えられておらず、こちらの方こそ申し訳なかった」
…知っていた?
「一般庶民として暮らしていたうえに、まともな教育も受けておりません。そんな私が、イグラファル王国の第二王子妃としてやっていけるでしょうか? イグラファルの国民には受け入れてもらえるでしょうか?」
ずっと不安だった。
けれども、考えないようにしていた。
ここで「無理だ」と言われたら、どうしたらいいんだろう。
それでも、聞かずにはいられなかった。
「君に事情があったことは知っているよ。君だけでなく、私にもまだまだ足りないところはあるのだから、夫婦としてこれから協力していこう。我々の気持ちは、きっと国民にも届くだろう」
真正面から私を見据えるゼノ様の瞳に、嘘や誤魔化しはないように見える。
ああ、この人が好きだなぁ。
「それに、読み書きや食事の作法などは、貴族の者と並んでも遜色ないくらいにできている。おそらく、母君の教育の賜物だろうね。謙遜は場合によっては必要だけど、自分を卑下する必要はないんだよ」
その言葉に、私の目から大粒の涙がこぼれ落ちた。
その言葉で、私だけだはなく、母の存在までもが肯定された気がした。
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