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初日のダンスレッスン以来、ゼノ様は本当に毎回私のレッスンに付き合ってくれている。

リックに聞いた話によると、かなり無理をして時間を空けているとのことだ。


「ゼノ様? 練習に付き合ってくださるのはとてもありがたいのですが、教師もおりますし、無理をなさる必要はありませんよ?」

何度もそう伝えるのだけれど、

「君がこれほど頑張っているんだ、私にも少しくらい無理をさせてほしい。本番で共に踊るのは私なのだから、私相手に練習するのが一番だろう」

と言って、聞き入れてはもらえない。


確かにゼノ様の言うことももっともだし、おかげさまで最近はステップを踏み間違えることもなくなってきた。

しかし困ったことに、そんな私の余裕を察知してなのか、ゼノ様が軽い悪戯を仕掛けてくるようにもなった。


「アイリス」

密着した状態で、いつもより少し低いゼノ様の声で自分の名前を囁かれると、腰のあたりがぞくりと痺れる。

それは不快なものではなく、むしろ快感にも似たものではあるが、そのたびにバランスを崩しそうになるのを、唇を噛み締めてなんとかやり過ごす。

そんな私を見下ろすゼノ様は、いつにも増して色っぽい。


今日も何度か耳元で名前を呼ばれ、堪えきれなくなった私がゼノ様の足を踏んでしまうという失態を犯した。

「申し訳ありません!」

私は慌てて謝るけれど、ゼノ様はむしろ満足気にしている。


「ゼノ様。真面目になさらないのであれば、政務にお戻りください」

呆れたようにそう言うリックも、私のダンスの練習に毎回付き合わされている被害者だ。

何をするわけでもなく、私達から少し離れた位置でいつもゼノ様の挙動を観察するように見つめているが、頭の中ではこの後の政務の段取りなんかを考えているのかもしれない。

主のスケジュールの管理も、側近の仕事なのだろう。


「リック、おまえは先に執務室に戻っていればよい」

「いいえ。ゼノ様の言動には注意するようにと、母から厳しく言われておりますので」

王子と侍女という関係であるものの、乳母であるカーラに、ゼノ様は強くは出れないらしい。

カーラは体調管理に関して人一倍厳しいので、もしかするとリックは多忙なゼノ様の体調を気にしているのかもしれない。


言われてみると、リックの言葉にわざとらしく溜息をつくゼノ様の頬はわずかに赤味を帯びていて、瞳も心なしか潤んでいる。

「…ゼノ様?」

いつもとは異なる様子のゼノ様を不審に思って声を掛ける。

「なんだ」

そう言いながら私の頬に添えられたゼノ様の右手はいつもより熱く、驚いて顔を見るとどこかぼんやりとしているように思われた。


「ゼノ様っ! 熱がおありなのではないですか!?」

急いでゼノ様の首元に手を添えると、平常とはいえない体温の高さを感じる。

「アイリスの手は冷たくて、とても気持ちがいい」

そう言って私の手に自身の頬を擦り付けるゼノ様は、実年齢よりも幼く見えて可愛いらしいが、そんなことを考えている場合ではない。

「リック! ゼノ様をお部屋までお連れしないと!」




リックに支えられながら自室に戻ったゼノ様は、医師から「過労と寝不足でしょう」と言われていた。

婚約発表に向けて山のように仕事がある中で、毎日私のダンスに付き合っていたのだ。

誰も何も言わないけれども、睡眠時間も削っていたのだろう。


「どうしても今日中に目を通していただきたい書類のみお持ちしますので、私が戻るまではベッドで横になっていてください」

そう言ってリックが執務室に戻ったことに衝撃を受ける。

過労で熱を出しているにも関わらず、それでもまだやらねばならない仕事があるなんて。


「私のせいで…ごめんなさい……」

「アイリスのせいじゃない。私がやりたくてしていたことなんだから」

ゼノ様はそう言ってくれるけれど、そうじゃない。


「違うんです。私、ゼノ様がお忙しいと聞いていたのに、それをきちんと理解していませんでした。本来ならば、これから妻となる私はゼノ様の負担を軽くすべく動かねばならない。それなのに、むしろ真逆の行動をしてしまって」

役に立たないどころではない、迷惑になっている。

言葉にするとそのことがより明確になり、耐えきれずに涙がこぼれる。


「アイリス、どうか泣かないで。君に関することで、負担だと思ったことなど何もないよ」

ベッドの上で上半身を起こし、親指で私の涙を拭いながらゼノ様が言う。

「君がいてくれるから、私は頑張れているんだ」

ゼノ様はそう慰めてくれるけれど、私は何度も首を横に振る。

「それがゼノ様の本心であったとしても、私自身が自分を許せないのです」

そう言う私に向かって、ゼノ様は困ったように微笑んでいた。


その後すぐにリックが戻ったので、手持ち無沙汰な私は、ベッドの上で書類に目を通すゼノ様の顔をぼんやりと眺める。

ゼノ様の役に立ちたいとは思っても、ゼノ様の政務に手出しをしようとするほどに身の程知らずではない。

第二王子妃として胸を張ってゼノ様の隣に立つには、自分の頭で考えて、自分の意志で動けるようにならないと。


私がぐるぐると考えているうちに、火急の仕事は終わったらしい。

ベッドに横になるゼノ様に挨拶をして、立ち去る前に少しだけ聞いてみる。

「ゼノ様、私に何かしてほしいことはありますか?」

ゼノ様に何か役割を与えられたとして、今すぐにそれを完璧にこなすことはできないだろう。

それでも、自分が今後どうしていくべきかの指針にはなるはず。


そう思って尋ねたのだが、ゼノ様とリックはなぜかぎょっとした顔をした。

ゼノ様に関しては、すぐに真面目な表情になったので、私の見間違いだったかもしれない。


「そうだな…。実は、熱が高いせいでとても寒い。アイリスがベッドを共にしてくれるなら、きっと暖まるのだろうね」

もっと長いスパンでの話をしたつもりだったのに、ものすごく限定的かつ具体的な要望が返される。

聞き方が悪かったなとは思うものの、それくらいならば今の私にもできる。


「それは、私でよければいつでも」

そう言って掛布団に手を掛けた私を、「アイリス様っ!!」とリックが物凄い勢いで止めに入る。

役に立てそうだと思い、すぐに実行しようとしてしまったけれど、言われてみるとこの状況でベッドに入るべきではない。

自分の軽率な行動が恥ずかしくなり、顔に熱が集まるのを感じる。


「確かに、ダンスの後だというのに、身を清めぬままベッドに入るべきではありませんよね。すぐに入浴してきますね」

反省を込めてそう伝える私の隣で、リックは絶句していた。

ちなみに、ベッドの上で俯くゼノ様の表情は見えない。


「アイリス様…。今後しばらく、私か母が同席しているとき以外は、ゼノ様の私室に入室することを禁止します」

ゼノ様に向けて鋭い視線を送るリックに、なぜか本日中のゼノ様との面会謝絶まで言い渡され、その日は釈然としないまま部屋に戻ることとなった。

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