第9章~時間に追われての登山
今度ばかりは一切待つ気が無かったので、中谷君を急かす為にぎゃんぎゃん喚きました。
「いつまで待たすんだよ!もう待てないからすぐに来いよ!」
それからは、彼が何を言っても無視をして急かし続けました。
そこで、中谷君はやっと話を切り上げました。
「分かったよ、そんなに責めるなよ」
「お前なぁ、山登りに来たのに何やってんだよ!」
「ごめん、ごめん、何か話が盛り上がっちゃってさ」
「あの人は知り合いか何かなの?」
「いや全然、初見の相手だよ」
「えっ?それで何を話していたんだよ!」
「ごめん、それは言えないよ」
「ごめんじゃないよ!何を話してたかはさて置いて、普通見知らぬ人との会話に40分も掛かるかよ!」
「だから、ごめんって言ってるだろ」
「ごめんで済んだら警察はいらないだろ!物事には程度ってもんがあんだよ!」
「何だよ、偉そうに…」
「いやいや、お前だったら平気で40分待てるのかよ!」
「ううっ…、でも時間が経った感覚がいまいちなかったんだよな…」
「もういいから行こうぜ」
険悪な雰囲気になったので、無言のまま先に進んで行くと、中谷君が途中から猛スピードで追い抜いて行ったのです。
ぼくは、彼が遅れを取り戻す為に急いだのだろうと思って、必死になって付いて行きました。
舗装された登山道を進んでいる時は、2人は難しい顔をして終始無言でした。
頂上の近くになると、土の道や木の階段もありましたが、何とか山頂の展望台に辿り着きました。
登山口から山頂迄は、1時間20~30分と推定していましたが、実際は1時間5分で到着しました。
11時15分からノンストップで山頂に行ったので、この時点で12時20分でした。
すぐ近くには季節の草花が咲き乱れていて、眼下には軽井沢の街が広がっていました。
この日はよく晴れていたので、遥か遠くには青く光る山々が連なり、雄大に聳える浅間山を目の前に望む事が出来ました。
山頂に着くと、ようやく中谷君が口を開きました。
「やっと着いた~、とりあえず写真を撮ろうぜ」
「そうだね、いい景色だからね」
ぼくは、人物と風景を10枚以上撮りました。
写真好きの中谷君はそれ以上に撮っていたと思います。
その後、やっと昼食になりました。
その時、腕時計を見ると12時30分でした。
昼食といってもサンドイッチとおにぎりだけだったので、ぼくはものの数分で食べ終わりました。
中谷君もリュックを軽くする為に、そんなには持って来ていませんでした。
なので、彼も15分位で食べ終わりました。
食べ終わってから30分位食休みをするのかと思っていたら、山頂に登山客が次々とやって来たので早めに撤退する事にしました。
その時点で12時50分でした。
山頂では、写真を撮って食事もしたので、あとは下山するだけでした。
中谷君と老婆の会話で後れを取った為、登山口に戻るのは14時15分位と推定していましたが、登りで最大25分圧縮し、昼食後の休憩を30分丸々省略する事が出来たので、ぼくは俄然張り切りだしました。
このまま、推定通りに30分で下れば、登山口に着くのは13時20分頃でした。
登山口から別荘までは徒歩15分位で、別荘から旧軽井沢のバス停も徒歩15分といったところかな。
ゆとりを10分として白糸の滝に行くには、登山口に14時20分着、別荘には14時35分着がタイムリミットだろう。
しかしながら、仮に30分で下れなくても1時間の猶予があるし、何なら別荘で一休みする位の余裕がありました。
別荘で休んでから歩くのが嫌だったら、タクシーを呼んでバス停まで行ってもらえばいいと思っていました。
離山を登る時は、それなりに息が上がり時間も掛かりましたが、下りは実にスムーズで半分の時間で行けそうでした。
「よし!このカーブを曲がったら登山口まであと少しだ!」
そう思った矢先、例のテニスコート横の登山道に、あの老婆が待ち構えるようにして佇んでいたのです。
今度ばかりは、完全に無視して通り過ぎようと思い、中谷君に先を急ぐように言いました。
「もう、さっき話したんだから関わるなよ!ほら、さっさと行くぞ!」
「う、うん」
そこで、2人は目を合わせない様にして老婆の右側を通り抜けて行ったのです。
ぼくは強がってはいましたが、老婆の横を通り抜ける瞬間は、恐ろしさと気味の悪さで身悶えしました。
警戒していたものの、老婆の横をスッと通り抜けられると、若干気持ちが落ち着きました。
「ふぅ~、やれやれ、これで別荘に戻れるな…」
そう思っていると、矢庭に老婆が大声で叫びました。
「そこのお兄さん!ちょっと大事な話があるんで待っては貰えんかね?」
当然ながら、お兄さんとは中谷君の事でした。
ぼくは、そんな話にとんと耳を貸す気はありませんでした。
とにかく早く先に進みたかったので、中谷君の肩をポンと叩きました。
「そんな話聞く事無いよ!早く別荘に帰って一休みしようぜ」
と言って、先を急がせました。
しかし、中谷君はぼくの話を遮って、再び老婆の方に戻って話し始めたのです。
「おいおい、登りの時も長々と待たせたじゃないかよ!」
「そん時に散々話したんだからもういいじゃないかよ!」
「この後、白糸の滝に行くのを忘れた訳じゃないよな!」
ぼくは、イライラしながら苦言を呈したのにも関わらず、中谷君は見向きもしませんでした。
「ふざけろよ!またシカトかよ!」
今度ばかりは憤怒したので、彼の腕を強めに掴むとやっと口を利きました
「ちょっとだけで終わるから!あとちょっとだから…」
そう言うと、小言の多さにあからさまに煙たがりました。
仕方がないので、ぼくは腕時計を見ながら10分だけ待ちましたが、話が終わりそうな気配は全くありませんでした。
「次の予定があるんだから早くしろよな!」
「そんなに話す事があるんなら、連絡先を聞いて夜にでも電話しろよ!」
と、喚き散らしました
それで、話を終えてくれるのかと思っていたら、中谷君はポケットから別荘の鍵を取り出しました。
「あのさ、別荘の場所は分かるよね?」
「まあ、何となくは」
「悪いけどこれを持って先に帰っててくれないかな、すぐに追い付くから…」
と、言ってきました。
「出来るだけ早く別荘に帰って来いよ、タイムリミットは14時30分迄だからな!」
「分かった分かった、別荘の電話機の横にタクシー会社の連絡先が貼ってあるから、先に行って見といてよ」
「いいけどさ…、今度ばかりは分かってるよな!」
それから、ぼくは老婆の方に向かって大声で叫びました。
「あの~お婆さん!さっきはテニスコートの中をジロジロ見てしまってごめんなさい」
老婆が何を思って中谷君に話し掛けているのかは分かりませんが、ぼくに対しては何らかの恨み辛みがあるのだと思い、雑な感じではありましたが用心の為に謝罪しておきました。
しかし、2人共微動だにせず話続けていたのです。
「チッ、何だよ!こっちの事は完全無視かよ…」
中谷君が、何ゆえに執拗に老婆と話したがるのか腑に落ちない点はありましたが、ぼくだけが空回っていてもどうしようもないのでここで別れる事にしました。
その時点で13時30分でした。
下りは予定通りに30分で行けたものの、中谷君と老婆の会話で待たされた10分が余計でした。
ぼくは、うろ覚えの道を目印を頼りに進んで行くと、何とか別荘に辿り着く事が出来ました。
腕時計を見ると13時43分でした。
「よし、いいペースだ」
「別荘の中に入らずに外で待っていれば早々に来るかな?」
そう思い、さっきまで歩いて来た道程をじっと見ました。
しかし、15分待っても誰も通りませんでした。
そこで、ずっとここに居ても仕方がないと思い、とりあえず開錠して別荘の中に入る事にしました。
「ガチャン、キュウゥゥゥー、シュウゥゥー」
別荘の扉は難なく開きました。
「仕方がない、しばらくここで待つしかないか…」
とりあえず、中谷君が言っていた電話の横に貼ってあるタクシー会社の連絡先を見付けようと思いましたが、探す間もなく瞳に映りました。
「何だよ、こんなの見付けといてってレベルの物じゃないだろ…」
「なんでもいいから、早く帰って来ないかな…」
この時点で14時05分でした。
中谷君に告知したタイムリミットはあと25分でしたが、旧軽井沢のバス停迄行くのにギリギリ間に合う時間はあと40分以内でした。
「それにしても、あの老婆は絶対テニスコートの右横にある建物から出てきたんだよな…」
「テニスコートに居た時は老婆の体が透けていて、登山道で見掛けた時は老婆の姿がハッキリと見えたんだよな…」
「結局、ぼくには2人の女性は見えなかったから、ただ待っていただけだったしな…」
「それにしても遅いな…、何をやってるんだろう」
ぼくは、刻々と時間が過ぎる事に苛立ってきましたが、別荘で待っているほかどうしようもありませんでした。
いっその事、一人で白糸の滝に行こうかとも思いましたが、鍵が一本しかないので断念せざるを得ませんでした。
何故なら、扉を閉め切ったまま鍵を持って出掛けるか、部屋の中に鍵を置いて未施錠のまま出掛けるかしかない為、どちらにしても選べない選択でした。