第3章~2日目の朝から昼まで
ぼくが朝起きると、夜のうちにかなり冷え込んだのか寒いくらいでした。
ただ、カーテンを開けると強い日差しでした。
枕元の時計を見ると、8時を少し過ぎたところでした。
寝癖がついたままリビングルームに行くと、もう中谷君はテレビを見ながら出発の準備をしていました。
「おはよう!何時から起きてるの?」
「おう!7時に起きようと思ったら6時半に目が覚めちゃったよ」
「随分早いね、でも出発は9時だったよね」
「そうだね、ここから20~25分位離れたセブンイレブンに行って、店の前で朝飯を食ってから旧軽井沢まで行けばだいたい1時間位かな」
「成程ね、いい時間配分だと思うよ」
ふとテーブルの上を見ると、軽井沢のガイドブックがあったので不思議に思って聞いてみました。
「お前さぁ、軽井沢には何度も来ているって言ってたのに何でガイドブックなんて持ってるの?」
「それはな、芸能人のお店が急に増えたのとナンパ対策だよ」
「確かにね、一見分かりにくい店を尋ねる作戦も1回は現地を下見しないとね」
身支度が終わってから、予定通り9時に別荘を出るとセブンイレブンに直行しました。
ぼくは普段からあまり朝飯は摂らないのですが、中谷君は値段も気にせず朝から何品も貪るように食べていました。
「やっぱり、お金持ちの息子は違うな…」
とは思いましたが、ここまで来たら存分に楽しむ事しか考えていませんでした。
中谷君は幼い頃から裕福な家庭で育ったものの、自分以外には根っからのケチでした。
それに、日頃から貧乏人を小馬鹿にするような悪癖があったので、他の友達が軽井沢に来なかったのはそういう態度が嫌だったからでしょう。
コンビニ前のスペースで、ゆっくりと朝飯を食べていても問題なかったのですが、中谷君はそそくさと平らげると旧軽井沢まで早足で歩いて行きました。
ぼくは、付いて行くのがやっとでしたが、軽井沢本通りから旧軽井沢銀座通りの入り口付近まで来ると、やっと歩く速度が遅くなりました。
その時点で、だいたい9時45分でした。
当時の旧軽井沢銀座通りは、芸能人のお店がいっぱいあってクレープ屋も3軒はあったので、一昔前の原宿みたいな感じでした。
それでも、真夏の原宿よりかは気候が穏やかで、日中は暑くても夕方からはぐっと涼しくなってきました。
この涼を求めるために、首都圏からの観光客が絶えないのでしょう。
2日目は、旧軽井沢銀座通りで半日以上過ごす気でいました。
中谷君は、カバンからガイドブックを取り出すと現在地を確認しました。
ぼくはその間もレンタサイクルの店を必死でチェックしていました。
周りの景色を見ながら、だいたいの場所と営業開始時間を頭に叩き込みました。
お目当ての芸能人のお店はほとんどが10時開店でした。
中には11時以降に営業するお店もありましたが、スタートが遅い分だけお客さんが他に流れてしまっていました。
とりあえず、ナンパで使えそうな一見分かりにくい店を探す事にしました。
ガイドブックと照らし合わせて現地を歩いてみましたが、なかなか打って付けのお店が見付からず、焦りで不安を感じてきました。
そこで、片っ端から右側の脇道に入って行くと、何やら甘ったるくて美味しそうな匂いがしてきました。
その匂いに釣られて更に路地の奥に進むと、小洒落た手焼きクレープのお店がありました。
「これだよ、こういう店だよ!」
中谷君は興奮したままガイドブックを見ると、どうやらかなりの人気店のようでした。
お店を紹介する記事には、旧軽井沢銀座入り口近くにあるクレープ屋は前もって焼かれたクレープを温めてから具材を巻いているだけとありましたが、ここでは生地にも拘って一枚一枚手焼きなので満足感が違うと書いてありました。
ただ、人通りが多いとお店の場所が分かりにくいので、行けるかどうかは運次第ですとも書かれていました。
「ここに来るのはナンパ目的で道を聞く訳だから、一旦戻って芸能人のお店を回ろう」
「そう来なくっちゃ!開いている店からどんどん行こう」
あちこちにある芸能人のお店には、開店するなりすぐに入店しましたが、意外と品数が少なかったのと、どこも似たり寄ったりの品揃えでした。
お土産を買うにしても安価な物が少なくて、手が届きそうな物はキーホルダー位でした。
ただ、純粋に芸能人のお店を回るだけなら、店内に大きなポスターが何枚も貼ってあったり、ステージ衣装が飾ってある所もあったので、それなりに楽しめるとは思いました。
芸能人のお店は、最初の方こそ手当たり次第に入っていましたが、想像以上にいっぱいあったので途中からは入るかどうか相談して決めていました。
だいたい、1時間位芸能人のお店を回った後に、旧軽井沢銀座通りの入り口付近に戻って行きました。
そこで、中谷君は満を持して言ってきました。
「じゃあ、そろそろナンパを始めようぜ!狙うのは東京からの観光客で2人組の女子高生だからな」
「分かったよ、やるならやるで好きなタイミングで声を掛けてきていいよ、フォローはするからさ」
「うん、とりあえず俺の1メートル位後ろにいてくれよ、ズボンの後ろポケットに右手を突っ込んだらフォローに来てくれよな」
「了解、右手の動きには注意しているよ」
それから、中谷君は馬鹿の一つ覚えのように、奥まった所にある手焼きクレープのお店をターゲットに聞いて回りました。
声を掛けられた若い女性は、ほとんどが観光客なのにも関わらず、手焼きクレープのお店を知らずに分かりませんを繰り返していました。
それもその筈、多くの観光客は芸能人のお店を回る事しか頭になかったからでした。
中谷君が考えた作戦は早くも失敗したかと思われました。
「これではナンパどころではないな…、早く諦めてくれないかな」
ぼくがそう思っていると、段々とお昼の時間に近付いてきました。
相変わらず中谷君が声を掛け続けていると、2人組で観光に来ていた右側の女性が大声で、
「あ~、聞こえない、聞こえない!」
と、予期せぬ反応をしました。
そこで、中谷君は慌ててズボンの後ろポケットに右手を突っ込みました。
ぼくはそれを見て、
「ここであの合図を出してくるのかよ」
とは思いながらも、さり気なく中谷君に近付いて行きました。