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西28丁目に電車が着いた時。
俺はまゆちゃんに、切符を手渡して。
それから、自分の定期を出す。
まさかとは思ったけど。
今の彼女は、ユーレイじゃなくなって。
何処にでもいるような、普通の女の子の姿になってる。
だから。
改札出る時も、普通に切符使って。
取るタイミング間違えて、慌てて引き返したり。
それを見てる駅員さんが、にこにこしてたり。
そんなことが、俺にはとても現実には思えなかった。
でも。
無事に改札をクリアーして、もう一度手を繋いだ時。
まゆちゃんは、地下鉄から抜け出すことが出来た。
恐らく、数ヶ月振りに。
真っ暗な道には、車の姿もなく。
俺はまゆちゃんと手を繋いで、ゆっくりと街を歩いた。
街路樹も、星も、頬に触れる風も。
彼女に限らず、俺にとっても。
何もかもが、新鮮に思えた。
「…三国くん」
初めて聞く、まゆちゃんの声。
思ったより高くて、思ったよりずっと可愛い声。
たったそれだけで。
俺はもう、ノックアウトされそうだったんだけど。
照れと動揺をごまかしながら、こんなことを言う。
「名前でいいよ。何だか、他人行儀な気がすっから」
「じゃあ…ヒロアキくん?」
「ヒロでいいよ。皆、そう呼んでっから」
これまでの19年間。
何度となく夢見てた光景。
何度となく妄想してた会話。
でも。
まゆちゃんと距離が近付けば近付くだけ。
俺はどんどん気が沈んでいった。
ったく。
ほんと情けねー。
「いろいろ、ありがとう」
「いいって。やめようよそういうの。俺、苦手なの」
「でも…」
「いいから。俺も、まゆちゃんにいっぱい助けて貰ったし」
「え?」
「だから、いいんだって。ほんとに」
「でもあたし、何もしてないよ?」
「いいんだって。そんな、深く追求しない!」
ぶっきらぼうに突っ撥ねながらも。
実は俺、限界に来てる。
照れながら、緊張しながら。
まゆちゃんと話せて嬉しい筈なのに。
こうやって歩けて、ほっとしてる筈なのに。
ごめん。
俺、ほんっと素直じゃねーの。
泣きそうなの。
これが最後だって思うと。
思わないようにはしてるけど。
どうしても思っちゃう。
だから。
話したくなかった。
いっぱい話したいことあるのに。
出来れば、逃げ出したかった。
あんなに会いたかったのに。
だってね。
こうなるまで、気が付かなかったんだから。
ユーレイ相手なのに。
こんなに、本気になってるなんて。
本気で、好きになってるなんて。
俺、予想もしてなくて。
まゆちゃんを、地下鉄から救出したのはいいけれど。
この先どうしたらいいのか。
明日ちゃんと、北見まで送ってやれるのか。
何から何まで。
もう、どうしていいか判らなくなってた。
アパートに着くまで。
まゆちゃんは、殆ど喋らなかった。
多分、気を遣ってくれてたんだと思う。
俺がパニクってたから。
でも。
しっかりと、手を繋いでいてくれた。
ボロな階段上って、俺が部屋のドアを開けるまで。
ずっと、手を離さないでいてくれた。
雑然とした部屋に、二人でいると。
緊張度は、ヤバいくらい高まってくる。
もう深夜。
テレビだって、ろくなのはやってねー。
沈黙に耐え切れず、ぱっと席立って。
とりあえずお湯沸かそうとして、派手にやかん引っくり返すし。
ようやく水入れたら今度は、コーヒー切らしてるし。
台所の奥から引っ張り出した紅茶は、賞味期限が4年前。
あーあ。
俺、何やってんの?
そうやってばたばたしてる俺を見て。
まゆちゃん、くすくす笑ってる。
はぁ。
目一杯お洒落したって、結局これだもん。
ほんとカッコ悪い。
「大丈夫だから。どうかお構いなく」
「参ったな。コンビニ行って来ようか?」
「ううん。いいから。少し話そう」
そう言われて。
俺、渋々部屋に戻る。
恥ずかしいのと、照れ臭いのとで。
彼女の顔なんか、まともに見られねー。
ごめん、ほんと。
がっかりしたよね。
こんな奴で。
そう思ってたら。
まゆちゃんには、伝わっちまったらしい。
「そんなことない。思った通りの人だったよ」
「嘘ばっか。俺が女なら、絶対やだもん。こんな奴」
「そんなことないって。そういう人だから…」
向き合って顔を上げると。
間近に、まゆちゃんの顔がある。
うわ。
近いって。
近過ぎますって。
もう限界。
すでに、心停止寸前の俺。
でも。
彼女は俺の腕掴んで、離してくれない。
しばしの沈黙。
それなのに。
ガスの火は止めたっけ?
余計なことばっかり考えてる俺。
でないと。
泣き出しそうだったから。
まゆちゃんのこと、好き過ぎて。
頭、おかしくなりそうだったから。
長い、長い時間。
まゆちゃんと俺、見詰め合ってた。
窓際に立ったまま。
向かい合ったまま。
判ってる。
これが最後だって。
だから苦しくて。
だからずっと迷ってた。
言いたかったのに。
ずっと、言えなかった。
迷ったけど。
どうしようかって思ったけど。
まゆちゃんが、俺の頬に両手当てて。
覗き込むみたいに、瞳を合わせてくれたから。
もう、言わなきゃって。
そう思ったけど。
ヘタレな俺だから。
チキンな俺だから。
簡単なことなのに。
凄く、時間がかかった。
好きだよって。
そう、告げるまで。
まゆちゃんが、大きな瞳にいっぱい涙溜めて。
何度も、頷いてくれてから。
同じように、好きだよって答えてくれて。
それから。
またかなり、時間がかかった。
それと、勇気も要った。
多分、どちらもそう。
この19年間で、一度も口にしなかった言葉。
でも。
言わなきゃ。
渡さなきゃ。
相手がユーレイだろうと何だろうと。
でなきゃ俺。
絶対、後悔する。
そう思ったけれど。
それからまた、何分か必要になった。
卒倒しそうなぐらい緊張して。
断られたらどうしようかって心配したりして。
だからほんと、永遠みたいに思えた。
キスしていい? ―― って。
そう訊いてから。
まゆちゃんが、はっきりと頷いて。
目を閉じてくれるまでの時間が。