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夜に会う約束をして、まゆちゃんと別れたあと。
俺は一度大通へ引き返し、叔母さん達と合流する。
それからあーだこーだいろいろあって、散々連れ回されたものの。
夕方にはようやく解放して貰った。
で。
いつもの場所で親父の車をピックアップして、北一条通り経由で西へ向かって。
近所の駐車場にそいつを入れてから、西28丁目駅方面へ歩き出す。
夕闇迫る街の上には、綺麗な夕焼けが広がっていて。
冷え始めた外気は、微かに夏の匂いがした。
パーカーのポケットに両手突っ込んで、深々とうなだれたまま。
札銀と館の前を通って、アパートに向かってる間も。
俺の手には、まゆちゃんの温もりが残ってた。
どうする?
マトモじゃない俺が訊く。
ったく。
しつけーな。
どうするって。
今更、どうにもならんべ?
郵便受けの新聞取って、階段上って。
冷蔵庫開けてみたけれど、さすがに食欲はない。
浴槽になみなみと湯を張って、時間をかけて風呂に入って。
ふと見ると、体のあちこちにあざが残ってた。
あーあ。
やっぱ、夢じゃなかったんだ。
のぼせる寸前に風呂から上がって、机に座って。
テキトーにチャンネル回しつつ、缶ビールをぷしっと開ける。
半分ぐらい飲んでから、車を持ってきたことに気付いたけど。
ま、いっかってことにした。
今夜は多分、地下鉄で用が足りちまうだろーし。
明日のことは考えたくねーし。
PCを立ち上げて、グーグルマップを確認して。
北見までのルートを辿ってみる。
…。
……。
遠いなオイ。
てか、ほぼ網走だし。
殆ど端から端じゃねーの?
札幌から鷹栖まで、道央自動車道経由で1時間ちょいだから。
比布で降りて、そこから39号線をまーっすぐ…
うーん…
ま、何とかなるべ。
いや。
何とかしないと。
今夜、何が起こるか判らねーけど。
まゆちゃんを帰せるの、俺しかいねーんだから。
どういう縁か知らねーけど。
最後まで、俺が見届けてやらなきゃ。
いい感じで酔いが回ってきたせいか。
てか、ほぼヤケクソという見方も出来るけど。
何故か俺、じわじわとテンション上がってくる。
やんなきゃ。
あんなタチの悪い霊と戦ったんだから。
いや、とどめは俺じゃねーけどさ。
途中までは善戦したんだから。
あの時のしんどさを思えば。
まゆちゃんを地下鉄から解放して、280km先のご自宅へ送り届けるって。
それぐらいのミッション、どーってことねーべ。
ね、お客さん。
それが、男ってもんでしょ?
@ @ @
美奈ちゃんは、なるべく終電でって言ったけど。
この日の最終は、0時19分。
日付をまたいじまったらちょっとまずいなと思って。
その三本前の、23時49分にしてみた。
俺が選んだのは、東西線大通駅。
まゆちゃんと、初めて出会った場所だから。
やや酔っ払いモードながらも。
俺は徒歩で、大通まで歩く。
地下鉄に乗った方が断然早いけど、何故かそうしたくなかった。
だってね。
西28丁目でまゆちゃんとばったり会っちまったら。
幾ら何でも、カッコ悪くね?
そう思ったりして。
タクシーやら何やらが、ごうごうと通り過ぎる中。
俺は何となく、感じてた。
今日はきっと、忘れられない夜になるんじゃないかなって。
いろんな意味で。
俺にとって、思いもしないことが起こりそうな気がしてた。
根拠なんかないけどね。
ただ単に、酔っ払ってるせいかもしんない。
でも。
いつものTシャツとか、ネルシャツじゃなく。
ちょっとだけ、いい服着てきたりする。
兄貴が置いてったドレスシャツは、何となくお水の匂いがするけど。
まあ、ドンキで買ったミリタリーシャツよりはましだろう。
髭も剃ったし、髪にも櫛入れて。
珍しくムースなんてもんも使ってみた。
何となく気恥ずかしい感じはするけど、精一杯胸張って。
街頭の下を、早足で歩き続けた。
にしても。
生涯最初のデートがこれかと思うと、我ながらちと情けない。
しかも。
下手するとこれが、生涯最後のデートになるかもしんないし。
そう思うと、どうしてもブルーになんだけど。
ま、しゃーない。
人生、なすがまま、きゅうりがパパ。
なるよーにしかなんねーもんよ。
俺の達観も、頑張りも、何処吹く風っていった感じで。
大通駅は混みに混んでいた。
黒服、茶髪、金髪に、ド派手なミニスカ軍団などなど。
どうも、アフターお水の時間帯らしい。
てか、君達。
お水ならお水らしく、タクシーで帰りたまえよ。
予想が裏切られて、ますますブルーになったまま。
俺は西28丁目までの切符を買って、自動改札を通る。
もしまゆちゃんとここで別れることになったら。
この切符を記念に取っておこうと思ったって訳。
23時49分。
時間通りに、宮の沢行きの電車が来る。
同時に。
俺の心臓は、イヤ〜な速まり方をする。
これで最後か。
そんなことを、つい思っちまうから。
けれど。
乗ろうと思ってた車両に、まゆちゃんの姿を見つけた時。
もう、覚悟は出来てた。
例の裏技を使ってくれたのか、その車両には誰も乗って来なくて。
俺はほっとしつつも、ちょっとだけフクザツだった。
だとしたら、別に何時のでも良かったんじゃね?
まゆちゃんは、一番端の席に座り。
俺は、一人分空けて、その隣に腰を下ろす。
電車のドアが閉まってから。
俺はカバンを彼女の前に置いて、タッパーを取り出した。
それから、少しだけ沈黙があった。
戸惑いのような、躊躇いのような。
でも。
ここまで来たら、もうやんなきゃ。
チルドに入れておいた左手は、恐ろしく冷んやりしてたけど。
俺は慎重にそれを取り出して、手の平に乗せる。
おふくろがしまって以来、怖くてまともに見てなかったから。
状態がどーのとか、まるで判らなかったけれど。
その手は最初の時みたいに、ほんのりと光ってて。
ガラス作りの置物みたいに見える。
俺が空いてる右手を差し出すと、まゆちゃんは左手をそっと出す。
手の平を下向きにしたままで。
だから。
その形に合わせて、冷たい左手を重ねていく。
何て言うんだろう。
カメラのフォーカスを合わせる時みたいな感覚。
二つの左手が、ぴたりと合わさった瞬間。
それは見事に同化して、たちまち血が通い始める。
ユーレイに血が通うって言い方もどうかと思うけど、ほんとにそんな感じだった。
まゆちゃんは恐る恐る、左手を動かして。
大丈夫そうなのを確認して、微かに溜め息をついた。
その直後、電車は西11丁目に到着して。
スーツ姿のおっさんが、どかどか乗り込んで来る。
それで俺はちょっと慌てたんだけど。
まゆちゃんは、くすくす笑ってる。
それから。
俺のカバンを持ち、手を引いた。
「混んできたから。詰めた方がいいよ」
「あ、だよね」
ごく自然にそう答えてから。
俺、はたと気付いた。
まゆちゃんの姿が、いつもよりはっきりしてることに。
彼女の声が、きちんと聞こえることに。
いや。
そんなもんじゃねー。
きちんと揃えた靴のつま先。
そこには、くっきりと影が落ちてる。
それと。
俺の左腕に触れてる腕。
肩に寄りかかってる、彼女の髪。
その感触。
…マジで?
信じられずに、まゆちゃんのこと見たけど。
彼女、目閉じたまま、俺の左手に右手の指絡ませて。
その上に左手置いて、そっと握り締めてくる。
あったかい。
てか。
嘘みたいだけど。
今の俺、ちゃんと感じる。
ちゃんと感じられてる。
まゆちゃんのこと。
声も、体も。
リアルに感じられる。
ほんと。
ふつーの女のコみたいに。