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刹那。
たちまち巻き起こる熱風。
息が出来ねーくらい。
何とかまぶたこじ開けて見たものは、煌々とした光の手前に佇む、美奈ちゃんのシルエット。
奴が咆哮するたびに、風は激しさを増して。
美奈ちゃんの緋袴と長い髪が、上下に靡くのが見えるけど。
彼女は怯むことなく玉串を捧げ、祝詞を唱え続ける。
「皇親神伊邪那岐の大神、筑紫日向の橘の、小門の阿波岐原に ―― 」
「うぉおおおおおぉおおーっ!!!!!」
初めて聞く奴の叫びは、床を震わすほどで。
目を開けなくても、その姿が見えそうな感じだった。
うわー。
マジかよ?
俺、こんな奴と、丸腰で戦ってた訳?
「禊祓ひ給ふ時に、生坐せる、祓戸の大神等 ―― 」
そのあたりから。
俺の意識は、徐々に薄れ始める。
これは一体何だろう?
実写版犬夜叉かよ?
眩しさと緊張が薄れ、力が抜けてくると。
俺の体は何故か、ずるずると背後に引きずられる。
ふと見ると、いつの間にか、腹にロープが回してある。
それを、富樫一行が、よいしょよいしょと引っ張ってた訳だ。
「三国ぃ〜!」
「頑張れ〜〜っ!!」
「持ってかれるなー!」
「俺達がついてるぞ!!」
奴等の必死な声を聞いているうちに。
俺の体はふんわりあったかくなる。
やっとの思いで目を開けると、俺はまゆちゃんの膝の上にいて。
泣き出しそうなその顔を、ようやく見ることが出来た。
大丈夫。
俺、やったから。
出来るだけのこと。
てか。
おいしいとこは、みんな持ってかれた気がするんだけど。
まあそれも、俺の仕様ってことで…
彼女の温もりと、細い指先をはっきりと感じるのと同時に。
俺のライフがゼロになるのも判った。
美奈ちゃんが戦ってる。
小さな背中を俺に向けて。
みんなもここにいる。
まゆちゃんも、富樫も。
その他大勢も。
ごうごう言うレールの振動が間近になった頃。
地下鉄が威嚇的な警笛を鳴らす。
ふぁん。
それを聞いた直後。
俺の意識は、完全になくなった。
ぷちんと。
ぱつんと。
そんな中。
美奈ちゃんの最後の台詞が聞こえた。
かしこみ、かしこみもまをす…
気付いた時。
俺は、ホームの椅子に寝かされて。
無理な体勢だったせいか、猛烈に背中が痛んだ。
それなのに。
周囲は何もなかったみたいに和気藹々としてて。
到着した電車からは、またもや大量のニセ巫女が降りてくる。
富樫達は、遠くでアニメの話して盛り上がってるし。
俺の体には、何の異状もない。
「やだー、遅れちゃう!」
「限定版買えないじゃ〜ん!」
そんな声と共に。
ありえねー巫女どもは、わらわらとエスカレーターに群がって。
あわや大惨事って状態を今にも作り出しそうだ。
とはいえ。
体のあちこちに、妙な痛みを感じてた俺。
殺風景な天井見上げながら、思わず溜め息ついた。
だってひでーじゃん。
あんまりじゃん。
これで夢オチとか言ったら。
俺、マジで泣くからね?
「ヒロさぁ」
突然、名前を呼ばれて。
思わずびくっとする。
見ると、すぐ傍に美奈ちゃんが立ってたけど。
いつの間に着替えたのか、それとも最初から妄想だったのか。
彼女はとっくに普段着になってた。
真っ直ぐの黒髪も、乱れ一つない。
「とりあえず、終わったから」
「…えっ?」
「完全に消すには、あと二回ぐらいかかると思うけど」
「……」
「あんたが頑張ってくれたから、何とかなったよ」
「マジで? あれって、夢じゃなかったの?」
「夢だったら良かったんだけどね」彼女は、俺をじろっと睨む。「ほんっと、メーワクかけられたよ」
「…サーセン」
「一般市民には判ってなかったと思うから。富樫くん達には、結果だけは伝えておいてある」
そう言うと。
美奈ちゃんは俺をぐいぐいどかせて、隣にちょこんと座る。
「でもさ。ヒロ、思ったよりヘタレじゃなかったじゃん?」
「まーな。今回ばかりは頑張ったよ」
「ちょっと持ってかれたけど、6割方取り返したから」
「へっ? 6割方?」
「それでも、悪たれジジイになるまでは生きられるね」
「ちょ、待って」言いたかねーけど、彼女は小四。「持ってかれたって、寿命か何か?」
「人間、知らない方が幸せなこともあるさ」美奈ちゃんは初めて、にっこり笑う。「ま、そーゆーこと!」
「うわ、マジで?」くどいよーだけど、彼女は小四。「それってかなりヤバい状態?」
「だから、悪たれジジイになるまで生きられるって言ってんでしょ? ゼータク言わないの!」
「…ハイ」
「それより。ヒロにはまだやることあんだから」
「え?」
「もう時間ないから。今日中にアレ、返してあげないと。彼女ほんとに、帰れなくなっちゃうよ?」
「……」
「返したら、北見まで送ってあげて。一人じゃ帰れないと思うから」
「……」
「出来れば最終電車使って、人目につかないようにして。霊波の弱いのがいると、上手くいかないこともあるし」
「……」
「ちょっと! 訊いてんの?」美奈ちゃん、ついにキレたっぽい。「あたしもう買い物行くからね!」
「あ、うん。ごめんごめん。返すんだよな、アレを」
「そうそう。日付が変わる前に」
「でも、アレ返したら、もうまゆちゃんとは…」
そう言いかけた時。
何故か、うちの両親と妹、叔母さんまでやって来る。
「お疲れ、ヒロ!」と、おふくろ。「上手くいったかい?」
「んなこといーから、買い物行こうよ!」と、妹。「バーゲン! バーゲン! 美奈ちゃんも行こ行こ!!」
「お前、車使うだろう?」と、親父が鍵を渡してくる。「いつもの駐車場に入れてあるから」
「あ、じゃ、俺達も便乗していいっすか?」と、富樫。「イベント終わっちゃったんで」
「いいよー」と、美奈ちゃん。「じゃあさー、とりあえず地上出て、それから…」
「一回ロビンソンまで戻るかい?」と、叔母さん。「それとも、巫女巫女フェスティバル見てから行くかい?」
「あ、いいねー!」
「そうしよっか!」
「じゃ、ヒロ! またあとで!」と、美奈ちゃんも笑顔。「ねー、おかーさん。アニメイトも見たーい!」
そんな風に。
これまた和気藹々と遠ざかる連中の背中を眺めながら。
俺はボーゼンと一人取り残されて。
ぽつりと、ホームに佇んでる訳で。
…。
……。
てか。
どーでもいーけど。
相っ変わらず、空気読まねー家系だよ…
@ @ @
よーやく放心状態も収まって。
何とか、次の電車に乗ってみた。
単なる偶然かもしれないけど。
どういう訳かその車両だけ、やけにがらんとしてた。
落ち着かない気持ちで周囲を見回して。
誰かの温かみが残るシートに、腰を下ろしてから。
俺はその光景を、ずっと眺めてた。
端っこに座って競馬新聞読んでるおじさん。
ipod聴いてる細身の男子高校生。
おしゃべりに夢中のばーさん二人連れ。
こんなちっぽけな車両にも、いろんな人がいて。
いろんな生活があって、多分、悲喜こもごもとした事件があって。
でも。
悪霊のせいとかじゃなくても。
事故だとか、事件だとか、病気だとか。
ほんの些細なことで、そいつは簡単になくなっちまうんだなって。
若かろうが、年食ってよーが。
失うのは、ほんの一瞬なんだろーなって。
そんなことを、考えてた。
美奈ちゃんが言うには、あいつは元々自縛霊で。
生きてる頃、いろんなものを抱えてたそうだ。
自殺のきっかけは、彼女にもよく判らなかったらしいけど。
深い恨みを残して死んだのはまず間違いないって。
だから。
通りすがりの人を、巻き添えにしたりして。
誰かを不幸にすることで、自分を慰めてたって。
バカみたいだけど。
ありえねー話だけど。
そういう奴って、生きてる人間の中にも沢山いるような気がする。
それより。
俺はまだ迷ってた。
あの手は、まゆちゃんと俺とを繋ぐもので。
それを彼女に返してしまったら、一体何が起きるのか。
さっき、美奈ちゃんに聞きそびれちまったけど。
メールしても、返事来ねーけど。
何となく、想像はつく。
少なくとも。
まゆちゃんをここに縛り付けているものが解けて。
彼女は、家族の元に帰れるようになるんだろうって。
でも。
例えユーレイだったとしても。
まゆちゃんは俺の中では、リアルな女の子で。
もう会えなくなるなんて、考えたくもなかった。
いや。
ぶっちゃけ、俺は彼女を離したくなくて。
電車の中だけでもいいから、会えればいいなんて。
そんな勝手なこと思ってたりして。
けれど。
もしアレを返さなければ。
彼女は一生、ここにいなきゃいけない。
俺が大学卒業して、この先何処に行くか判らねーけど。
何処に行って何をするか見当もつかねーけど。
札幌を離れる可能性だってある。
そうしたら、まゆちゃんはどうなる?
またずっと一人きりで、ここにいるのか?
俺みたいなユーレイ体質の人間が現れるまで。
一人寂しく、地下鉄の中で過ごすしかないのか?
大勢の人間が素通りして行くこの場所で。
成仏することも出来ずに、彷徨ってるしかないって?
ありえねー。
しっかりしろ、三国廣明。
寂しいからとか、離れたくないとか。
今更、んなこと言ってる場合じゃねーだろ?
お前のエゴで、彼女をそんな目に遭わせるつもりかよ?
マトモな俺は、そう言うけど。
マトモじゃない俺は、やっぱり迷ってる。
だって。
あんまりじゃね?
浄霊成功したのはいいけど。
まゆちゃんの敵も討てたし、犠牲者もこれ以上出さずに済むし。
それは勿論いいけど。
何てーか。
せめてもうちょっと、猶予期間が欲しかったかなーと…
そう思ってた時。
左手が、ふわっとあったかくなった。
まゆちゃんだ。
今日もゴスロリ調の服。
黒いボレロのついたジャンパースカート。
その下から覗く、真っ白なレース。
前から思ってたけど。
可憐って言葉は、彼女のためにあるんじゃないかって。
そんなまゆちゃんに向き合う時。
俺も前よりは、ちょっとだけカッコイイ気がした。
いや、あくまで気がしただけだけど。
そこはあんまり突っ込まないでくれるとありがたい。
「終わったよ」彼女の両手を掴んで、そう言ってみる。「もう、自由になれるから」
頷く彼女の肩から、薄茶の髪がこぼれ落ちる。
ああ。
もうダメだ。
萌え死ぬ。
ミーハーな気持ち、必死に抑えながら。
彼女の両手握ったまま、額に額くっつけてみる。
けれど。
それ以上のことは、出来なかった。
だって。
まゆちゃん、泣いてるから。
大粒の涙こぼして。
それ見た時。
俺、確信しちゃった。
判ってるんだなって。
俺だけじゃなく、まゆちゃんも。
だから。
何も言わずに、抱き締める。
溜め息つきたいの、我慢して。
判ってる。
今日が最後なんだって。
明日にはもう、お別れしないといけないって。