33
旭川台風が去った翌朝。
俺はいつになく早起きして、地下鉄駅へ向かう。
もうビビっちゃいられねー。
おふくろの(あてにならん)話によれば、ユーレイ部品の扱いは難しくて。
鮮度もそんなにもたないみたいだし。
だとしたら、早目に返さなきゃって。
でも。
リュック背負って、階段駆け下りてる時も。
新さっぽろ行きの始発電車に、慌しく乗り込んだ時も。
俺ん中には、不安材料が二つばかり。
一つは、俺を突き落とした奴が誰かってことと。
そいつにまた襲われたらどうしようってこと。
もう一つは、この左手をまゆちゃんに返すとして。
彼女に直接渡していーもんか、判断つきかねる。
てのは。
もしあれが最終アイテムだった場合。
それでまゆちゃんがあっさり消滅しちゃったら。
俺のこれまでの苦労は一体どーなるんだろーと。
第一。
ユーレイの彼女は、五体満足な訳で。
あんなん渡して倒れられても困るし…
な〜んて思いつつも。
これは俺の勝手な推測だけど。
まゆちゃんはあれを俺に何とかして貰おうと思ってんじゃないかな。
そもそも、カバンを調べてって言い出したのも、彼女だし。
ってことは、まゆちゃんはあの手の存在をもう知ってるってことになる。
で、それをどーしたらいいかについては、まだ全然話せてなくて。
だから。
眠い目擦りつつ、地下鉄乗って。
人のいない時間に、ちょっと訊いてみようと思ったのよ。
朝早いせいか、車両はさすがにがらんとしてる。
円山公園から登山靴履いた老夫婦が乗ってきたのと。
西18丁目から、くたびれたサラリーマンが乗ってきたのを除けば。
大通までは、他の客は殆どいなかった。
見知らぬ連中が、入れ替わり立ち替わりしてる中。
俺は膝の上に、読みもしないマンガ広げたぐらいにして。
ipod聴きながら、まゆちゃんが来るのを待つ。
バスセンター過ぎた頃。
ようやく、彼女の姿を見付けた。
最初はドアの向こうから、こっそり覗いてたんだけど。
俺に気付いてか、にっこり笑ってくれる。
すっげー嬉しそうな感じで。
なんで。
ややキョドりつつ、右手振ってみたんだけど。
彼女、小走りに駆けてきて。
俺の隣にふわっと座る。
プリーツの入った黒のミニスカ、黒のキャミ。
そして、白レース付きのニーソ。
で。
文句言う訳でも、怒る訳でもなく。
俺の方見上げつつ、腕組んでくる。
おっきな瞳、きらきらさせながら。
…あー。
ごめん。
俺、萌え死ぬ。
確実に死ぬ。
今日の任務もぜーんぶ吹っ飛んで。
なけなしの理性も、公共の福祉とやらも。
秒殺ないし、瞬殺されちまう。
でもね。
見とれてる暇はねーの。
俺、言わなきゃ。
相談しなきゃ。
ちゃんと話さなきゃいけねーの。
事故に遭ったこととか、チルド入りのブツのこととか。
そう思いながらも。
何だか、馬鹿みたいにどきどきして。
どきどき通り越して、もう何だか訳判らなくなって。
まゆちゃんの体、ひしと抱き締める。
車両に誰もいないのいいことに。
他の奴には見えないかもしんないけど。
腕の中にいるまゆちゃんは、すっげーリアルで。
いや。
俺にとっては、リアルな女の子そのもので。
今は、その何もかもが手に取るように判る。
ユーレイだけど。
心音も、温もりも、ちゃんと伝わってくるし。
ユーレイなのに。
俺はやっぱり好き勝手出来ない。
妄想や夢なら何とでもなる世界。
けど。
まゆちゃんには、まゆちゃんの意思があって。
考えがあって、感情があって。
だから。
俺は好き勝手出来なくて、フツーの女の子と同じ感覚で彼女と接してて。
接してるうちに、どんどん好きになって。
何度となくブレーキかけようとして、そのたびに失敗して。
自分でももう、どうしていいか判らなくなってた。
ヘンタイだよね。
こういうのって、多分。
でも。
会いたかったんだよね。
ほんとに。
こんな風に。
二人っきりで、会いたかった。
俺、ヘタレだけど。
秋葉ちゃんだけど。
こんなの、ほんと初めてで。
まゆちゃんのこと、何とかしてやりたいって気持ちと。
彼女と離れたくないって気持ちがいっつもケンカしてる。
俺ん中で。
でもさ。
今は、まだ言わないでおかないと。
だってね。
やること、いっぱいあんだから。
惚れたはれた言う前に。
スキとかキライとか言う前に。
もう、バレバレかもしんないけど。
@ @ @
貸し切り状態の地下鉄の中。
俺がぎゅっとしても、まゆちゃんは嫌がらなくて。
それどころか、しっかりと抱き締め返してくれる。
ヤバいって。
まずいって。
俺のどきどき、すっかりバレちまう。
てか。
こういう経験、これまでしたことねーから。
どういうタイミングで体離すのかも判らねー。
でもさ。
これって、ほんとのこと。
まゆちゃんの両手が、おずおずと背中に回されてきたのも。
目を閉じて、俺の肩にこてんと頭乗せてきたのも。
首筋に感じる、ちょっと速い息遣いも。
多分、ほんとのこと。
気を失いそうなくらい緊張してるってのに。
俺、やっぱり、どうしていいか判らなくて。
しばらくそのまま、まゆちゃんのこと抱き締めてた。
前の時とは全然違う。
全く違う。
何だろうね、この感覚。
通じ合うっていうか、通い合うっていうか。
ぴりぴり、全身が痺れてくる感じ。
で。
俺もう、まともに息出来ない。
呼吸困難。
てか、誰か助けてくれ。
衛生兵、衛生兵!
そんな一人ボケ&ツッコミをしてるうちに。
まゆちゃんの方から、そっと体を離してくれた。
ちょっと名残惜しいなって感じで、微笑みながら。
その途端。
俺もよーやく我に返って。
耳まで血が昇ってきちまった。
あ。
だよね。
長過ぎたよね。
幾ら何でも。
サーセン。
何せ俺、彼女いない歴19年だから。
秋葉チャンだから。
何もかもが未体験ワールドなもんだから。
どうも、引き際ってもんが判ってないのよ。
そんなことはあったけど。
俺は無事、まゆちゃんと話すことが出来た。
地下鉄で起きたこととか、例の手のこととか。
これまでのいきさつやら何やらを。
結構長い時間がかかったような気がするけど。
朝早いせいかもしれないけど。
何故かこの車両には、誰も乗って来ない。
他の車両には、ぽつぽつ人がいるもんだから。
ひょっとしたら、まゆちゃんが何かしてくれてたのかもしれない。
一通り話が終わると。
今度は、まゆちゃんがいろんなことを教えてくれた。
一番伝えたがってたのは、俺を突き落とした相手のことみたいで。
彼女自身、確証はないけれど。
そいつが多分、まゆちゃんを殺した犯人で。
他にも似たようなことをやってるかもしれないって。
「うーん」まゆちゃんを見詰めながら、俺は考える。「要するに、悪霊みたいなもんかな?」
彼女、こくんって頷く。
やけに真剣なカオしたままで。
「じゃあ、また誰か襲われる可能性もあるってこと?」
俺がそう言うと。
まゆちゃん、突然指差してくる。
俺のデコに向かって、真っ直ぐに。
ん?
どーゆーこと?
俺、一瞬、どうリアクションしたらいいか判らずに。
その手をじーーーーっと見詰めたあと。
おもむろに、ぱくりとくわえようと…
ぱぁん。
まゆちゃんの、黄金の平手炸裂。
…ですよね。
イヤですよね、ふつー。
ふざけ過ぎですね、俺。
調子こきましたね。
サーセン。
今度こそ、空気読みます…