32
どんぐらいしてからだろう。
アパートの呼び鈴を、ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン連打する奴が現れたのは。
はう?
俺、ひょっとして寝てた?
で、モーローとしながらドア開けに行くと。
親父とおふくろ、兄貴の三人が、すっかりばっちり出来上がった状態で入ってくる。
「ただいまー!」と、親父がわめく。「おっ! 廣明! こまんたれぶー?」
「いやいやいやいや、すっかり遅くなっちゃったもんねぇ!」と、おふくろ。
「何、お前寝てたの?」と、兄貴にデコ小突かれる。「いーよなー、学生さんはよぉ!」
「ちょ、待て、お前等」俺、ついに文句つける。「何時だと思ってる?」
「にじはーん!」
「いや、さんじだべさ?」
「判ってんなら、さっさと入って」俺はもう世界をひっくり返したい。「近所から苦情来んだけど?」
「はいはい。おっしゃー、寝るべ寝るべ!」
と、大トラ三人はもう収拾つかず。
俺は連中を放置して、自分のベッドに潜り込む。
客用の布団は台所に二組敷いておいたから。
とりあえず、安眠は妨げられずに済む…筈が。
「ちょ! ヒロ! これ、狭くね?」
兄貴が、大声で文句付けてくるから。
俺はもう勝手にしてくれモード。
「狭くねーって。全然余裕っしょ?」
「そっちに一組敷けばよくね?」
あー、マジうざい。
でもさ。
いいだけ陰で悪い遊びしまくってる兄貴のこと。
そーゆー後ろめたさとかがあるんじゃねーの?
だもんだから余計、あいつらと一緒に寝たくないんだなと、俺は解釈して。
解釈したはいいけれど、俺もほんといっぱいいっぱい。
返事する気力もなく、バイバイと手を振ってみる。
言いたかねーけどね。
この時点で、俺のライフは見事にマイナスで。
久々のビールのせいか、疲れのせいか。
あいつらがぎゃあぎゃあと陣取り合戦やってる間に。
こてんと夢に落ちちまった。
で、朝。
ベーコンの焼ける匂いで目が覚める。
…ん?
ああ?
ちょ、それ、俺の取っておき!!!
慌てて飛び起きると、おふくろと親父、しっかり飯食ってて。
寝癖全開の俺見て、おはよーって手振ったぐらいにして。
ふと見ると。
兄貴は俺の部屋にしっかり布団持ち込んで、ぐうぐう寝てやがる。
あのー。
おたくら一体、何しに来たの?
でもまあ、人様に作って貰う朝飯は久し振り。
焼きあがったばかりのトーストに、黙々とバターを塗ったくりつつ。
俺は何度も欠伸を噛み殺す。
親父は俺の道新勝手に読んでるし。
いつの間に買い物してきたのか。
おふくろは、冷蔵庫に食材補充しながら話しかけてくる。
でっかい背中、こっちに向けたまま。
「ご飯食べたら、あたしら大通まで行ってくるから」
「はいよ」もぐもぐ。
「あんた、一緒に行かないかい?」
「レポートあるし」これは嘘。
「いやいやいやぁ、それは残念。服ぐらい買ってあげようと思ったのに」
「行きます」きっぱり。
「レポートは?」
「夜書くからいい」あ、卵の黄身潰しちまった。「兄貴どーすんの?」
「叩き起こせ」と、新聞の向こうの親父が言う。「運転させるべ」
「いいけど。こいつ超寝起き悪いんだよね」
「取っておきの召喚呪文がある」親父は、あっさり言う。「まあ見てろ」
そう言うと。
親父、新聞と老眼鏡置いて。
すたすたと、兄貴のところへ行く。
で、何事か囁いた次の瞬間。
兄貴、がばとはね起きて。
布団の上に正座して、ぺこぺこしている。
んん?
何だ何だ?
一体どんな手使ったんだ?
とりあえず、飯食い終わってから。
親父の車で、大通まで行くことになった。
アホ二人は相変わらずの夫婦漫才状態で。
俺と兄貴は、ずーーーーっと離れて歩くことにした。
で。
俺、ふと気になって。
兄貴に聞いてみる。
「タカ?」
「あん?」
「朝、親父に何言われた?」
「……」
「いっつもグダグダの癖に。一瞬で起きたじゃん?」
眠たげに目を擦りながら。
兄貴は右手で、がりがりと頭掻きむしる。
見るからに秋葉チャンの俺と違って。
兄貴は背はたけーし、見た目もそれなりだし。
製薬会社の営業マンだから、いちおー人当たりもいいんだけど。
病的な女好きがタマにキズなんだよね。
大通公園には、チューリップやら何やらが綺麗に咲き誇って。
吹き上がる噴水の周りを、ガキ共が走り回ってる。
芝生の上には、家族連れがマット広げてるし。
ベンチには、いちゃこくカップルの姿。
そんなのを漫然と眺めながら。
兄貴は、でっかい欠伸をする。
「まあ、その、つまり。何だ」
「うん」
「これ以上キャバクラ通いが続くようだったら、小樽のマンション引き払うぞ? って」
「はっ?」
「やだねー。わざわざ居酒屋で待ち合わせたのに。すっかりバレバレなんだもん!」
溜め息つく兄貴見ながら。
俺は、そりゃそうだよなと思う。
あんだけ香水臭けりゃさ。
でもってこんだけ金使い荒けりゃさ。
親父じゃなくとも、バレるに決まってんだろー?
@ @ @
それから。
アホ三人と、延々行動を共にしてた俺。
ロイヤルホストで飯食って、ユニクロで服買って貰って。
夕方になってようやく、解散と相成った。
で。
先に兄貴を、すすきのの駐車場まで送ってったんだけど。
それ以降の同行は気合で拒みやがった。
そう言えば、今日も常夜勤だって言ってたもんなぁ。
てゆーかね。
んなカネあったら、苦学生の俺に恵んでくれと言いたい。
体よく兄貴に追い払われたあと。
親父の車で、アパートまで送って貰う。
まゆちゃんには会いたかったけど。
きちんと話しなきゃとは思ったけど。
あんなことのあとだから、さすがに地下鉄に乗るのは怖くて。
てか、珍しくおふくろが気ぃきかせて、冬服とか持ってってやるって言ったから。
結局、その言葉に甘えることになったって訳。
「じゃ、どーもね」
とりあえず、服と飯の礼言って。
さくさく机に向かってからも。
おふくろはずっと、台所でごそごそしてる。
何やら、不穏な感じ。
「外食ばっかりしてるんでないの? 冷蔵庫空っぽだったよ?」
「あーい」俺、生返事。
「バイトちゃんとやってんのかい?」
「いちおー」
「あ、そうだそうだ。里佳さぁ、来年、あんたとおんなじとこ受けるってよ」
「はっ? マジで?」
「うん。もやしもんにハマってね。農学部行きたいらしいよ」
「無理無理。あいつのアタマで入れる訳ねーって!」
「でもさ。里佳がこっち受かったとして。二人してここに住んだら、うちら楽出来んだけど?」
「はぁ? じょーだん。せっかくの俺のシングルライフが…」
「あっ、そ。じゃ、仕送りは今年度分で打ち切りってことで…」
「検討の余地はあるかと」振り返りもせずに言う。「前向きに善処いたします」
「…なんでそう変わり身早いの?」
「家系っしょ?」
「それもそっか」
「てか、俺、そろそろレポート書きたいんだけど?」
「あ、はいはい。お邪魔しましたぁ!」
俺がそう言って初めて、よーやく腰上げてくれる。
基本的に空気読まないヒトだから。
いちいち、文句言わないといけないのがめんどい。
ところが。
大荷物持って、玄関に出たおふくろ。
突然、こんなこと言いやがる。
「あ、そーだ!」
「何?」
「あんたさぁ。何かおかーさん達に隠しごとしてないかい?」
「いや、別に…」
「ほんとに?」
「うん」俺、ちょっと考える。「なんもねーよ」
「なら、いっけど」おふくろ、冷蔵庫を指差して言う。「ベッドにヘンなもん置かないんだよ?」
「全部回収したっしょ?」
「いやいや。ナマモノさぁ」
「ナマモノ?」
「誰のか知らんけど。ラップしといたから」
「…はっ?」
「チルドに入れてあっから。早めに何とかしなよ?」
俺、一瞬沈黙。
何のことか全っ然判らなくて。
でも。
ほんの数秒後。
びっくりして、大声上げちまう。
だって。
だってでしょ?
つまり、そーゆーことでしょ?
「え、ちょ、待って! 何のこと言ってんの?」
「タオルにくるんであったからさ。何かと思ったよ」
「あ、で、おふくろ、あれ見えるの?」
「見えなかったら気付かないべ? こうやって喋らないべさ?」
「いや、そりゃそうだけど!」俺、ちょっとパニック。「何で見えんの?」
「なんも不思議じゃないって。見えるのってあんただけでないさ?」
「でも、これまで一回もそんな話…」
「あたしだけじゃなくて。里佳も見えんだ? あんたの従妹の美奈ちゃんも。ふつーに」
「……」
「タカとおとーさんは見えない体質だけど。何でかねぇ? 乙女座Bだからかねぇ?」
「……」
「ま、とにかく。早く持ち主に返してやるんだ?」
「……」
「でないと、いつまで経っても成仏出来ないっしょ?」
なんて言いながら。
おふくろ、からから笑いつつ階段下りていく。
ボーゼンと、そのでかい背中を見送ってる俺。
それから慌てて冷蔵庫見てみる。
すると。
まゆちゃんの左手は、長方形の角皿にちゃあんと乗せられて。
しっかりラップされた状態で、チルドに入ってた。
でもって。
これまた、非常にシュールな光景なんだけど…
…。
……。
かーちゃん。
なんてーか…
あんた、ちょっとすごくね?