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婚約破棄されたい聖女は悪役を目指す

作者: 今川幸乃

 私シエラが平凡な村娘からベルガルド王国の次期国王と名高い王子の婚約者となったのは運命のいたずらだ。


 ある日いつものように服のほつれを直していると、不意に教会から仰々しい神官の一団がやってきた。私が暮らしているのは田舎の小さな村で、たまに下っ端の役人が見回りに来るぐらいしか偉い人が来ることはない。

 そんなところに突然偉い神官様が来たものだから、何か神の怒りに触れてしまったのかと懺悔を始める村人すら出る始末だった。


 が、彼らは思いもよらないことを言った。なんと私が次期聖女に選ばれたという。

 聖女というのは神に愛された存在で、祈りを捧げることで神の王国への恩寵を引き出すという重要な人物だった。私にとって雲の上の存在だったが、選ばれたと知るや両親や村人は盛大なお祝いとともに私を王都に送り出してくれた。


 王宮に入った私は毎朝決まった時間に祈りを捧げる以外は好きなことをしていて良かったし、衣食住もこれまでの生活では見ることすら出来ないような豪華なものになった。極めつけは王太子のレイノルド殿下と婚約することになった。聖女で王妃ともなれば国の全女性が憧れるような身分である。

 だが、私はその地位にそこまでのありがたみを感じていなかった。一つ目の理由は降って湧いた幸運だから現実感がなかったこと。もう一つの理由は……




「アリエラ、今日もそなたは美しい」

「殿下、今日はうちに新しい茶葉が入りましたわ。よろしければお越しくださいませんか」


 我が国の王太子レイノルドは今日もアリエラという公爵令嬢と親しげに話していた。アリエラの方もそれが満更でもないのだろう、レイノルドに媚びるような態度をとっている。平民生まれでどこか地味でおしゃれにも無頓着な私と違って、アリエラは名門貴族に生まれ愛嬌のある顔立ちで美しく着飾っている。


 レイノルドは王家の血を引いているためか顔かたちだけは整っていて、武勇にも優れているが性格の方はだめだった。女癖が悪く、好みの女性がいればとりあえず声をかける。

 ちなみに私は挨拶すら返されない。


「分かった。今日の政務が終わったらお邪魔するよ」

「政務お疲れ様です。それではお待ちしておりますわ」


 二人は親し気にやりとりをしている。

 それを見た私はさすがに不快感を覚えた。王子も王子だが、アリエラだってレイノルドに婚約者がいることは知っているはずだ。それなのに堂々と王宮の真ん中で王子に媚を売るなど悪意があるとしか思えない。


「ではまた」


 そう言ってレイノルドはアリエラの頬に軽くキスをして去っていった。後に残されたアリエラは私が遠くで見ていることに気づかずに嬉しそうな顔をしている。

 見かねた私はさすがに彼女の前に出ていった。親しく言葉をかわすだけならともかく、ここまでされると黙ってはいられない。


「アリエラさん」

「あら、シエラさん」


 普段親しく話す間柄でもないので不意の私の登場にアリエラは少し驚いたようだった。

 しかし家柄のせいか、それともレイノルドの寵愛を受けているという余裕があるからか、彼女の態度はどことなく余裕があった。


「今のは何でしょうか? 殿下の婚約者は私です。仮に殿下から声を掛けられたとしても辞退するのが筋というものではないでしょうか?」


 本来公爵令嬢に下々の者が言って許されることではないが、聖女という身分は唯一貴族制度の外にあるらしいので大丈夫だろう。用件を悟ったアリエラはさっと表情を強張らせる。


「レイノルド殿下は政務でご多忙の身。せめて政務後のひと時ぐらいゆっくりしていただきたいと思うのは当然のことですわ」

「しかしあなたの殿下がそれ以上の意図を持っているのは先ほどのキスからも明らかです。アリエラさんの方から一線を引いて接するべきでは?」

「……」


 私が思いのほか強く言っていると悟ったアリエラはしばしの間沈黙した。私と言い争うべきか、それとも他の手を打つか考えているのだろう。そして結論が出たのか、突然目に涙を浮かべた。


「……ぐすっ、私は殿下に喜んでもらいたかっただけなのに、そこまで言うなんてひどいですわ」


 王宮の中には普通に人通りがある。私と話していたアリエラが急に泣き出したため、通りすがりの人々はこちらを見てまるで私が泣かせたように思うかもしれない。中には「聖女様、調子に乗ってアリエラ殿を泣かせたのか?」という声まで聞こえてくる。

 というか、そんな人通りがあるところでいちゃいちゃしていたこの二人がそもそも悪いのだが。

 それを見てアリエラは目的を達したと思ったのだろう、


「このことは後で殿下にも相談させていただきますっ」


 そう言って涙を流しながら去っていく。


 後に残された私はあまりの演技のうまさにしばしの間呆然とする。これではまるで私が悪役ではないか。

 そこで私はふと気づく。正直レイノルドとの婚約は私にとって不満でしかない。婚約がなくなっても聖女は神に選ばれた地位である以上、急に殺されたり投獄されたりすることはないはずだ。そのようなことをすれば神の怒りに触れる可能性がある。ただちょっと王宮内で白い目で見られるだけだがそれはこの際どうでもいい。

 ならば徹底的にレイノルドに嫌われて、レイノルドから婚約破棄を言い出すように心がけよう。私はそう決めた。


 そして、機会は意外と早くやってきた。

 数日後、レイノルドの父であるヨゼフ陛下の誕生日を祝うパーティーが王宮で開催された。たくさんの贅をつくした料理が用意され、国中の貴族家の者たちが集ってあちこちで談笑している。こういうかしこまった場は苦手だったが、私は今日だけはいつもと違う緊張を抱いていた。国王の誕生日の式典だけあって和やかな雰囲気で宴は進んだが、機会は訪れた。


 レイノルドは参加者に挨拶して回っていたのだが、ついにアリエラに声をかけたのである。しばらく他愛もない話をした後、おもむろにアリエラが切り出す。


「ところで殿下、一つ相談があるのです」

「何だ? 何でも言ってみるがいい」


 レイノルドはアリエラに頼られたからか、少し嬉しそうに答える。この時点ですでに不愉快だったが、アリエラは心底困っているという表情を作りながら言う。


「実はシエラさんの不興を買ってしまったようで、最近は強い物言いをされることが多いですの。私、シエラさんには悪意は全くありませんのに悲しいですわ」

「何と! そんなことがあったのか。分かった、僕の方から言って聞かせよう」

「お願いします、私、怖くて怖くて夜も眠れませんわ」

「それは酷い! 大丈夫だ、僕に任せておけ」


 レイノルドは即座にアリエラの言うことを信じたようで、心底彼女に同情している様子だった。夜も眠れない割にアリエラは随分血色が良さそうだがそれは今はいい。

 好機到来と見た私はレイノルドが何か言ってくる前に自分から切り出すことにした。


「お言葉ですが殿下」


 私がやや語気を強めてその場に割って入ると、周囲の列席者たちも不穏な雰囲気に気づいたのかざわざわし始める。


「な、何だ!」


「殿下の方こそ政略結婚とはいえ私という婚約者がありながら他の女性と過度に親密に接しています。将来国を担う者としてそのような振る舞いをするのはいかがかと思います。王子として率先して国の風紀が保たれるよう模範を示すべきではないでしょうか」


 私が毅然とした口調で言うと、周囲がざわつく。「殿下にあそこまで言うとは無礼な」「平民の生まれの癖に」という声とともに「我らでは言えぬことを言ってくださるとは」「確かに最近目に余っていた」という声も聞こえてくる。

 が、レイノルドはすぐに顔を真っ赤にして怒りのあまりか拳を震わせながら答える。


「な、この僕に対してその物言いは無礼であろう! いくら聖女に選ばれたからといってその物言いは不遜ではないか!?」


 おそらくこれまで周囲の者は王子という身分に気を遣ってここまで直接的に注意することはなかったのだろう、レイノルドは激昂して周囲の注目も集まっている。

 よし、この流れは悪くない。あと一押しだ。


「しかしこれも全て殿下の行いが招いたものでございます。婚約者がいるのに白昼堂々他の娘と接吻するなどどのような身分であろうと許されることではないと思いますが」


 図星を突かれたからか、レイノルドの顔はさらに真っ赤になる。まるで熟れたトマトのようだ。

 そしてレイノルドはその怒りに任せて宣言しようとする。


「こ、この僕に満座の中でそこまで恥をかかせるとは! かくなる上はお前との婚約を……」


 よし来た……と私が思った時だった。


「ちょっと待った!」


 不意に列席者をかき分けてヨゼフ陛下が現れる。そしてギロリとレイノルドを睨みつけると、普段の好々爺のような姿からは想像出来ないような太い声でレイノルドを一喝した。


「レイノルド! 今の話は本当か!?」

「ひっ……父上!?」


 不意に現れた陛下を見てレイノルドは急に怖がり出す。


「本当かと聞いているのだ!」

「……はい」


 陛下の剣幕に耐え切れなかったのか、先ほどまでの勢いはどこへやら、しおれた野菜のようにしゅんとしている。その姿は見ていて滑稽だった。が、答えを聞いた陛下はなおも怒りを弱めなかった。


「何だと!? 全く、お前というやつは。昔から女癖が悪いと思っていたが、まだ直っていなかったのか!」


 陛下の剣幕に場はしんと静まり返り、誰も言葉を発しなくなる。

 レイノルドは俯いたままだし、周りの者たちは気まずそうにしている。

 その空気を察したのか、陛下は急ににこにこして私の方を向く。


「シエラよ。余はずっとレイノルドの女癖を気に掛けていたが、王子という身分ゆえに誰も本気で諫言してくれる者がいなかったが。しかしそなたのような者になら安心してレイノルドを任せられるだろう」


 ……あれ?

 何か思っていた流れと違うんだけど。


「これからもレイノルドに王子にふさわしからぬ振る舞いがあればどんどん諫言して欲しい。レイノルドはいい婚約者を持って余も安心だ」


 そう言って心底嬉しそうににこにこ笑う国王に私は呆然とすることしか出来なかった。


 私はただ婚約破棄されたかっただけなのに何でこうなった。

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