鬼がいる
私には、“ちょっとだけ“霊感がある。
みんなには視えない、人型のぼんやりとした影のようなものが歩いているのを見たり、何を言っているのかまでは聞き取れないけれど、みんなには聞こえない声を聞いたりもする。大半はそんなはっきりとしないものだけど、たまにはっきり視えることもある。私と相性がいいのだろう。
裏口にいる猫の幽霊とか、音楽室にいる妖精とか。
裏山にいる、鬼とか。
「こんにちは、鬼さん!」
『こんにちは、今日も元気だね』
大人よりも大きくて、肌が赤くて、立派な角を持っている鬼さん。夕方ごろになると裏山に現れて、川で洗濯をしているのだ。
「今日は洗い物いっぱいだね」
『そうなんだよ。果物を採りに行ったら足を滑らせて泥だらけになっちまってね』
体格にそぐわず、この鬼さんは果物や野菜をよく食べる。「肉は苦手なんだよ」と前に言っていた。甘い物も好きなようで、キャロットケーキをあげたら喜んでくれていた。
「今日は新しく出来たお菓子屋さんでクッキーを買ってきたんだ」
『クッキーってあの丸くて甘い板だろ? いいなあ』
「ふふ、これは丸くないけどね。鬼さんにも少しお裾分け。美味しかったよ」
『ありがとう。ところで美味しかったってことは君も食べたんだろう?
甘い物は苦手じゃなかったのかい。それとも甘さ控え目ってやつか?』
「甘い物っていろんなところで渡されたりするから、克服してみることにしたの。それで美味しいって評判のお店で買ってきたんだ。
食べてみたら、すっごく美味しいの! 今まで甘い物を避けてくるんじゃなかったって後悔しちゃった! 毎日食べたいくらい!
思えば、私が甘い物を嫌いだったのって、小さい頃に毎日食べてて嫌になったからなの。別に味が嫌いなわけじゃない。だから、こうやって時間が経ったから平気になったみたい!」
『そりゃあ良かった』
鬼さんも喜んでくれている。
『山にも甘くて美味しい果物はいっぱいあるからね。今度食べてみてくれよ。いや、今の時期よりも秋頃のほうがいいかな?』
「わあい! 楽しみ!」
優しい鬼さんが持ってきてくれる果物。どんなに甘くて美味しいものなんだろう。
*****
私には、霊感がある。
お化けも幽霊もはっきり視えるし何を言っているのかももちろん分かる。だから、裏山の鬼さんともお話しができる。
「…………」
散歩がてら裏山に行くと、違う学校の制服の子とすれ違った。その子はニコニコしていて、きっと山でいいことがあったのだろうと推測できる。
「あれは……」
あの子から、裏山に住んでいる鬼さんの気配がした。人間がお化けや幽霊と長時間お話しをしたりすると、その人から微かにそのお化けの気配がするようになるのだ。とはいえ気配がするからといって良いことも悪いこともない。それはほんの数分で消え去ってしまう、ただ儚いだけのものなのだ。あえて言うなら、私みたいな視える人間には「あの子は少し前にお化けと会話してたんだな」と察されるくらいだ。
「ふうん、鬼さん来てるんだ」
一人言。裏山に住んでいる、大きな鬼。私もたまに雑談をする。
「こんにちは、裏山の鬼さん」
『おお、こんにちは。今日は千客万来だねえ』
「さっきの子は、鬼さんのお友達?」
『ああ。見てくれ。クッキーをくれたんだ』
鬼さんは手の中にあるクッキーの包みを見せてくれた。デフォルメされた人型のアイシングクッキー。最近できて人気のお菓子屋さんのものだ。
『あの子は甘いものが嫌いだったんだが、克服するためにこの店のお菓子を食べたら虜になったらしい。こりゃあ期待できるぞ。夜になったら酒といっしょに大事に食べるんだ』
「そういえば、鬼さんは甘い物が好きって言ってたね。嫌いなのはお肉だっけ?」
『ああ、肉は……昔、食い過ぎてしまってねえ。でもあの子が言ってたんだ。食べ過ぎて嫌になったものは、時間が経ったらまた美味く感じるようになるって。
久々に、食べるのもいいかもしれない……』
鬼さんは、目を細めて手の中のクッキーの包みを見る。
人型のクッキーが入った包みを、じっと見ている。
『久々に……肉を……』
呟くような鬼さんの声。視線をずっと、手の中の人を模した食べ物に注いでいる。
風が吹いてざわざわと山の中の木々を揺らし、鳥がいっせいに逃げていった。




