黒い獣
築50年の二階建て。数年前にリフォーム済み。それが不動くんの新しい部屋というか、家だ。
「なんか若い頃に家族のために買ったってかんじ」
「まあ実際そうだし。夫婦が買って子供が生まれて育って巣だって老夫婦二人だけになって、じいさんが死んでばあさんが一人だけになってばあさんも病院で子供と孫に看取られて逝ったのだった」
家具も当時のままなのか、生活臭が強い家の中をまわる。壁紙はやや色がくすみ、家電も型落ちで、壁にかかったカレンダーは去年のものだ。
「でさぁ~、壊すのに金かかるから壊せねえって言ったじゃん。いくらかかると思う?」
「え……三百万、とか?」
前に見たテレビ番組ではそんなかんじのことを言っていた。更地にするのに数百万かかるから、空き家のまま放置されている物件が多いと。
「一千万」
「は?」
「"お祓い"に、一千万」
ニヤァ、と薄く笑う。
家の二階の和室に、黒い獣がいるらしい。
いつの間にか住み着いたそれは昼間に"視える"と丸まって寝ていて、害はない。
けれど、夜にその部屋に行ってはいけない。開いた獣の目を見てはいけない。見たものは例外なく、数日以内に大怪我をする。
そして怪我をしたものは、獣にゲラゲラ嗤われる夢を見るという。
「建物の建て壊し費用は別途ウン百万でぇす」
「……ぼったくられてるよ」
お祓いに一千万はないだろう。さすがに。
「そんなお化け。本当にいるの?」
「さあ? ただお祓いなしで壊そうとすると必ず家族の誰かは怪我するし、引き受けた建設会社もトラブルが頻発しておじゃんになったってよ」
「引っ越せばいいのに」
「家族丸ごと引っ越そうとしてもいろいろあったから諦めたってよ。子供が自立するときとかばあさんが入院したときはなんもなかったらしいが」
「ふぅん」
「でさぁ」
意地の悪い笑みだった。
「見に行こうぜ」
「視えるの私だけなんだけど」
「いいじゃん。いるかどうかだけは教えてくれよ。そしたら俺はその部屋封印するね」
「報酬」
「お昼奢っちゃう」
しょうがないなあ、と階段をのぼる。古くさい木の階段はみしみしと音を立てて私たちを支える。窓のカーテンは全てしめられていて外の光明をはねつけている。明かりは切れかけていて、二階の薄暗さ不気味さをいっそうにかきたてていた。
「ここ」
障子をがら、と躊躇うことなく開いた。
中にあるのは、ほこりくさい和室。
「………………………………………………………………………………………………………ふぅん」
私のその一言を聞いて、障子は閉められた。下に戻り、「どう?」と聞かれる。
「死んでた」
「は?」
「死んでた。亡骸があった。ミイラ」
あそこにあったのは乾いた黒い獣の亡骸だけだった。もう大分前に息絶えたのであろうそれはパサパサとして艶がなく、毛は抜けて畳に散らばっていた。
「子供が自立して引っ越したときはなんもなかったんでしょ? そのときには死んでたんじゃないかな」
「なあんだ」
「今はもう普通に壊したって問題ないと思うよ」
多分、建物といっしょに粉々になって、大地に還るだけだ。
「孤独死じゃん。化け物の孤独死だぁ」
「そうだね」
家の二階の和室に、かつて黒い獣がいた。
いつの間にか住み着いたそれは昼間に"視える"と丸まって寝ていて、害はない。
けれど、夜にその部屋に行ってはいけない。開いた獣の目を見てはいけない。見たものは例外なく、数日以内に大怪我をする。
そして怪我をしたものは、獣にゲラゲラ嗤われる夢を見るという。
今は誰も嗤うことはない。恐れられた獣は、ただ孤独であり、死んだことすら知られずに誰もいない部屋で長いときを過ごした。




