不思議なこと
冬の夜に歌いながらこの道を通ると、不思議なことが起こるという。
「……変なの」
そう、ひとりごちる。会社から自宅までの近道を発見したが、それがそんな噂で名高い小路だった。どんな不思議かはランダムで、頭上に花が振ってきたり、一瞬で全裸になったと思ったら服は後方三メートルに畳まれて置いてあったり、壁に「天使にラブソングを」が映し出されたり、そういう奇っ怪なもの。
とはいえ「不思議な体験談」は尽きることはない。
ただ、そのときは子供のような好奇心が体を動かした。
「……歌なんてわかんねえよ俺」
音楽にあまり興味はない。ちゃんと歌える歌なんて、本当に誰でも歌えるものしか知らない。
「……ハッピバースデートューユー」
小さく歌いながら、小路を通る。誰かに見られないことを祈りながら。
「……ハッピバースデートゥーユー」
灰色のスーツも、藍色のネクタイも、革靴も、ごつい時計も、今のところ変化はない。とりあえず全裸は免れそうだ。
「……ハッピバースデーディア……」
そして歌いながら小路の終点を通り抜ける。たまたまそこにブティックがあり、大きなガラスが自分の姿を反射していた。
長い髪で、灰色のスーツと、スカートで、赤いハイヒールと、細い腕時計をつけた自分が映ってる。
「……なんも起こらないじゃん」
なにも、なに一つ、小路を通る前と変わりはない。そのまま家に帰って、家族といっしょに夕飯を食べて、次の日は出社して。
何も、なに一つ生活は変わらなかった。




