不動くんの所有権
最近嫌な夢を見る。
起きたら詳細は覚えていないが、ともかく気分が悪くなる夢であることだけははっきりしている。わりと寝起きは良いほうであるのに、最近は目が覚めてもずっとベッドのうえでうだうだとしてスッキリとした朝と無縁になってしまった。
……というのを三島に愚痴った。
「受験ストレスかねぇ。俺成績いいから無縁かと思ってんだけど」
「そんな繊細なタイプには見えないけど」
「だよなぁ」
三島が足を止めて、こっちを見ている。そして俺の髪を持ち上げてうなじをじっと見ている。
「ん? 何?」
「放課後、時間ある?」
「あるけど」
「うちに来てよ。ちょうど今日はお父さんとお母さんもいないし」
「うん……うん!?」
えっ、何急にどうしたの。添い寝でもしてくれるの?いや三島がそんなことするわけねえわ。
どんな理由だろうと初めて三島の家に行けるならテンション爆上がりだ。
「なあそれって三島の部屋入っていいってこと!?」
「いいよ」
やったね。シャワー浴びてから行こう。
そして放課後、いったん家によってばっちりシャワー浴びてオシャレしてから三島の家に行った。事前に言われていた通り両親は旅行で不在で三島一人で、あっさりと自室へ通された。
三島の部屋は女の子の部屋にしては簡素な部屋だ。三島らしいっちゃらしいが。
「いやあもう、急になんだよふへへ」
「脱いで」
部屋に入って、扉を閉じて、そう言われた。
「……それは、上着を脱げ、と?」
「いや、どこまで脱ぐかは良心にまかせるけどとりあえず素肌は出して」
「えっ、何急にそんな俺心の準備が待って今準備するから」
「言っておくけどここから先、不動くんが喜ぶような展開はないよ」
「じゃあ逆になんで脱がされるんだよ怖えよ!」
いいから脱いでよ、と服を無理矢理脱がされる。酷い。あっという間に上半身裸に剥かれて床に転がされる。
そして、デジカメを取り出した。
「じゃあ撮るから」
「なんで!?」
「あとで説明するから」
「ある程度は今説明すべきなんじゃねえかなあ!?」
バシャバシャと半裸を撮られる。なんで、なんでこんな……と呆然としているうちに撮影は終わった。
「終わりだよ。服着ていいよ」
「あの、その、えっちなこととかは」
「何言ってるの」
目が冷たい。ひどい。自分にほれてる男を裸に剥いておいてなんもないなんて……。
「俺はかなしい……」
「バカなこと言ってないでこれを見て」
「んんー?」
三島が撮影データを見せてくる。当然写っているのは素っ裸の俺だ。
……俺のはずだ。
写真の中の俺の体には、みみず腫れのようなものがいくつもいくつも走っている。現実の自分の体を慌てて確認するが、そんなものどこにもなかった。
よくよくデジカメの画面を眺めれば、俺の体にはみみず腫れ以外にも、数字や言語のような形が細く、けれどはっきりと腫れ上がっていた。
それは、少し前に見たことがあるような。
「私が写真を撮るとね、心霊写真になっちゃうの。だから、本来だったら見えない、お化けがつけた痕も写っちゃうの」
「………………」
つ、と体をなぞられる。それは写真の中にしかない軌跡をなぞっているように見える。
いや、三島には……本当に見えているのだろう。
「この前の、印をつけてきたお化け、覚えてるよね」
「…………」
「あのお化けは諦めちゃったけどね、それを知った"みんな"が興味を持ったの。あの強くて有名なお化けが食べようとしてた人間ってどんな味なんだろうって」
「…………」
「"みんな"はいろいろ争ったけど、結局残ったお化けで仲良く分けることにしたの」
「…………」
「この線はね、どういう風に切り取って、誰のものにするか、勝手に先に書かれてたの」
首にも、腕にも、胸にも、腹にも線は書かれている。きっといまだ服の下である下半身にも、書かれているだろう。
そしてようやく思い出した。
最近見ていた悪夢が、バラバラにされて食べられる夢だったことに。
「…………どうすればそいつら殺せる?」
食われて死ぬのはごめんだった。
「お友達だからやめてって言ったの」
「おお」
「そしたら、だったら自分のものにはちゃんと名前を書いておけって言われたの」
「名前?」
「名前を書いておけば、手を出さないの。他の人の食べ物を食べたりしないでしょ?
だから不動くんの体に私の名前を書いておけば、他人のものだからお化けは手を出さなくなるの。……お行儀悪い子は、別だけど」
冷蔵庫のプリンみたいな扱いだ。ペンか何かで書いておけばいいんだろうか。
「ペンじゃ消えちゃうからね、妖精さんからこれを借りてきたの」
三島の手は何かを握っているような形をしている。ただ、俺にはそんな形をしているだけで、何も握っていないように見える。
三島の指が、動いた。
ぎちぎちぎちぎち…………
それは何度も聞いたことがある音。薄い刃が顔を出す音。
自分の"それ"はポケットの中に入ったままだ。だから、音の主は。
「………あのさ」
「大丈夫だよ」
「……………」
「霊感がないと、見えないし聞こえないし触れないから……痛くもないの」
ペンでは消えてしまう。だったら、刻みつけるしかない。
「大丈夫だよ。きっと痛くないよ」
「……………」
「もし痛かったら……我慢してね」
瞳にも声にもなんの感情も灯っていないように感じるほど、淡々と。
三島は"それ"を、俺に向ける。
「痛くはなかった」
「よかったね」
「けど気持ち悪かった………………」
痛みはないが、皮膚も肉もたしかに何かの異変は感じていた。けどその異変を、どう表現すべきか、言葉にすることができないもぞもぞとした奇妙な感覚だ。あえて近しい言葉で言うなら"気持ち悪い"だった。
「霊感がまったくない人は滅多にいないんだよね。
ただ、私と違ってみんなの霊感は不安定なの。いつもは"ない"けど、ときどき"ある"の。
だからみんな、子供のころにお化けを見たり、夜の最中や夕暮れときに、ときどき不思議なものを見てしまうの。あと、何かがあってお化けと関わりを持ってるときとかは、霊感が出やすいかもね」
「つまりぃ?」
「お化けから食べられそうになってる今は、不動くんにも霊感が少しだけ"ある"かもね。だから、痛みってほどじゃないけど、妖精さんから借りた刃で体に刻まれてるのは理解したの」
霊感がないときはお化けや妖精のことは見えない、いや、感知できない。例えうっかり踏んでしまっても、踏んだ感覚はないらしい。
だから妖精から借りた刃なら多分痛くもないし、一般人からは見えないし、お化けには見えるからお行儀の悪いやつ以外は名前が書かれているのを見たら、なんだ他人のものかと諦めるようだ。
鏡で見ても、そこには、首の下の、肩甲骨の上辺りには、何も見えない。けれど、たしかにそこに三島に刃で名前を彫られたらしい。
俺がお化けに食べられないように、冷蔵庫のプリンのように、所有権を主張するために自分の名前を。
「特殊プレイじゃん……」
「元気そうだから放置しておけばよかったかな」
「冗~談~」
顔を上げる。
頭がくらりとした気がした。視界が揺れる。でも体は揺れを感知していない。
(めまい?)
一瞬、そう思って、そのあとに違うと確信した。
目の前の世界が一瞬で変わっている。
三島は相変わらず無表情で座っているが、手には血のついたカッターが握られていた。俺の体にも血が流れて赤く濡れ、背中が酷く痛む。
なにより、ただの普通の部屋の中いっぱいに、カエルの卵のようなものがみっしりと詰まっていた。
大きさは幼いころにみたそれと比べ物にならない。透明なそれの太さは人の頭くらいあり、部屋の天井一杯まで詰まっていて、長さは知りようもなかった。透明な管の中には黒い玉が入っているが、その黒い玉はよく見れば目玉の集合体だった。ぎょろぎょろと回り、あちらこちらを見ている。別の玉は髪の毛の集合体であり、別の玉は黒ずんだ何かの動物の尻尾の集合体だった。そして明らかに人間でもない、動物でもない、わけのわからない"何か"の塊もある。
部屋いっぱいに、それがみっしりと詰まっている。そして、蛇のようにゆっくりと動いている。
そして、直感でわかった。
こいつに視界が遮られているだけで、家の周りに"他"がいるのだと。
くすくすくすくす…………
誰かが、遠くで笑っている。
「ダメだよ」
三島は全く驚くことなく、いつものように淡々と、口を開く。
「ちゃんと名前は書いたよ。その子は私のだから、ダメだよ」
ふぅ、と息を吐く。
「だから、帰ってね」
また視界がぐらりと揺れ、もとの部屋に戻った。化け物は消えていて、なんの気配もない。
背中の痛みは消えていて、血も流れていない。三島も何も持っていないし血に濡れていない。
「……どうする? ご飯、食べてく?」
「え、ああ、いいの?」
「いいよ」
何もついてないようにしか見えない手をウェットティッシュでぬぐい、同様の俺の肌も同じようにふく。
「レバーとかほうれん草とか、食べさせないとね」
「……………」
せっかく夕飯に招待されたというのに、すぐに素直に喜ぶことはまだできなかった。




