スケールの大きさ
「スケールが大きすぎると逆に怖くなくなるってあるよね」
とあるビルの二階にあるカフェにあるカウンター式の窓際の席で、私は口を開いた。ミルクの入ったアイスコーヒーをストローでかき混ぜながら、正面の窓の外には立ち並ぶ店と、いつもより人が少ない通りが見える。
「例えば?」
不動くんが、コーヒーフロートのアイスを崩しながら聞いてきた。
「太陽はどんどん大きくなっていって、いずれ地球を飲み込むらしいよ」
いつだったか、テレビか何かで聞いた話だ。
「50億年後には太陽から水素がなくなって、ヘリウムが核融合を起こしてどんどん大きくなっていていって最後には地球どころか太陽系は全てダメになるんだって」
それはとてもとても恐ろしいことなのだろう。飲み込まれる以前に、きっと太陽の熱で地球は人どころか生き物が生きていける環境ではなくなるのだ。
とはいえ、だ。
「50億年後じゃなあ」
そもそも人類が存続しているのかも怪しい。あまりにもスケールが大きすぎて「太陽はすごいなあ」としか思わない。
仮に人類が存続していたとして、太陽が膨張して地球に変化が現れたとき、初めてそれは絶対的な「恐怖」に変わるのだ。
「それよりだったら、自分の部屋に大きい虫が出たときのほうが怖いよね」
「まあな。まあ仙台はあんまそういうことねえけど」
イニシャルをGとする黒いアイツが北国では滅多に出ないことは有名な話だが、仙台市もそうだ。G以外にも夏場だって都市部の一般家庭なら生ゴミの処理と米びつの虫対策さえしていれば、お目にかかれるのは羽虫とか蝿とかそういうレベルだ。
そのうえ文句無しで東北一と名乗れる程度には発展している都市なので暮らしやすいし、東北のわりに山側以外は雪も全然積もらない。虫嫌いにはとてもおすすめの街である。
悪いところは観光するところが本当に少ないので遠方の友人を呼んでも食事以外の娯楽面で連れていくところに困ることだろう。これは本当に困る。パッと思い付くのが楽天球場とビール工場ぐらいだろうか。それだって仙台駅から離れた郊外だ。
……閑話休題。
「この前、街にいたお化けに教えて貰ったの。海面が年々上がっていってるって知ってるよね。それの真実だって」
「温暖化じゃなくて?」
「海の底にね、蛹がいるんだって。それがじわじわ成長して大きくなっていて」
「何の」
「お化けだってこと以外わかんない。でも海面を上げちゃうぐらいとっても大きいお化けがいつか産まれるんだよ。
普通の人間はお化けを認識できないから環境問題とかに絡めて考えるんだって言ってたけどこれがみんなが知らない世界の闇の真実なんだって」
「そのフレーズはうさんくさくねえか……?」
本屋にある、科学的、あるいは歴史的なようでなんだか怪しい本の帯とかに書いてそうではある。
「まあ、私も視たわけじゃないけど、それぐらい大きな話をされてもなんかすごいなあ、ぐらいしか思わなかったかな」
「まあなあ」
「だから……」
カラ、と氷が少し溶けて崩れて重なる音がした。そこからストローを引き抜き、窓の外、正面の斜め下を指す。
「それよりだったら、あれのほうが怖いかな」
通りのベンチに、ニコニコとしている女の人がいた。距離があるから詳しい年齢はわからないがどう考えても大人で、20代~40代くらいだろうか。あまり年寄りには見えない。
問題は、その人が幼稚園児が着るスモッグを着ていることである。そして左手には赤ちゃん用のガラガラを持っていて右手にはベッドメリーを持っている。それは天井からぶら下げるなりベッドの柵に装着して回転させるためのものだ。手で持つものではない。
「全裸のおっさんだったら喜んで俺が蹴り倒すんだけどさあ……」
不動くんにも見えているのだから、お化けではなく実在する人間なのだろう。なんだったら店内の他の客も窓から様子をうかがっている。
「いやー、何するかマジでわかんねえから近づきたくねえわ」
世界の破滅よりも、異常なお化けよりも、ただ一人の武器すら持っていない女性のほうが怖いのだ。
「座ってるだけだけど、ああいうのって警察呼んでいいのかな」
「大丈夫なんじゃねえの……あ、警察きた」
誰かが通報済みだったのか数人の警官が到着し、その人は大人しく連れていかれた。警察も堂々と怯える様子もなく近づいて手早く仕事が行われた。さすがプロだ。きっと慣れているのだろう。
「お疲れさん~」
軽く敬礼して、警察官を見送っていた。




