気の長い復讐
娘の千花が生まれる前、今住んでいる地域に引っ越してくる前に、夫と二人で住んでいたマンションで、ときどき話すようになった近所の人がいた。
それは私よりも年嵩の、老年にさしかかった中年のおばさんだった。
「いいわよねえ、三島さんの家は仲良くって。うちなんて本当にもう最悪……」
そこから繰り出される夫の愚痴、なんてさして珍しいものではなかったが、その人のは度を越えていた。
帰る時間は不定。けど帰ったときにできたての夕飯がないとずっと文句を言い続ける。酔うとすぐ空いた酒瓶を投げつけてくる。親族や友人にありもしない奥さんの失敗談を語り、それをフォローする苦労性の自分、という体で過ごしているから、それを信じた親族や友人が奥さんに苦言を呈しても知らんぷりをする……など、どう考えてもモラルハラスメントやDVの域に入っていた。
「別れましょうよ」
「絶対そうしたほうがいいわよ」
みんなからそう言われていたが、その人は決して別れなかった。
「あいつ、金だけは持ってるの。それに私、働いたことないから今から働けるとも思えないし。もう慣れたし、いいの」
それに、と付け足した。
「介護のときには、絶対に復讐してやるから」
「………………………」
時は流れ、私たち一家はマンションを出て違う地域の一軒家に住んでいる。
たまたま、スーパーで当時同じマンションの住人だった人に会って、懐かしい話に花が咲いた。
そして、あのDVを受けていた人の話になった。
「亡くなったのよあの人。まだ死ぬには早いかなとは思うけど年は年だし……」
「あら……」
「でもねえ、旦那さんと別れてればもっと長生きしたと思うんだけど」
「どういうこと?」
「介護のときに復讐してやるーとか言ってたけど、旦那さんより先にあの人のほうが先に介護が必要になったのよ。ヘルパーさんとか呼んでる気配ないし……10年ぐらい見なかったけど、先日救急車で運ばれて、病院で亡くなったみたい。
警察はきてないし、事件性はないみたいだけど……」
DV夫が介護をちゃんとするだろうか、なんて考えるまでもないだろう。
「千花」
「なあに、お母さん?」
「いい、絶対大人になったら仕事をするの。専業主婦とかダメよ。いざとなったら逃げられないから」
「?」
「あと、付き合ってる人や結婚した人がダメな男だって分かったらすぐ別れなさい。お金持ちだからってズルズル関係続けてちゃダメよ。わかった?」
「……? うん……」
娘は急な話に訝しげな顔をしていたが、母親として、これは絶対に伝えなければならないことなのだ。




