祈りで織られた幻想の檻(前編)
高校に入学したばかりの頃の話だ。
春、私は教室で本を読んでいた。大人しく、目立たないように。中学時代は結局ほぼ不登校だったから、今度こそ孤独でもいいから穏やかな生活を送りたかった。
「んでパンツ丸出しになっちまってよ~。けど勢いでそのまま外出ちまって」
「バッカじゃねえのお前」
「逮捕されとけ逮捕。アハハ!」
同じクラスの男子たちが騒がしい。かなり騒がしい。中心にいるのは褐色で髪が長くて美形の……誰だったか。
「ひでぇなお前ら。慰めてくれるよな不動くん」
「や~だ」
ああそうだ。不動……なんとかだ。下の名前は忘れた。自己紹介のとき、変な名前だとは思ったことは覚えているが。
不動くんとやらを中心にした運動部の男子と派手目な女子で構成されたグループは入学数日でクラスの中心になった。別に乱暴なことをしたりはしないが、みんななんだか怖くて騒がしいことに注意はできない。私もわざわざあのグループに関わりたくなかった。
うるさくて読書に集中できない。窓の外に視線を外すと、猫の幽霊が空中を歩いていた。その背には、なぜか小さな鳥の幽霊がちょこんと乗ってたいる。猫は背中の鳥を気にせずにのっしのっしと空気の中を歩いていた。
……お化けがみんなああいうかわいいのだったら良かったのに。
「三島さん」
「えっ……はい」
突然クラスの女子に話しかけられた。少し派手目の子。なんだかニヤニヤしながらこっちを見ている。
「窓の外に何かあるの?」
「ああ、いや、別に……」
「お化けとか、いた?」
ニヤニヤと。ニヤニヤと、こっちを見つめながら。
「三島さんって霊感があるって本当?」
大きな声でそう言われた。不動くんたちの注目がこっちに移る。
「三島さんって自分には霊感があるって言ってるんだよね! 噂になってるよ~」
クラスに伝わる大きな声。見下した瞳。近くで聞いているのは柄の悪い男子。間違いなく、男子たちに「知らせる」ためのものだ。
(これは……また不登校生活始まるかな)
「何何? 霊感? 怖い話? 俺そういうの好き~」
ニコニコとしている不動くんが駆け寄ってきた。嫌だ。
「なんかね~三島さんって霊感あるんだって~。ちょっとそういうの聞いたの小学校のとき以来かも~」
「へーマジで? だったら俺も噂聞いたことあるぜ」
「なに? なんの噂?」
「笹木ぃ、お前さ、中学のときいじめやりすぎて親呼ばれたらしいじゃん?」
一瞬、空気が止まった。不動くんだけが、笑ったまま。
「え、なに急に……」
「いやあ、ほら、アハハ。なかなかいい趣味してるじゃん。なあ?」
男子たちに呼び掛ける。男子たちもニヤニヤと笑ったまま「ああ」「そうだなー」と答えた。いや、正確には男子たちの中に一人、ハラハラしたような顔の子もいる。
「よし! 決めた! じゃあ次はお前が遊び相手の番な!」
「え……」
「はい拍手! 明日から笹木が遊び相手してくれるってよ! 祝え! 盛大に祝え!」
パチパチパチパチパチパチ!と一斉に男子たちから拍手が起こる。口笛を鳴らす人もいた。他の地味な生徒は、恐々とその動向を見守っている。
「え……待って、なに……」
笹木さんだけが困惑と、想定外から降ってわいてきた恐怖から顔が青ざめている。不動くんも、男子たちの大半も笑っている。それは弱いものをいたぶるときの笑みだった。
「……なんてな! 冗談だよ冗談!」
バンバンと笹木さんの背中を叩く。拍手も止んだ。
「じょ、冗談って、もう……」
「冗談冗談、冗談だからさあ……」
耳元に口を寄せる。
「あんまくっだらねえことしてんじゃねえよ。マジで」
「……っ」
「なんで俺らがおめーのお遊びに付き合ってやらなきゃなんねえんだよ。あぁ?」
「いや……その………」
「じゃあな~」
不動くんは元いた席に戻っていった。なにやら男子たちとヒソヒソ話をしたあと爆笑が起こっている。
「本当にお前は」
「怒るなよ御山ぁ~」
一人、真面目そうな男子だけが注意をしていた。
笹木さんはもう私には目もくれず、静かに教室を出ていった。
(嫌なクラスに入っちゃったな……)
ああ、なんだか頭が痛くなってきた。
笹木さんは翌日から、学校に来なくなった。
*****
「愛してる三島! 付き合ってくれ!」
「……嫌」
三日後、放課後。前日に気まぐれで不動くんを助けたらこうなってしまった。お葬式のときに寄ってくるお化けにとり憑かれていたからちょっと追い払ってやったら、翌日からはこうなっていた。
「恋人とか、いらないから……」
「まあまあそう言わずに。せめてこれだけでも、な?」
かわいい封筒を渡される。ラブレターのようだが、厚みが全然かわいくない。
「おいおいおいおいどうしたんだよ不動」
「やべえよポストに入らねえよこんなの」
「定形外郵便確定だぜこんなブツ」
男子たちまで寄って来てしまった。
「愛を綴ったら、どうしてもな……」
不動くんは照れている。何もかもが重い。
「お前、そんな重いやつだったの……?」
「御山とは別れたのか」
「ホモ卒業かよおめでとさん」
「だからホモじゃねえっつってんだろ殺すぞ!」
「一度でも女と長続きしてから言えよ」
蹴りで男子たちを無理矢理退散させる。向こうでは懲りずに「不動とケンカでもしたのか?」という事情聴取が始まっていた。
「御山に触るんじゃえねよクソボケ!
……いやあごめんな。教養のないアホが失礼した。あとでガッツリしばいておくから安心して俺と交際をしてほしい」
教養の問題ではない気がする。「興味ないんで」とそそくさと逃げようとしたらしつこくついてきた。
「お前に穿たれた穴を見るたびに想いが募る」
「気のせいだと思うよ」
「いいや恋だね。俺は自己中だから俺に意地悪なやつのことは殺したくなるけど、お前にならむしろ意地悪されたいと思っている。逃げたって俺が興奮するだけだぞ」
「病院行ってきたら?」
むしろ警察を呼んだほうがいいのかもしれない。女子トイレに駆け込むと、さすがに追ってこなかった。
「ふぅ……」
扉を閉めて、洋式便器に腰かける。どうしようか。いじめ問題には縁遠くなったが、また別の問題が発生してしまった。
「…………でさ、声が聞こえるんだって」
「声?」
化粧直しでもしているのか、ドアの外から女子たちの声が聞こえてきた。
「うん、なんか泣いてるみたいな声。でも教室見ると誰もいないの」
「え~夜に? お化け?」
「お化けなんじゃないの」
「こわ~い」
アハハと笑いながら、女子たちは出ていった。
(お化けか……)
泣き声の件については知っている。教室にいる間、私にはずっと聞こえてきているから。あれどうにかならないかなあと思いながらぼーっとしていると、いつの間にか個室内に誰かいることに気づいた。
『…………………………………………………………………………』
それは異形の頭を持つ存在。体は人間。頭は地球儀。常に学校を徘徊して、なにかを記録している存在。
「管理者さん……」
『学校の管理者』は無言で私を見つめている。
「用事……ですか」
『…………………………………………………………………………』
それから三十分後、私はトイレから出てきた。
「今日のデート、どうする?」
不動くんが、当然のように待っていた。
「笹木?」
近くのクレープ屋で買ったクレープを片手に、公園のベンチに座る。隣にいるのは不動くんだ。
「あいつねー、同じ中学だったよ。クラスは違うけどな」
「いじめをしてたって聞いたけど」
「そうそう。同じクラスや部活のオタクとか地味なやつとかいじめてたらしくてさ、なんかやりすぎたみたいで不登校になるやつ出てきたらしくてぇ。それで親学校に呼ばれてガッツリ怒られたって、笹木と同じクラスだった友達が言ってた」
「ふうん」
「心配するなよ。またあいつが何かしようとしたら守ってやるから。な?」
「それはどうも……」
「だろ? 仲良くしよ? 連絡先交換しない?」
「がっつきすぎる男の子はちょっと」
「おっと俺ったらちょーっと気が逸っちゃったかな?」
ヘラヘラと笑う不動くん。あれこれ話しかけてくるが、私の心はもう別のところを見ていた。
夜になった。静まり返った学校に着く。校門は閉まっていて、明かりもついていない。
ごうごうと風が吹く。そんなにたいして強い風ではないが髪をなびかせるには十分だ。近くの電柱に貼られた紙もなんとかへばりついているものの、ばたばたと音をたてている。
『○○日から行方不明になっています』
そういう題の、笹木さんの行方を探す主旨の紙。
きぃ
校門がひとりでに開いた。通りすぎると校舎への入り口も自然と開き、ぱ、ぱ、と明かりもついていく。当然、防犯システムは働かない。これはきっと『学校の管理者』さんの仕業。
真夜中の学校というのは明かりがついていたって不気味だ。足音が昼間よりもずっと響くし、静かすぎるのが異様な迫力を生み出している。
「うぅ……」
泣き声がする。私たちのクラスから。




