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守る刃

 高校一年のときに、母方の祖母が亡くなったときのことだ。


 通夜の雰囲気はそう沈んではいなかったらしい。なんせ前々からあからさまに体が弱ってきていて、本人もそれを自覚して終活をしていたくらいである。友人に手紙を書いたり旅行に行ったりと日々を過ごし、ある朝布団の中で静かに息を引き取っていたから、むしろ大往生で良かったという意見もあったくらいだ。

「ばあちゃん家リフォームしてたんだ」

「そうだ。睦音は知らなかったか」

 遺体とはいえ、会うのは何年ぶりだろうか。そう遠くないところに家があるから母の死後もたまに会っていたが、孫である僕が、祖父母の実娘である母やその友人たちから心に傷を負わせられたことを知った祖父母は、孫に合わせる顔がないと言って小学校高学年を最後に接触を断っていた。

「お久しぶりです」

「おお、これはこれはわざわざ……」

 祖父が土下座しかねない勢いで頭を下げる。母の件についても触れそうになったが、父さんが遮った。

「今日はそういう話をする日ではないので」

「ああ……」

 葬式はまだ始まっていない。棺が置かれた部屋へと通された。

「おっきくなったなあ」

「もう高校生だから」

「早いもんだ。その制服……いいとこ通ってるんだなあ」

 その後はしばらく会ってなかった親戚たちに囲まれてしばし雑談をする。さすが大往生なだけあって葬式前の雰囲気も和やかだった。

「じいちゃん、何あれ」

「ん? ああ、なんというかなあ。この辺の風習なんだ」

 棺の上に、鋏が乗せてあった。大きくて使い込まれた裁ち鋏だ。

「この辺にはな、葬式や死体みたいな穢れには悪いものが寄ってくるって言い伝えがあるんだ。穢れってのはこの辺だとそういう悪いもの……化け物を引き寄せやすいものって意味だな。死体をそのまんまにしてると化け物が入り込んで悪さすると。

 化け物は刃が嫌いだから、死体を守るために葬式のときは棺の上に刃物を置いとくんだ。あいつは裁縫が趣味だったからな……」

「へえー」

「昔は本物の刀とか置いてたらしいけどな。今だと法律違反だから、本人が使ってた鋏や包丁とか置いとくようになったんだ。近所の彫刻家の先生の葬式のときは、彫刻刀置いてたな」

「なんでもいいんだ」

「ああ。怪我人も穢れだから怪我人が葬式行くときは化け物にとり憑かれないようになんでもいいから刃物持っとけとも言われてる。俺も昨日料理して指切ったから、ほれ」

 ポケットから、爪切りを取り出した。まあ一応、刃物ではある。

「本当になんでもいいんだね」

「まあ、伝統というか風習というか……今の時代となったら、雰囲気でなんとなくやってるだけだからな」

 なんだかちょっと面白い。そうしているうちに葬式が始まり、何事もなく終わった。火葬するために霊柩車を呼んだ。

(なんだろう……これから雨でも降るのかな)

 なんだか、肌にまとまりつくような空気だった。空は晴れているのに、どこか不快感がまとわりつく。葬式の前や、家の中ではなんにも感じなかったというのに。

「やだ、なんか空気変じゃない?」

「そうねえ」

 みんなそう思っているようだ。けれどそれ以上の何かがあるわけでもなく、到着した霊柩車に棺が乗せられていく。

 当然、棺から刃物は下ろされたが、同乗する祖父が持ったままだ。刃物は火葬直前まで遺体の近くになければいけないのだという。

(本人が使っていた刃物、か……)

 例えば自分や父は祖母のように裁縫が趣味なわけではない。だから、普段使いの刃物といえば包丁か、部屋に置いてある普通のハサミだろうか。あるいは祖父のように爪切りか。

(だったら……)

 あいつの場合は。

 不動の場合は────カッターだろうか。

「うわっ」

 ポケットにいれていたスマホが震える。不動からだった。

「なんだよ」

『急にお話ししたくなっちゃったあ』 

「めんどくさい彼女かよ」

『冷たあい』

 ケラケラと電話の向こうで笑ってる。でもなんだろう、違和感がある。妙にテンションが低いというか、いつもよりしゃべらないというか。

「……おい、また切ったのか」

『……サーセン』

「サーセンじゃなくて! なにかあったのか?」

『別になんにもない……けどぉ、まあ、調子悪くなった、かな?』

 不動は普段は明るいくせに、ときどき自傷する悪癖があった。しかも理由を問えば歯切れ悪く全然しゃべろうとしない。無理に聞き出すのも悪いと思って、深くは聞いてはいない。ただ、そういうときは関係ないただの雑談をしたがる傾向があるから、それには乗っていた。

「睦音、行くぞ」

「分かった……不動、僕これからばあちゃんの火葬だからちょっと今は話せない。あとで電話するからそれ以上変なことするなよ!?」

『ん? そうなのごめんなー』

 電話を切る。大丈夫なんだろうか。大往生の祖母の葬式よりこっちのほうが気が重い。

「……ん?」

 風が吹いた。

 不思議とさっきまでのまとわりつく気持ち悪い空気ではなくなっていて、春にふさわしい穏やかな空気に戻っていた。


*****


 御山の祖母が亡くなっていたとは知らなかった。父方の祖母は買い物に行ったときに見かけたから、母方のほうの祖母のほうだろう。

 ……「あの」母方のほうか。葬儀に出るくらいだし、別に悪い人ではないのだろうが。

「あとで電話するから、か……」

 余計な気を使わせてしまった。御山に心配されたり気を使われたりするのは嫌だ。それは御山がどうこうではなく、俺自身が勝手に積み上げた性質のせいだ。

 ────まるでお姫様を守る王子様みたい。

 中学時代、御山にべったりしすぎて泉にそうからかわれたことがある。

 王子様、というほど気取ったつもりはないが分からないでもない例えだった。

 元から、お前は力が強いから弱い子を守らなければならないと両親から何度も何度も何度も言われていた。それは主に弟妹や女の子に対する心得として伝えられたものだが、自分より背が低くて力も弱くて気も弱い御山も自然とその対象に入っていた。体が大きくて力が強くて気が強い自分が守ってやらないといけないのだと。

 それは小学生の事件をきっかけにさらに強くなった。

 自分が御山を守ることについて、誰に言われたわけではない。自分で決めて、自分で守り続けて、いつのまにかほどけなくなっているくらい自分で自分を縛り付けているだけだ。

 だから、逆に御山に心配されたり気遣われるのは、自分の仕事をし損ねたようで酷く自己嫌悪に陥る。今なんて、自傷後で元から気分が落ちていたから最悪だった。

(…………………………………………………………………)

 普通なら、慰めて貰えればいいんだと思う。けれどそういう気質だから、こんなに気分が落ち込んでいても、親友に全てを明かして甘えて慰めて貰うことはできない。甘えるのなんて、守る側の行動ではない。守る側の人間が、守られては、甘えては、いけないのだ。

 他の友達は自傷のことすら知らないからダメだ。

 親も兄弟もだめだ。不意の事故や病ならともかく、こんな自分でやらかしたことで心配させるのは気が進まなかった。特に弟や妹に心配させるのはダメだ。自分は兄だ。兄はしっかりと弟妹を守るものだと親からずっと、何度も、そう言い含められている。自分から弟妹に甘えることなんてできないのだ。

 だから。

 だからいつもこういうときは、電話で雑談をして気をまぎらわせていた。自分の問題に目を向けず、浅い話題をすることだけに意識を向けていれば、かろうじて精神は安定した。

 けれど、今はそれはできない。そういうときはじっと丸まって、時が過ぎるのを待つ。孤独に、一人で、ずっと。

 いつかそれに耐えられなくなったとき、本当に死んでしまうのだと思っている。

「……ん………………?」

 気づいた。部屋の空気がおかしい。落ち込んでいるとか、腕から流れ出る血の臭いがどうこうではなく、まるで梅雨のときのような、肌にまとわりつくような嫌な空気。

「なんだこれ……」

 窓を開けても改善されやしない。ズキズキと痛む腕から血が垂れて床に落ちる。 

「あー……」

 ティッシュを傷口に当てて、椅子に座り込む。定期的に湧き上がる破壊衝動を自分にぶつけて処理するのは、精神をかなり消耗させる。なにか考えることすら億劫なくらいに。

(なんだろう……いつもより頭がぼーっとする……)

 ベッドに寝転がっても、何も変わらない。

(からだが、おもい……)

 どんどん体が重くなる。まるで、体に何かが入り込んでいるような。

 空気は相変わらず湿っていて、体にじっとりとまとわりついている。


「…………」

 なんでだろう。

 なぜかは分からないが、俺は古くて入居者が少ないマンションに入り込んでいた。古すぎて、誰でも入り込めるマンション。その階段を、一段一段上っていく。

「………………………………………………………………………」

 屋上へ続く扉を開く。開かれたそこの先は無限に広がる青空と眼下に敷き詰められた町。どこまでも爽やかな光景なのに、空気はあいかわらず不穏な重みがある。

 ここから。

 ここから一気に飛び降りてしまえば、楽になるのだ。

 理屈はない。根拠もない。死んだその先で家族や友達がどういう気持ちになるかというところまで考えが及ばない。

 鉄柵に、手をかける。

「何してるの」

 冷めた声。そこでようやく俺以外にも人がいることに気づいた。

「三島………………」

「そう。名前知ってるんだ」

 入ったばかりの高校で同じクラスの三島────なんだったか。下の名前は忘れた。いつも一人でいる、顔はかわいいのに笑わない女の子。

 たしか、この娘は、噂が。

「何しに来たの?」

「……とびおりにきた」

「死にたいの?」

「うん…………」

 何も考えていない。ほとんど反射的に答えていた。

「そう……じゃあ、いっしょに死のうか」

 手をとられた。死ぬ? この娘といっしょに?

「いっしょに飛び降りれば、いっしょに死ねるよ」

 空は高い。町は低い。人が飛び降りればぐちゃぐちゃになる、そんな高さ。

 いっしょに飛び降りれば、この娘は死ぬ。

 自分より小さくて、弱そうなこの娘は死ぬ。

「だ、だめ……」

 それは、自分の信条に反している。

「だめなの?」

「じ、自分より、弱い子は、守らなきゃ……男だから……」

「そう。優しい子だね」

 小さい手が、俺の腕を撫でる。

「じゃあ、目を覚まさせてあげる」


 がりっ


「いっ……………!」

 思いきり、手に噛みつかれた。歯形どころではなく、血が出ている。反射的に手をひっこめて、反動で尻餅をついた。

「え、何!? 何!?」

「気分はどう?」

「気分以前に痛ぇよ!」

 さあ、と風が吹いた。高い空を駆け抜けていく風は屋上にも吹き込んで、いたずらに俺と三島の髪を揺らす。

 肌にまとわりついていたじっとりとした空気はいつの間にかなくなっていた。

「…………なんで俺ここにいるの?」

「さあね」

 いや死のうとしていたのは覚えている。けど、なんでそこまで追い詰められていたのかわからない。たしかに気分は沈んでいたが、決してそこまで思い詰めるものではなかった。

 なのに、まるで操られていたみたいに、死への道を歩いていた。

「歯だって傷つける目的のために使えば十分刃物って言えるものねえ……」

「え?」

「今日、あの辺りの地域のお葬式とか行った?」

 三島が眼下の町を指差している。

「……俺は行ってねえけど、友達が葬式に行ってた。場所は知らねえ」

「電話とかしたでしょ」

「……した」

「そう」

 三島はそれだけ言うと、興味を失ったかのように俺を無視してさっさと出ていってしまった。

 そんな三島はたしか、霊感少女の噂がある娘だ。

「…………え、何、お化けとかにとり憑かれてたの俺」

 それに回答する者はいない。ただただ、噛み痕が自傷の傷跡よりもよほど強く痛みを主張しているだけだ。

「穴じゃん……これもう穴空いてるじゃん……」

 自分より小さくて力も弱そうな娘に、体に穴を空けられてしまった。

「強い……」

 自分よりか弱そうな女の子に対して、そう強く思ったのは初めてだった。

 しばしぼーっとしていると、ポケットの中の電話が鳴った。

『おい大丈夫か!? 変なことしてないか!?』

 御山からだった。

「御山ぁ……俺……」

『うん』

「恋をしたのかもしれん」

『はあ!?』


 それが、高校一年生のときの話。

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