サクラちゃん(前編)
サクラちゃん、という友達がいた気がする。
気がする、という曖昧な表現をするのは、本当に彼女の存在は曖昧だからだ。親も兄弟も他の友達もその子のことなんて知らないと言う。写真もない。
けど彼女と探検して見つけた古いお屋敷への道のりは覚えているし、おいかけっこをして転んでついた足の傷跡はまだうっすらと残っている。
それになにより、彼女との喧嘩。
流れは忘れてしまったが、ともかく彼女は激昂していて、自分はひるみながらも言い返していた。しばらくしてサクラちゃんは近くにあった大きな石を振り上げた。
三日間の意識不明。全治半年の怪我になった。
犯人はサクラちゃん。でも親も警察も「サクラちゃん」という存在が誰なのか調べることができなかった。そして自分も、そもそもサクラちゃんとは誰なのか、なぜサクラちゃんと仲が良かったのか思い出せない。
結局親は俺の安全のためにと父親の転勤に乗じて引っ越しをし、その町を離れた。
それが、二十年前の話。
「……記憶と全然違うな」
そして三十路を過ぎた俺は、転勤でまたこの町に住むことになった。
「子供のころ住んでたんだっけ?」
「ああ」
「へー」
妻と子は、あの事件のことを知らない。気味悪がらせるだけなので、黙っていた。
(サクラちゃん、か……)
引っ越しを済ませてバタバタとした日々を過ごしているうちに、そのことを思い出すこともなくなった。暮らしやすい土地で妻も子もさっそく近所や保育所で友達ができたらしい。幸せな日々に、過去のことなんて忘れていた。
そんなある日、会社へ遅刻しそうになり慌てて近道を通っていた。階段が多くて普段は通らない道だがいつもの道よりはずっと早く着く。横断歩道が青になるのを待っている間、特に何も考えずにぼーっとしたいた。
「あの」
「?」
いつのまにか隣に自転車に乗った女の子がいた。まるで人形のような、整った顔立ちの美少女。それが俺をじっと見ている。
「あっちに行くんですか?」
「ああ……そうだけど」
「サクラちゃんがいるのに?」
体がびくっと震える。目の前にいるのは初対面の女の子。それが何でサクラちゃんを知っている?
「あの、君は」
「別の道にしたほうがいいですよ」
青になり、自転車で駆けていった。横断歩道を渡った先は、やや薄暗い階段の道。
でも、行かないと遅刻してしまうから。
『いきてたんだね にげるなよ サクラ』
そういう手紙が届いたのは、そのすぐあとのこと。妻はイタズラだと考えて処分したが、内心気が気じゃなかった。
しかし何事もなく、一週間が過ぎた。
「じゃあ、夕方までには戻ってくるから」
妻はパート。子供は実家に遊びに行っている。一人のんびりと映画でも見ていると、玄関のブザーが鳴った。
「はいはーい」
『あけろ』
低い女の声。でもそれは、はるか昔に聞き覚えのある声。
『あけろあけろあけろあけろあけろあけろ』
サクラちゃんだ。




