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女が苦手だ

「なんでそんなに鍛えてるの?」


 放課後。教室で帰る準備をしているときに、なんとなく不動くんにそう尋ねた。帰宅部なのに、その辺の運動部よりも体格が恵まれている。

「運動部でもなんでもないのに」

「んー、まあ、趣味?」

「趣味」

「それにさ、強いほうが好きな子守れるだろ?」

 フフン、という顔だ。たしかに変なナンパが寄ってきたときも、不動くんがくるとすぐに退散してくれる。

「トレーニング器具とか持ってそう」

「いやいやそんなの持ってたら部屋狭くなるし。器具なんてなくてもなあ、筋トレっていうのはできるぜ。あーでもジムは行ってみたいかも」

「面白そうだから?」

「アスリートが使うようなやつあるんだろ? やってみたい。あとジムじゃねえけどボルダリングとかもやってみてえな」

「あれけっこうキツいよ」

「やったことあんの!?」

 そんな風な雑談を、クラスメイトたちがまだ多く残る教室でしていた。


*****


 女が苦手だ。


 それはひとえに自分を性的な目で見ていた上に半ば手も出していた亡き実母のせいなのだが、それを周りは知らない。知っているのは不動と、察している父くらいだ。

 そんな経緯のせいか、特に苦手なのは母と同世代くらいの大人の女ではあったが、異性に興味がある女だったらなんでも苦手だった。それが例え当時の自分と同世代、つまり小学生でも。

「好きなの。付き合って」

「や、やだ……女の子苦手だし……」

 クラスの派手な女の子に告白されて、断ったのが小学四年生のとき。その子に同行してた友達から振ったことを怒られて、バカにされて、さんざんな目に遭った。

 それだけでもゲンナリするのだが翌日は酷かった。クラス中の女子から冷たい視線でひそひそ話をされるのだ。いつの間にかそれは男子にも伝播していて、僕はホモだという話になっていた。なんでそうなる。

 あまりにも鬱陶しいので、それ以降授業以外は図書室で過ごすようになった。人が少なく、どこか薄暗く、紙の匂いが籠もった部屋はとても落ちついた。

「よお」

「……どうした」

 不動だった。図書室に来るのは珍しい。

「あの女、やっぱ殴ろうぜ。ボッコボコにしてやるよ」

「ダメだって……」

 不動からはその提案を何度も受けていたが、そのたびに断っていた。多分、そんなことしたらもっと面倒なことになる。

「そういやさ、ホモってどんな意味だよ」

「知らないのかよ」

「知らん」

「男のことを好きな男ってことだよ」

「? 俺はお前のこと好きだけど、ホモなの?」

「違うって。友達として好きとかじゃなくて、男なのに男と結婚したかったり、えっちなことしたいって人のことだって」

「ふーん。お前はどうなの」

「男には興味ないよ……」

 結婚はもちろん、性的なことは女相手じゃなかろうがごめんだ。すっかり苦手になってしまっている。

「まあいいや、俺も本読む」

「いいのかよ、いつもみたいにみんなとサッカーとかしなくて」

「俺のダチ虐めるやつとなんで遊ばなきゃなんねえんだよ」

「……そっか」

 それ以来、二人で図書室で過ごすことが増えた。休み時間も昼休みも、図書室で二人で過ごした。放課後もすぐに帰ってお互いの家で遊んでいた。

 ホモ疑惑はどんどん深まっていった。それもそうだろうな、と思うくらいにはべったりした関係だったと思う。実際、当時の僕は引っ込み思案で友達が不動くらいしかなかったし、不動は不動で、不動好みの周りに流されず、自分の意見をしっかり示す性格の人間が同じクラスに少なかったので、クラス内の人間と元々そこまで深く仲良くしていなかったことがそれに拍車をかけていた。

「待ってろよ」

「うん」

 とある日の放課後、いつもみたいに図書室でみんなが帰り終わるまで二人で過ごしたあとにようやく帰ろうとしたときのことだ。担任に提出しなければいけないプリントを、提出し忘れていたことを思い出したらしい。

 不動が戻ってくるまでぼんやりとしていたら、いやに早くドアが開いた。

 う、と顔が歪む。いたのは不動ではなく、クラスで一番かわいいと人気の女子だ。たしかに柔らかな雰囲気で、お姫様みたいで、とてもかわいい子だ。でも僕は苦手だった。女の子だから苦手ということもあるが、なんとなく、裏表が激しい子のような気がしていたからだ。

「ちょっと、ホモ、話聞きなさいよ」

「や、痛っ!」

 険しい顔で歩み寄り、髪の毛を掴まれて机にぶつけられた。痛い。

「あんたいつまで不動くんにべったりしてんの? あんたのホモに不動くん巻き込まないでよ。気持ち悪い」

「…………っ」

「あんたがいつまでも不動くんにべったりしてるから、不動くん他の子と遊べないし、彼女もできないじゃん」

「…………っ!」

「不動くんの人生の足引っ張らないでよ、ほんと、ダメな奴。お邪魔虫」

「う……………」


「睦音、なにかあったのか?」

「なんでもない……」

 父親との夕飯の時間。不動の前では察されないようにがんばっていつも通りに振る舞ったが、父親の前まではそれを保てなかったようだ。

「なんでもないって顔じゃないぞ」

「…………」

「……話したくなったら、いつでも話してくれていいからな。思い詰めるのだけは、やめてくれよ」

「うん……」

 夕飯を片付けて、自室へ。

 ────不動くんの人生の足引っ張らないでよ。

 反芻する。たしかにそうだ。自分といっしょにいるせいで、不動は他の子と遊んだり、彼女を作る時間がない。せっかくきれいな顔をしていてモテるのに、もったいない。同じクラスに気が合う子がいなくても、他のクラスにいるかもしれないのに、自分といることで、他のクラスに友達を探しに行く時間がない。

 いや、不動だけではなく、父親の足まで引っ張っている。父はかつては海外にもばんばん出張に出るほど、社会で期待されていた人だ。なのに、今では自分を育てるというただそれだけのために、収入を下げてまで、定時退社の部署に異動している。本当なら、もっと上の地位にいれる人なのに。

「うう……」

 自然と涙が出てきた。なんで大好きな人の足を引っ張っているんだろう。

 自立だ。自立をしなくては。大好きな人のために、大好きな人から離れなければ。

「いっしょに帰らねえって、どういうこと」

「え、えっと……」

 不動はあからさまに不機嫌な顔だ。放課後、今日から一人で帰ると言い出したら案の定だ。詳らかに全て話しても納得するわけないだろう。何か、前向きな方向で説得しなければならない。

「お、大人になったら、父さんみたいになりたくて……」

「お前のお父さん?」

「ほら、父さん、前は海外とかいっぱい行ってて、インタビューとか受けてて、かっこよかったし、僕もそういう風になりたいなって……。

 でも、今の僕、一人で海外どころか学校から家に帰ることすらできないから、それじゃ父さんみたいになれないし……。とりあえず、家に一人で帰るとこからかなって」

 もじもじしながら言うと、「ふうん」と不動は一言。

「まあそういうことならしゃあねえな! まーたしかに一人で帰れたほうがいいしな」

「うん。急にごめんな」

「いいって」

 言って、手を握られる。

「でも変な奴にからまれたらすぐケータイで俺のこと呼べよ。守ってやるから」

「うん」

 なんでか抱きしめられた。ちょっとドキドキする。女の子が男の子のことを好きになるのって、こういうかんじなんだろうかと、少し思った。


(なんか寂しいな……)

 人通りの多い商店街を歩いていても、隣に誰もいないとなんとなくさみしい。いつもふらりと立ち寄るコンビニや駄菓子屋も通り過ぎて、家路へと急ぐ。

 商店街を抜けて住宅地へ。住宅地、と行っても何でか空き家や廃アパートばかりが立ち並ぶ静かすぎる場所だ。二人なら平気だけど、一人だと少し怖い。有人の家が立ち並ぶ区画はもっと先にある。

 遠回りしてもっと人が多いところを通れば良かったなと思っていると、急にライトバンが隣に止まった。

「君、御山睦音くん?」

「!? は、はい……」

 見知らぬ大人の女性。それだけで体が緊張して動けなくなる。女性は急いだ様子で「早く車に乗って!」と指示した。

「お父さんが職場で大怪我をしたの! おばあちゃんたちも病院へ行っているから、君も!」

「え……?」

 父さんが、怪我? 病院? 頭が真っ白になる。腕を掴まれて、車の中に引っ張り込まれることに、なんの抵抗もすることはなかった。

(………………)

 どこかの家。見知らぬ部屋。そして、結束バンドでの拘束。

 嘘だった。連れ込まれた先は病院ではなくどこかの家で、拘束されて捕らえられた。

「大人の女の人が苦手なんだね。知ってたけど」

「何……するの……」

「私、あなたのお母さんの友達」

「!?」

「かわいい子。さすがにあの人のものだし手を出せないなあと思ってたけど、死んじゃったもんね」

「やだ……やめて……」

 ねっとりとした手つきで体をまさぐられる。母親と、同じように。服をハサミで切られて裸にされた。恐怖で大声も出せなかった。きっとあのとき母のクローゼットから見つけた性暴力を受けている子供の写真と同じようなことをされるのだ。

「やめてほしい?」

 こくこくと頷く。

「じゃあ、代わりの子を呼んで」

「!?」

「あなたのお友達のほら、美形の子いるでしょ。不動くんだっけ? あの子呼んでよ。そしたらあなただけは助けてあげる」

「え……」

「どうする?」

 ────すぐケータイで俺のこと呼べよ。守ってやるから。

 もしこの場で不動を呼べば、助けてくれるかもしれない。守ってくれるかもしれない。

 けど、

「あ、あいつを呼んで、なに、するの……」

「んー、子供には言ってもわからないかも」

 くすくすと笑う女。部屋の片隅には、おぞましい形状のアダルトグッズ。女とはいえ相手は大人だ。もし不動を呼んで、力負けして、それらの餌食になったら。

「どうする?」

「…………」


 これ以上友達の人生の足を引っ張るのは、ごめんだった。


******


 テレビは子供向けの明るい雰囲気の番組を流している。それを、ぼんやりとしながら眺めていた。

 半端にカーテンが開いて、外が少し見える。視界の端に、どこかの家のライトバンが見えた。

「ひっ……」

 途端に体が緊張する。頭が嫌な記憶で満ちる。息が乱れる。

「睦音」

 父さんが、そっと抱きしめてくれた。

「大丈夫だからな。あれは怖いやつじゃないから」

「ぅー………ごめん、なさい」

「謝ることなんて、何もないから」

 父さんがカーテンを閉める。昼間のはずなのに、部屋は暗い。

 一週間の監禁の末に、警察がなだれ込んで救出されたのが一ヶ月前。すっかり精神的に不安定になり、今は大人の女だけではなく、大きな車も、一人になることも、錯乱の引き金になってしまった。当然学校もずっと休んでいて、今は父と祖父母や伯母たちが交代で世話をしてくれている。

 インターフォンが鳴る。父が立ち上がり様子を見に行く。そのわずかな間でも離れるのが嫌で、ついていった。

「日陰くん、お見舞いだって。大丈夫か?」

「う、うん」

 不動と会うのも、あの日以来だった。どんな顔をすればいいのか分からなかった。

(怒られるかな……)

 自分のことを気遣っていっしょにいてくれたのに、勝手に一人で行動してこんなことになった。もちろん悪いのは犯人の女なんだが、不動には自分に文句を言う権利くらいあると思った。

「よお」

「ひ、久しぶり……」

 お見舞いのシュークリームを持って、不動と、その親が来た。不動は不機嫌そうな顔で、じろじろとこちらを眺めている。

「入院したって聞いたけど」

「ちょっとだけ。たいした怪我じゃなかったから……」

「ふうん。

 でさ、ワイドショーで見たんだけど、お前、自分が助かりたかったら友達呼べって言われたらしいな」

「!」

「こらっ、日陰! 事件のことは何も言わないって約束だろ!」

 不動の父さんが嗜めるが、そんなことは気にせず不動は僕の胸ぐらを掴んだ。

「なんで俺のこと呼ばなかったんだよバカ!」

「だ、だって……」

 不動は大人たちに引き剥がされたが、目はこっちを真っ直ぐ見ている。

「だって、あいつ、絶対お前に嫌なことするから……」

「……」

「友達が嫌なことされるの、嫌だから……」

「俺だってダチが嫌ことされたら嫌なんだよ」

 いつの間にか不動が泣いていた。強気なこいつが泣いているのは初めて見た。つられて自分も泣き出して、大人たちがそれを静かに見守っていた。


 それからだったか。元から体格的に恵まれていたのに、さらに鍛えるようになったのは。


*****


「何見てるの?」

「泉」

 不動と三島さんとのやりとりを見ていると、友人の泉が寄ってきた。

「あら、もしかして三島さんを狙っているのかしら? あなたにもそんな根性があったのねえ。嫌いじゃないわ」

「友達が好きな娘狙うわけないだろバカ」

「まあ、つまらない」

 つまらない、というわりにフフ、と笑っている。こういう女だ。

「最近すっかり不動くんと遊ばなくなったじゃない」

「ん……あいつ三島さんに夢中だからな」

「小学校のときはあなたにべったりだったのにねえ。まるで王子様みたいに」

「……男にべったりより女にべったりしてるほうが健全だな」

「さみしい?」

「少しな」

 さみしい、という気持ちはある。ある、が。

(これでいい)

 放課後、一人で下駄箱に移動しながらそう考えた。

 好きな娘にべったり。たしかにそうだ。たしかにそうだが、あいつが三島さんに対して本気だと悟ったあたりから、遊びに誘われてもあれこれ理由をつけて避けていた面もある。

(あいつもあいつで精神に難があるから誰にでも任せられるわけじゃないけど、三島さんとはうまくいってるみたいだし)

「よお」

 外靴を出したところで、不動に話しかけられた。

「いっしょに帰ろうぜ」

「……三島さんは」

「別に必ず毎日三島といっしょに帰るルールはねえなあ」

 不動も外靴を出す。

「さみしいって、聞こえたんだけど」

「……地獄耳かよ」

「お前はいっつもがまんする」

 まったく、と呆れたような声だ。

「ダチに避けられた俺の気持ちも考えろバカ」

「う……」

 悟られていたらしい。

「で、でも僕とずっといっしょにいるより、彼女ができたほうがいいだろ」

「まあそりゃ三島とは付き合いたいけどさ」

 靴を履いて、すっと手を差し出した。

「お前ともいっしょにいたいんだけど」

「…………」

「みんな幸せに過ごしました、でいいだろ。一人だけがまんしようとすんな」

「……僕はいっつもお前に迷惑かけてる」

「知るかよ」

 ぐいっと手を引っ張られる。慌てて靴を履いて、光差す外に出た。手は繋がれたまま、家路を辿る。最近出来てなかったくだらない雑談を、延々と続けた。

 不動には、やっぱり人並みに彼女を作って、幸せになってもらいたい。

(僕もいっしょに幸せになってもいいのかな)

 そんなことを、少し思った。

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