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絵師と女

 江戸に、二人の流れ者がやってきた。


 一人はお松という若い女で、たいそう美しかった。生まれ育った村は土地が痩せていて、食うや食わずの生活にうんざりして江戸へ出てきたと言う。

 あっという間に茶屋の看板娘になり、お松を見たいがために茶屋に通う男も多かった。老若男女に優しく、明るく、気立てが良く、誰にだって好かれる女だった。一方で、どんなに口説いてもするりするりとかわしていって、いまだ誰も心が掴めなかった。

 二人目は絵師の男だった。正式な名を名乗らず、ただ絵師だと語る。絵師という言葉の通り絵を描くことを生業としていたが、これがずいぶんとんでもないものだった。

「おい! 絵師の先生が興行をするってよ!」

 ひとたびその話が人々に伝われば、町から人が消えたものだ。皆興行へと行き、それを目に焼き付けようとする。

「サアサア今回は、子供たちに頼まれてねえ、ろくろ首サ」

 絵師はそう言うと、ろくろ首が描かれた巻物を取り出した。そしてその巻物をひらりと振れば、なんと絵の中のろくろ首が飛び出てきた。

「うおおおお!!!!」

「ひええええ!」

 会場は興奮で染まる。ろくろ首はツンとした顔で長い首を飛ばしみんなの頭上から下を眺めている。その首、体、顔、全てに触れることができ、喋れることもできた。

 ろくろ首だけではない。一つ目小僧、鬼、唐傘お化け、のっぺらぼう、ぬらりひょん。どんな化け物でも絵師が描けば本物になる。そしてみな主である絵師に従順で、人を傷つけない。

 それだけではない。

「サア即興絵描きの時間だ。何を書いて欲しい?」

「花魁! いっぺん近くで見てみてえ!」

「そりゃ色男さ! 歌舞伎役者の……ああ、選べないよ!」

 絵師は客の要望に応えてその場で絵を描き、それもまた現実にする。それがまた人気を呼んだ。

 いずれもほんの少しの時で消えてしまうものだが、それでも絵師の興行はいつでも満員御礼だった。

「ああ、今日も絵師の先生の興行は最高だったよ!」

「興行といいつつ金取らねえからなぁ」

「どうやって儲けてんのかね。普通に絵売ってるだけか?」

 興行後、茶屋ではそんな下世話な話がされていた。

「なんだそんなことも知らねえのか。いいか、あの先生の興行のときにゃ、必ず臨時で茶屋だの飯屋だのの屋台が出てくるだろう。売上を絵師の先生と半分こすることを条件に、屋台を出してんのさ。見るのに代金とならねえのは客の数が欲しいからだ」

「は~~~頭が良いねえ」 

「お待ちどおさま」

 お松が団子が乗った皿を置いた。

「お松ちゃんは絵師の先生の興行は見たかい?」

「もっちろんよお。すごいわねえアレ」

 きゃあきゃあと楽しそうに語るお松に、突然客の男が不安そうな顔になる。

「お松ちゃん……絵師の先生に気があるわけじゃあねえよな?」

 絵師は、精悍な顔つきの美形の男だった。そのうえ面倒見も良く、「他人が描く絵を見るのが好き」と、無料で子供たちに絵や文字を教えていた。当然惚れる女も多い。

「あっはっは! たしかにいい男だけどねぇ、そんな気はないよ」

「よ、よかった……」

 客があからさまに胸をなで下ろし、茶屋に他の客の笑い声が満ちた。


 お松が首を括ったのは、それから三日後のことである。


*******


「ふあ~あ」

 絵師は大きなあくびをしながら朝の散歩をしていた。

「んん?」

 なんだが町の雰囲気が違う。妙にざわざわしているな、と思った。

「おはよう鯛吉」

「おや絵師のセンセ、おはよう」

 同じくプラプラしていた顔なじみをつかまえて、「なんかあったんかい?」と尋ねる。

「まあたケンカさ。五人がケガした」

「またかい」

 お松が遺書もなく首を括って以降、町は疑心暗鬼に囚われていた。あんなに美しくて、優しくて、明るくて、みんなに好かれていたあの子を追い詰めていたのは誰なのか。なんせみんなが惚れていて声をかけていたためわあちこちであいつのせいだいや別のやつのせいだお前のせいだと諍いが絶えなかった。ケンカをして怪我をするものも多かった。

「おい!」

 荒っぽい声に、思わずそちらを向く。刃物を持った男が、その先を絵師に向けていた。

「お松ちゃんが死ぬ前日にお前と会ってたってのは本当か!」

「ああ本当サ! けどよお、俺が頼まれれば誰にだって絵ェ教えてたのはみんな知ってるだろ! お松にだってそうさ! 

 なんだったら中吉やおみつ、鶴千代にも聞いてみな! いっしょに教えてたからヨ!」

「うるせえ!」

 男は刃物を絵師に向けたまま突進してくる。絵師は顔色一つ変えることなく懐から紙をとりだし、興行のときのようにサッと振った。墨で描かれた同心が現れ、あっという間に男を組み伏せる。

「鯛吉ィ。本物の同心の方々呼んできてくれんかね」

「あわわわ。わかった」

 鯛吉がへっぴり腰ながらも、なんとか走って同心を呼びに行く。


 未遂ではあったがコレが何か人の心に触れたのだろう。数日後には、お松のことでのケンカの末に、死者が出た。


******


 とある宿屋で、絵師は一息ついていた。「上方の文化に触れたい」と江戸を出たのである。非常に、非常に惜しまれながらも江戸をあとにした。

「ああ、江戸では良い絵が描けた!」

 一人の女が死んだことが次々と周囲に影響をもたらす。疑心暗鬼は人の心に闇を滲ませ、ついには死者をだした。そして死人が出たことで責める者、泣く者、疑う者といろいろと出現し、更に地獄は加速した。

 良い、生き地獄の絵が描けた。

「しっかし、お松が俺の絵だと知ったらみんなどう思うかね」

 お松は絵師が描いて出現させた女だ。

 一人の美しく、優しく、明るく、人に好かれる女を出現させ、それが死んだらどうなるだろうか?

 幸せでもいい。不幸でもいい。単にそれを描きたかった。それが動機だ。人が描き出す人間模様と言う名の絵。それが見たい。そして、改めて描きたい。

「サテ、上方ではどんな絵を描こうか」

 ごろりと畳に横になって、絵師はフフッと笑顔になった。

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