トマソン
トマソン、というものがある。
高すぎるところに設置されて誰も入れない扉とか、どこの部屋や廊下にも繋がらずに、壁や天井にぶつかっている階段とか、そういう意味のない建築物のことをトマソンというそうだ。
それらは設計が作っている途中で変更になったり、改築や増築の影響で使われなくなったせいでできたものなのだろう。
近所にある雑居ビルにも、そういったものがある。三階の外壁に扉があるのだ。階段も渡り廊下も何もなく、中から扉を開けたらそのままコンクリートに真っ逆さまだ。
「あれね。昔はちゃんと下に降りる階段があってその入り口だったんだけど、昔隣にあったビルが火事になってね、階段もちょっと焼けちゃったの。それでボロボロになって危ないからって階段だけ撤去されて、そのまま。
中から? 無理よ。あそこ扉がある部分、すごく狭い部屋でね、借り手も全然つかないし、階段がないことを知らない人が、中から外のほうの扉を開けて事故になりかけたときもあったし、リフォームの時に開かずの小部屋にしちゃったの。
だからもう誰かがあの扉を開けることはないのよ」
そう、近所のことを何でも知っているお母さんは言っていた。
私は知っている。幽霊さんたちが、ときどきあのトマソンの扉の向こうに入っていくときがあることを。
「こんにちは、幽霊さん。どうしてあの扉に入っていくの?」
『え……あ、あそこは私たちの部屋だから……』
いきなり話しかけられて驚いた様子の幽霊さん。それでもたどたどしくも教えてくれた。頭から血を流した幽霊さん。五年前に、痴話喧嘩の末に旦那さんに殺された、四丁目のお屋敷の奥さんだ。奥さんの他にも、虐待で殺された隣町の女の子や、受験ノイローゼが原因で、家の庭で首を吊った浪人生、他にもいろいろ、この町や、近くの町で亡くなった幽霊さんだ。
「四丁目のお屋敷じゃなくていいの?」
『ああ、いいのよ。ここでいいの……』
はぁ、と奥さんはため息をついた。
『ほらもうあそこ廃屋でしょ。肝試しだー探検だー冒険だーって子供や不良が大声で荒らしたり、ホームレスが住み着いたり、もううんざり。
私たち、みんなそうよ。家は安らげる場所じゃなきゃね……そうでしょ?』
そう言って、夕暮れの中、トマソンの扉を通って幽霊さんたちは静かな我が家へと帰っていった。
トマソンの扉が作り上げた、誰も入ることができない無意味な部屋。それが今は幽霊さんたちの宿り木として、静かに立派に、役割を果たしているのだ。