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水たまり

 外は雨だ。水たまりが、いくつもいくつもできている。


*****


「……ん?」

 ベッドで寝転んでいると足先を湿った何かがつついてきて、俺はそちらに視線を向けた。

「ああ、もうそんな時間か」

 飼い犬のリュースケが、自分のリードを咥えて湿った鼻先を俺の足に押しつけている。散歩の要請だ。

 窓から差し込む光は明るい。いつの間にか雨は上がっているようだ。タンクトップに軽く上着を羽織り、シャベルやゴミ袋といった散歩セットと共に、リュースケを連れて家を出る。

「日陰、気をつけなさいよ」

「へーい」

 母の声を背に受けながら、いつもの散歩コースを歩く。道にはいくつもの浅い水たまりができているが、生来の大雑把さゆえにその上をサンダルで歩くことに躊躇いはない。

 雨粒が光を反射しているのか、雨上がりの夕方はいつもよりもきらめいて見える。

「きれいだなー」

「わう」

 同意しているのか、リュースケが軽く鳴いた。仔犬の頃に保健所からもらい受けたゴールデンレトリバーだが、賢く、よく言うことを聞き、人の言葉が分かるのではないかと思うこともある。

「ステイ。ちょっと待ってろよ」

「わう」

 途中、自動販売機でジュースを買おうと足を止める。いつも買っているのを選ぼうとしたら、新味が入荷していた。さてどうするか、と少し悩んだところで、リュースケの声がした。

「ワンワンワン! バウバウ!!!!」

「!?」

 突然のけたたましい吠える声。思わずリュースケを見ると、いつもは決して人に向かって吠えないリュースケが、珍しいほど怒った顔で、声を荒げていた。

 自身が映った、水たまりに向かって。

「……“よくばりな犬“じゃねえんだからさ」

 幼い頃に本で読んだ寓話を思い出す。肉を咥えた犬が川に映った自身を見て他の犬だと勘違いし、肉を奪ってやろうと吠えたら肉は川に落ちて流れていってしまったという話。

 しかし、リュースケのことを見ている限り、普段は鏡像と現実の区別はついているはずだが、珍しいこともあるようだ。

「こら、リュースケ。クワイエット。吠えんな」

「ワンワンワンワン!!!」

「リュースケ……?」

 いつもなら俺の言うことはすぐに聞くリュースケが未だに吠え続けている。たしかに元から静かな犬だからクワイエット(静かに)の指示を出すことは久しぶりだが、忘れたのか?

「あー、ステイだリュー……」

「ワンワンワンワンワン!!!」

「ええー……」

 ステイ(待て)すら聞かないなんて仔犬の頃のしつけのし始めのとき以来だ。

「おい、ほんとどうし……」

「バウバウ!!! ワンワンワンワン!!!!!!」

「リュースケ!!!!!」

 リュースケに負けないほどにデカい声をだしたらようやく静かになった。それでも唸って水たまりを威嚇している。

「ああもうどうしたんだよお前。近所迷惑だから」

 リュースケのリードを引いて、水たまりから遠ざけて、

『ワンワンワンワン!!!!』

 鳴いた。

 リュースケじゃない『何か』が。

『ワンワンワンワン!!!』

 鳴いている。吠えている。リュースケは唸るだけ。

 水たまりに映る犬が吠えている。覗いていたリュースケは遠ざけたから、本来何も映っていないはずなのに。

『ワンワンワン!』

「バウバウ!!! ワンワンワン!!! バウ!!!!!!」

 リュースケがひときわ大きく吠えて、ようやく水たまりの犬は吠え声を止める。

『グルル……』

 水の中の犬が唸り、ようやく姿を消す。

「フン」

 リュースケはようやく吠えるのも唸るのも止めて鼻を鳴らす。

 また空が曇る。パラパラと雨が降る。水たまりを雨粒が穿ち、水面を揺らして歪ませ何も映さなくなる。

「ええ……何……?」

 雨音が響く薄暗い夕闇の中、俺の困惑する声が静かな住宅街に響いた。

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