2 勇者という肩書きの裏の噂
手には札束、両脇には極上の女。
大理石で創られた特注のテーブルには、一本あたり数万ギルはする年代物の最高級ワイン。
金の力で寄ってくる女が大半だが、真に俺を輝かせるのはやはり『勇者』という名の称号だ。
どこへ行っても持て囃された。
ただ以前から、酒や女はこの称号がなくても俺のスキルさえあればいつでも寄ってきた。
現に勇者の称号を持っていないとき、男のロマンを一度は体験してみたいと思い豪遊したことがある。
だがそのとき、人々が口々に声を揃えたのが『勇者』に対する尊敬の念と厚い信頼だった。
金では買えない、男を飾る一番のステータス。
俺はなんとか手にしたいと思い、このときはじめて勇者と魔王の買収を決意する。
◇
「さようなら、旅の人。お元気でーー」
宿屋全般の口癖なのか、俺の親父も客に向かってこの台詞を投げかける。
明らかに旅の人ではない老人や夫婦にでさえ。
正直、親父アホだなと思いながら見ていた。
どれだけ働こうが、月の小遣いは1000ギルほど。
独立を考えたこともあったが、なんの特技もない俺には宿屋しかない。
勇者の需要度で言えば、俺は所詮ただの村人。
それ以下でも以上でない。
現に俺には勇者の仲間になるためのスキルさえない。積もるのは金ではなく愚痴ばかりの日々、そんな毎日だった。
あるとき、俺は本気で勇者の仲間入りを果たしたいと思い、なけなしの金をはたいて港町にやってきた。
目的は一つ、スキルを手にするためだ。
スキルはショップで購入することができる。
しかし職業そのものを変えるジョブスキルは俺たち村人には一生縁のないもの。
店で売られているスキルと言えば『宝箱を開けるスキル』『鍵の掛かった扉を開けるスキル』など、どれも勇者の仲間としては心許ない、道具クラスのスキルばかり。
たまにレアスキルとして、『モンスターに出くわさないスキル』などが陳列されていることもあったが、なんと驚きの20万ギル。親父の年収に相当する額だ。
もちろん、手も足も出なかった。
俺は早々に諦めて家路につこうとした。
そのとき、俺の目に飛び込んできたものは『?スキル』という名称のスキル。驚きだったのはその値段、なんとたったの5ギル。
俺はハズレ覚悟でそのスキルを購入した。
使ってみると、ハズレどころか宝くじさえハナクソに感じるほどの大当たり。
『神竜の剣』1100万ギル『魔神の盾』900万ギル、どれも今の俺にとっちゃあ大根や人参以下。
まあ悲しい現実として、村人の俺には装備すらできないんだけど。
俺は女を数人引き連れて、客船に乗り込んだ。
カジノにショップ、映画にプール、そして頬が落ちそうになるほどのうまい食事が優雅さを物語る。
しかしそのどれもが引き立て役にしか過ぎない。
真に俺を照らしつけるもの、それは『勇者』という名の神々しい肩書きのみ。
「勇者様、あたしね、勇者様のお噂を耳にしたことがあるの」
女が不意に噂話を持ち出した。
一人の女に狙いを定め、高級ラウンジのカウンターで気障な勇者を気取っているときのことだった。
まあ仕方ないか。俺が真の勇者となって早三ヶ月、噂の一つや二つくらい立ってあたり前だ。
さて、どんな噂だい? また魔王を倒したときの話かな? 俺はニヤつきそうになる表情を抑えて続きを待ちわびた。
「怒らないでね? なんか最近ね、魔王を倒したのは勇者様じゃないって噂が広がってるの……」
「え……」
グラスが手から滑り落ちーーない。
それどころじゃないくらい、本気で硬直した。
冷静さを呼び戻すまでに相手に違和感を与えるくらいの時間を要したが、俺はなんとか口を開いた。
「ば、ばか言うなよ、魔王を倒したのは勇者に決まってるだろ?」
嘘ではない。事実、魔王を倒したのは勇者だ。
その肩書きを現在、俺がつけているだけの話。
言葉足らずは嘘とは言わない。そんなふうに、虚しい言い訳を心で繰り返した。
「そ、そうだよね、誰だろ……変な噂流したの」
「全く……どこのどいつだ」
そう相槌を打ちながらも、俺は密かに悟った。噂の発祥は間違いなく勇者の仲間たちであると。
勇者が仲間に向かって必死に説明していたけれど、仲間たちは実際に勇者の剣が魔王を貫いた瞬間を目の当たりにしている。
俺が真の勇者である噂が全世界に流れ、彼らから疑問が浮上したとしか思えなかった。
俺は女から噂の出所を聞き出し、早々にラウンジをあとした。
「次の国で降りるか……」
誰もいない部屋で一人決意を固めた。
こうなったら勇者の仲間を捜し出し、奴らをまとめて買収するしかないと。
真の勇者であるはずの俺がーーなんて言ってられない。名誉を守り抜くために俺は一人で買収の旅に出掛けることにした。