1 宿屋の俺が真の勇者になる
今まさに、勇者渾身の一撃が魔王に繰り出されようとしている。
何かしらの魔法がかけられているのか、ただの鉄製にしか見えないどこにでもあるような廃れた剣が、神々しい光を帯びて魔王の胸元に突き刺さる。
俺はその光景を魔王が先ほどまで座っていた玉座の陰からそっと覗き込む。
「頑張れ勇者ッ‼️」声を大にして応援したい気持ちを抑え、息を呑んで見守った。
「き、貴様……!」
勇者の剣が魔王の胸を貫いたとき、魔王は勇者ではなく意味深に俺を睨みつけた。
内心、ドキッとした。「早く死ねバーカ!」本気でそう思って無意識に中指を立てる。
魔王はこの上なく屈辱にまみれた顔で倒れ込んだ。
俺は颯爽と玉座の陰から飛び出した。
「勇者、やったな!!」
勇者をはじめ、勇者の仲間たちは俺が飛び出した瞬間に <ビクッ‼️> となって身構えた。
だがそんなもん、予想通りだ。
俺は満面の笑顔を作り、全力で敵じゃないアピールをしながら勇者の手を取った。
「おめでとう!」
「あ、ありがとう…………えと、君は……」
「俺は……だな、よし、ちょっとこっちに来てくれ」
俺は仲間たちから勇者を引き離し、玉座の陰に勇者を呼び寄せた。
「あんたすげぇよ、ずっと見てたからな」
「君は一体……?」
「まぁそれはいいからさ、そんなことよりもあんたに頼みがあるんだ」
「頼み?」
「今あんたが倒した魔王、悪いけど俺が倒したことにしてくれないか?」
「なっ……!?」
勇者はものすごい驚いた。
「実は俺が真の魔王だ!」とかなんとか言ったほうが余程納得したであろう予想外のリアクション。
ここは勇者が次の言葉を繋ぐ前に先手を取るべきだ。そう思って、魔王のときと同じ手を使った。
「もちろん、タダでとは言わない。これでどうだ?」
俺はアタッシュケースを取り出した。
中身は『1500万ギル』
俺の親父である宿屋の月収が20000ギルだと言えばその価値が解るだろうか。
勇者は咄嗟に金と名誉の天秤にかけられた。
迷っているのか、魔法で動きを封じられているときより動きを封じられている勇者。
もう一押しだ。
「い、いや、しかし……!」
勇者の理性が僅かに欲望を上回る。
大丈夫、魔王もそうだった。
「しょうがねぇ……じゃあ、これならどうだ?」
2億ギル。
勇者の理性が粉々に砕け散った。
「…………はい」
その一言と同時に、勇者の右手は2億のアタッシュケースを掴んだ。
俺はもう一度勇者の手を取り、無言ながらも力強い握手を交わす。
勇者の目線は2億に漂い、俺の力強い握手を解こうとはしない。
勇者が買収された瞬間だった。
実はこの何時間か前、俺はたった一人で魔王の元に訪れていた。
なんの装備もなく、なんの魔法もない。
ただの宿屋の息子、村人A以下な存在、そんな俺が最終ダンジョンの魔王の元へやってこられた理由はただ一つ、このスキルのおかげである。
「フリだけで良いのか……?」
魔王は2億の金を前に、興奮を抑えながらそう告げた。
俺は、宿屋という接客業で鍛えあげた満面の笑顔で「もちろん!」と頷きながら続ける。
「勇者にはもう既に話をつけています。勇者はあなたを倒さない。あなたはやられるフリだけでいいんです、ね?」
「それだけで……2億……」
「ええ! 魔王たる者、八百長で倒されるのはかなりプライドが傷つくこととは思いますが、でもそれだけで2億です。どうでしょう?」
「……乗った」
魔王、買収。
もちろん、この時点で勇者にそんな話などしていない。ただのデマカセである。
そして魔王は倒された。
魔王が倒れる間際に俺を睨みつけたのはそういう理由である。
勇者と俺は契りを交わして、玉座の陰から仲良く出てきた。
仲間たちのキョトン……。とした顔は、勇者が必死になって掻き消した。
あることないこと、よくもまあこれだけ嘘を並べられるなと感心するレベルの必死さで。
さすが2億。
勇者一行に加わった俺は、帰還の旅へ同行した。
◇
勇者の仲間たちは、一人また一人と、それぞれの故郷へ帰還していった。
今まで世話になった村や都市を回り、自然と思い出話に花が咲く。
皆が勇者と熱い抱擁を交わし、涙ながらに「また会おう!!」と、くぐもった声で感極まる者も少なくなかった。
ただ、俺の目に映る勇者の眼差しは、正直、感動の「か」の字もなかった。
あるのは2億の使い道、豪遊か安泰かで悩む老後の妄想。その証拠に、全ての仲間と感動の別れを済ました瞬間、勇者は移動魔法で故郷に一直線に帰還した。
「まだ回る場所があるんだったら寄ってもいいけど?」
こっちが気を遣うくらいなのに、それでも勇者は、「これ以上寄り道している暇などない!」と、マジな顔でバッサリとぶった斬る。
仲間たちとの別れを“寄り道”と形容するこの変わり様、さすが2億。
そして俺は、勇者に引っ張られる形で忙しなく勇者の故郷へと訪れた。
国中が勇者の凱旋、その勇姿と実績を称え、お祭りムードで勇者を出迎える。
そそくさと勇者の陰に隠れながら付き添う俺のことなんか誰も見ていない。勇者は、そんな皆のことなど1ミリも気にせず、半ばマラソン気味に駆け足で王様の待つ城へと赴いた。
「な、なんと!? それは誠か!?」
王様の立派な白い髭が逆立った。
無理もない。勇者ではなく、ただの宿屋の倅が魔王を倒したというのだから。
王様は兵士や大臣を退室させ、もう一度真相を聞こうと険しい表情を近付けてきた。
しかし勇者の答えは一貫して同じ。
無理もない。勇者の手には2億のアタッシュケース。魔王討伐の名誉など、1ギルの価値もないと思っていることだろう。
王様は半信半疑のまま俺に尋ねた。
「で、では、そなたが……!?」
「ええ、王様、僕が魔王を倒した者でございます」
「勇者よ、どうなのだ!?」
「ですから何度も申し上げている通りです。彼こそが魔王を倒した真の勇者です」
「王様、僕を真の勇者として認めて頂けますか?」
「うむ……そうか、よし! ではそなたを、魔王を倒した勇者なる者と進ぜよう!」
こうして俺は、このスキルのみで勇者の称号を手に入れた。
勇者の称号と名誉があれば、この先、俺はどこに行っても人気者。女に困ることもない。
城を出た俺は、混乱する兵士と歓喜する人々の前を悠然と闊歩した。
のちに王様が全世界にこの事実を伝え、俺は晴れて真の勇者となる。