安全地帯
硝煙臭い。目の前まで近づくとそう感じた。しかし、眼前に聳えるのは医療テント。
鉄条網にちょっとやそっとで動かすことも出来なさそうな土嚢。中の人を守ろうとするものがいくつも横たわっている。
ヤドヴィガは入ろうとしようとすることもなく、偉人像のような固い姿勢に表情に赤十字をじっと見ているようだった。
「……ここが一番近い医療施設だ」
ヤドヴィガの言う通り、中に入ると医療用の仮設ベッドが所狭しと並べられてあった。埃混じった血のすえた臭いに鼻を擦る。当時、多くの人が運び込まれたのだろう。だが、今はすっからかんらしい。
それだけ、多くの医薬品が貯蔵されているのだろうと思ったけれど、地面に薬瓶やら包帯が転がっているのを見るにあまり期待はできそうにない。
こんなところに月見里は来ているんだろうか。不安になってくる――――。
どこかに手がかりがあってくれ――――。なけなしの期待に目を凝らしていると、見慣れたウサギの印にバツをつけられたものがあった。
「ヤドヴィガ。このウサギマークが見えるか?」
「……ああ。これがどうしたの?」
「月見里が物資を探す際に使っているマークだ。バツがついてるから、おそらくもう調査をしてもぬけの殻だろうが……まだ近くにいるはずだ。近くにまだ医療施設はあるのか?」
「……ああ、ある。いくつもあるぞ」
ヤドヴィガは小さく頷いた。少しだけ希望が湧いてきた。
すぐに発った。ヤドヴィガの言う通り、大通りに入ると決まり切ったかのように医療用のテントがあった。
どうやら、このあたりは医療用テントが多く建てられた場所らしい。なぜこんな街の外れにあるのだろうか。
そんな疑問を持っているとヤドヴィガが独り言つように教えてくれた。
「……このあたりは後方拠点として設定されたいたんだ。怪我人とか戦えない人たちを一度ここに運び込んで、街から脱出させる計画があった」
道理で、どれにもバリケードだとか監視塔があるわけである。しかし、ひとつの例外もなくもぬけの殻。赤茶けたシミがある程度である。
皆、脱出して黄金の国へ行ったのだろうか――――。
弱々しくあったはずなんだと呟くヤドヴィガを見ると、期待は出来ないのだろう。
ただ、バツ印は絶えることだけはなかった。ちゃんと月見里には近づいているのだ。唯一の嬉しいところだった。
進む。まだ夕方には程遠い。
しかし、その後もばつ、バツ、罰。月見里印のバツ印。空っぽの医療テント。潰れた医療テント。
流石に途方に暮れてくる。砂漠の中で彷徨っているような感覚だ。状況もそれとはあまり違わないだろう。
ただ、漫然と奥に奥へと入っていく。戦地のような様相が、徐々に被災地みたいな有様に変わっていって、もう誰も助からなかった状況をありありと見せつけられている。
『あれ』に出くわさないのが不思議なくらいだ。それが幸運なことだとは思うけれど、あまりにも平穏すぎて本当に月見里がいるのか疑わしくなってきた。
ヤドヴィガもキビキビと歩いていたのが、今ではのそりのそりと辺りを探りながら歩いていた。まるで地雷原を歩いているようだった。ヤドヴィガは独り言つこともなく、死んだように無言。
初対面だったならこれが軍人かと驚いていただろうが、どうしてかそれとは違うように思えた。何か引っかかるものがあったが、言葉に出来なかった。
ただ、ふと、月見里が小さかったとき、夜にトイレに行くときは一緒についていったことを思い出した。あいつは必死になって、しがみついていたっけ――――。そんなことをヤドヴィガと重ねたら、失礼極まりないだろう。俺。
だが、探していない医療テントが消えていくたび、背中が徐々小さくなっていくように思えた。酷く小さい背中に見えた。手も足も、見ぬふりが出来ないくらい震えていた。
「……最後の一つだ」
ヤドヴィガが告げる。もう夕方になりかけていた。
最後の一つ。しかし、もうバツ印はついていた。今の今まで、月見里の手際の良さを忘れていた。同時に、彼女はもっと奥へと進んでしまっていることに気付いてしまった。
クソ。『あれ』の声がどうしてあんなに遠かったのか、気づかされてしまった。『あれ』は月見里を追いかけようとしているのかと――――。
でも、最後の一つだった。縋っているだけだと気づいてはいるけれど、構わず自分は中へと入る。薬瓶転がる室内。今まで入ってきたのと変わらない雰囲気――――。
「……っ」
喉を詰まらせたような音を出したのは自分なのだろうか。もぬけの殻であるはずのベッドには患者だった人が横たわっていた。無数にいくつもあって、大きいのも小さいのも無差別にあった。
それが道端に眠っていた軍人ではないことに、隅に転がるカラフルなリュックサックや学生カバンが物語っている。
こんなのいくらでも見たことがある。それなのに、ちょうど月見里の好きそうなぬいぐるみをその中に見つけてしまって胸が締め付けれた。
自分は彼らを見てしまった。意味がないというのに――――。
「……ほんとうは守るべき人たちだったんだ」
後ろにいたヤドヴィガが呟いた。一体何を言ったんだろうと振り返ると、どうして入り口の前で、直立不動で佇んでいる。帽子を手で抑えつけて深々と被っていて、表情の見えないが重い声音だった。
「ここが私の持ち場だった。本当はここの人たちを守る義務が――――」
ヤドヴィガは軍人然と佇んでいた。だが、もう体が制御も利かなくなったように小刻みに震えて、ただただ制服を正そうとしていた。
何のことか一瞬分からなかった。だが、横たわる彼らの頭蓋骨に穿たれた大きな穴がちょうどヤドヴィガが持っている長い銃の弾と同じ大きさであることに気付いてしまった。
ああ、そうか、だから――――。なぜ、彼女がそれ以上喋らず、帽子で顔を見せず嗚咽を嚙み潰しているのか分かった。
自分はそんな彼女の有様を見て、腸が煮えくり返った。
……――――!
俺は近くにあった遺体を地面にたたきつけた。
バキバキと骨の砕ける音がこびりつくほど耳に響いた。構わず、次の遺体を引きずり降ろして叩き潰す。
「お前――――!何をしてるんだ!」
「うるさい!黙れ!」
ヤドヴィガが血相を変えて、殺気立った声をあげる。だが、知ったことかと吠えた。小さい遺体をベッドごと引きずり降ろして、ぐりぐりと靴底で擦りつぶした。
「クソ!クソ!クソ!」
愚かだ。愚かだ。何をしているんだ。ああ、クソ、どうでもいい!腹が立つ。俺は悪者だ。壊せ、壊せ、壊せ。
ちらつく。彼らがどうやって死んだのか。ちらつく、ヤドヴィガが夜になるとずっとうなされて居ることに、ごめんなさいと酷く弱り切った声で寝言を言うことが――――クソ。
「なあ、待ってくれ」
ヤドヴィガが俺の肩をそっと手を置いてきた。
振りほどこうとしたが、ヤドヴィガの声は優し気に思うほど落ち着いていて、それなのに諭すようなものでもなくて――――自分は嫌に落ち着いていた。
「――――っ」
茫然とした中、パリパリと音が響く。ヤドヴィガはしゃがみ込んで、俺が踏みつぶした誰かをの骨を粉々にしていた。でも、それは決して荒っぽいものではなく、酷く丁寧で祈っているような手つきだった。
自分もヤドヴィガと一緒になって、手で彼らの骨を潰した。何度もやってちょうど遺灰になるくらいに。
手を分けるように、他の人たちを分担して粉々にしていった。示し合わせるわけでもなく、近くに転がるリュックサックの中に彼らを詰めて、バケツもあったからそれをスコップ代わりにして彼らを埋めた。ゆっくりと丁寧に、まるでそういった儀式かのように作業を進めた。
そして、全部を埋めて小さな山が出来た後、それに手を合わせた。お互いに無言だった。
その時には、ヤドヴィガの体は震えていなかった。真剣な表情なのに、憑き物が取れたようなような表情に見えるのは自分の性格が悪いからだ。
「……ヤドヴィガ」
「行こう――――」
自分たちはテントを出た。あたりは、すっかり夕闇もなくなって心もとなくなっていた。夕方になっていた時点でどうせ遠くにはいけなかったのだからいいだろう。
結局、月見里は見つからなかった。
自分たちは近場にあったコンビニエンスストアだった場所で一夜を過ごすことにした。そこが最初に目に入ったところで、一番真っ暗闇でも勝手が分かるところだったからだ。
残念ながら、商品棚は既にすっからかんである。勝手に物色してがっかりするのは職業病と言っていいのだろうか。
商品棚で簡易的なバリケードを作ってから、食欲のない自分たちは無理やり軍用食糧を一口程度口に入れて、寝袋をしいて眠る。
隣り合う形で眠っていた。隣り合うというよりは、密着するように眠った。だから、あまり眠れなかった。
たくさんスペースはあるというのに、どうしてだろうあまり不思議に思わなかった。真っ暗闇にヤドヴィガがわずかに身じろぎする音が鮮明に聞こえてくるというのに。
「私はポーランド=ポーランド=ハンガリー連合王国新大陸波陸軍日本方面軍の第一軍団第7歩兵師団の軍曹だった」
ヤドヴィガがそう囁く。まるで告げるようにも聞こえるのは、酷く静かなせいだろうか――――。いや、きっと違う。
「当時はな、防衛任務で動いていた。いや、違うな、最初は演習だと思っていた。それがテロリストの鎮圧だとか、国籍不明の敵対軍との交戦だとか、それが災害の避難だとか、いろいろ情報が散らかってしまってもう何が何だか分からなくなっていた」
「それで流れに流れて私たちの部隊はあの医療テントで警備を任されることになってな。有り体に言うと、ケガをした民間人の保護だ。そこで数日、部下と一緒に怪我人を励まして過ごしたよ。後から聞いた話なんだけど、主力の軍が足止めをしているうちに民間人を街の外に避難させるっていう計画だったらしい」
ヤドヴィガは事実をただ伝えるかのように、つらつらと述べた。ただ、一時の間をおいて再び喋り始めると、声が一段重くなる。
「でもな、主力が負けたらしいんだ。撤退命令が出た――――」
「動ける人だけを出来る限りトラックに詰め込んで街の外に逃げるって無線で言われたんだ。当然、怪我人は動けない。まだ民間人は避難している最中で、私は即座に部下を撤退させた。置き去りにしろと言った」
「でもな、私は撤退が出来なかった……別に命令に背くわけじゃなかった。どうしようもないのに何でそんなことをしたんだろうな。見捨てたくなかったから?守りたかったから?」
「……私は全員撃ち殺した。自分だって怪我をしているのに私のことを気にかけてくれたサラリーマンの人も、将来私のような軍人さんになりたいって言っていた6歳ぐらいの子供も――――死にたくないって言っていた女子高生の人も頭を撃ちぬいてな」
「結局、それで何分も遅れたせいで『あれ』は自分たちの目の前まで現れて……生きられたはずの人も死んでしまった。嫌な末路だった。いや、それも分かっていたはずなんだ。それなのに、ただ自分の都合でやってしまった」
「意味なんてなかったんだ。私は結局、自分をただ納得させるためにそんなことをしたんだと思う。私は正真正銘の悪人だ」
ヤドヴィガはつらつらと述べ上げる――――いや、違う。もうそうと捉えるには、あまりにも感情が孕んでいた。軍人から少女のような語り口になった変わりように、自分はなんて言いのか分からない。
いや、嘘だ。涙の混じるそれに、自分はただムカついた。
「俺は……俺はただムカついたから、遺体を踏みつぶした。ただの気分でだ。だから、俺が稀代の大悪党だ」
それは本音だった。勢い任せにやったというのに、骨が潰れる音が耳から離れない。腹が立つ。何もかもに。
少しの間をおいて、ヤドヴィガは小さく笑った。でも、先ほどみたいな乾いたものではなく、年相応の少女のような軽い笑い声だった。
「なら、私たちは共犯者だな」
いや、そう例えるのは少しだけ違う気がする。でも、それが何かは分からない。
でも、共犯者か。どうしてだろう、ヤドヴィガが言うとあまり悪い言葉じゃないように思えた。自分は違うと否定はできなかった。
その後、余韻に浸るかのごとく、声ひとつも出ずにただ静かな夜の中に眠った。珍しく静かな夜になった。




