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世紀末でも屑はクズ  作者: パクス・ハシビローナ
あうとおぶあす
75/93

ホタル


 その後もずっと干からびた街並みと共に、萎みきったような『あれ』の姿がチラホラと見かけた。


 もはや、そこに生息しているのかと思うくらい固まっていたが、どれもこれもが襲うまで何秒前かの目つきをこちらに向けていた。


 それでも、数秒後に行きつくこともなく、その答えも分からぬうちに街の終わりを迎えた。


「追ってきてるか?」


「ううん、それは大丈夫。鹿も追いかけてきてない」


「そうか」


 自分は怪しく思って、夢じゃないかと思ってバイクを止めてみたが、追いかけてくる『あれ』の姿は無し。

 月見里が望遠鏡で街の方をずっと覗いているが、つまらなさそうな表情をしているのを見るに本当に何もなかったのだ。


「もしかしたら、蜃気楼だったのかもな」


「それはない。地図で見ると、確かに岐阜市って書いてあった」


「そうか……まだまだ分からないことってあるんだな」


「うん……」


 しかし、安堵感はなく、違和感。何と言い表せばいいのか、ずっと目の先に聳え立っているビル群が本当に見えているのかどうかさえあやふやで、形のないモヤモヤとしたものが頭の中に浮いているような気分。


 しかし、月見里はぶっきらぼうに、


「いいじゃん。ラッキーだった」


 そう言った。まるで当たり前のように言ってきても、モヤモヤが収まらない。どうして、自分は馬鹿なのに、すんなりと状況を受け入れてくれないのか。


「そう捉えるべきなんだろうな……」


「うん。数十年前の街だから、『あれ』が弱々しくても不思議じゃない」


 それでも、納得しない自分に、月見里は賞味期限みたいなもんだと付け足してくれた。確かに、数十年前のものだったら、缶詰でもとても食えるものじゃないだろう。

 

「行こ。喉乾いた。早く湧き水見つけたい」


 月見里は犬のように舌を出した。さっき、湧き水の看板を見つけたと喜んでいたから、早く行ってあげた方がいいだろう。自分も喉が渇いた。


 今は目先のことが大事だ。


「そうだったな、悪い。行こう」


 月見里の案内で湧き水のところまで行ってみると、日本の名水百選と書かれたシンプルな看板と共に竹を突き刺したところから湧き水。

 名水百選か得したなと月見里に言ってみたけれど、何基準で選ばれているのか分からないから何とも言えないと言い返されて確かにそうだと思った。残り99個は一体どこにあるのだろう。


 湧き水を貯めているところにコップがあったので、手に取ってみるが持ち手が外れてしまって本体を掴もうとしたけれど粉々に崩れてしまった。


「悪い、コップで飲みたかったか」


「別に。そのコップで飲んだら。苔味がしそう」


「うおっ、気づかなかった」


 割れたコップの裏側を見ると苔がびっしりと生えていた。こんなものを口に含んだら、腹を壊す程度で済むだろうか。

 幸いなことに、竹筒には苔はないのでまだ安全な水ではあるらしい。


 月見里からコップを貰って、先に水を飲んだ。ちょっと甘いような気がするのは、名水の妙なのか。


 ひとしきりがぶ飲みをした後、空になっているペットボトルや水筒になみなみと注いでバイクへと詰め込む。


 生水は腐りやすいのでそれほど詰め込んでも仕方ないと思ったが、月見里が塩素を入れていっていく。どうやら、琵琶湖の家にあったものだ。月見里はいろいろと考えていてくれたらしい。


 バイクと自分たち二人に水が詰まった頃に、ほくほく顔で次なる看板へと発進。


どうやら次は宿というところに行くそうだ。二桁ぐらいの距離にあるらしいけれど、これぐらいしか標識が読み取れなかった。


それと矢印の導きのまま進む。運良く道はまだ続いてくれていた。


「あっ、川だ」


月見里が指を指す。山を抜けると大きな川が生まれる。もし道が無くなっても、川がある。


 電柱に引っ掛かった看板も同じ方を指していた。運が良いことにまだ自分の目の先にはひび割れた道が続いていた。


「笹」


「柵」


「草」


  だから、自分たち二人はしりとりをしているのである。

 自分は「さ」で対抗しているが、月見里は「く」で対抗してきた。


「さ、サルミアック」


「くく、草!」


「それずっと前に言った!」


「ああ、じゃあ、クリスマス」


「ふふ、ようやく崩れたね。すげがさ」


「クソ、散歩!」


「ポーランド=ハンガリー三重王国!」


まるで牙城が崩せない。さで終わるどころか、さから始まる言葉を必死に探っていると、標識のなんとか宿が後1kmを指した。


「もうすぐ、着きそうだな。そろそろ警戒するぞ」


「分かった。着いたら、クから始めてね」


「分かった」


 そうして、1kmから0になったころに、なんとか宿はフルネームで姿を見せた。


「ツマカゴヤド?」


妻籠宿(つまごじゅく)だって」


「嘘だろ。そんな風に読むのか?」


「うん、標識に書いてあった」


「あのローマ字みたいなやつ読めるのか?」


「ちょっとだけなら」


 謙遜で隠せないほど、胸を張る月見里。これは順調な旅だなと思いつつも、そこに入ってみると途端に頭が混乱する。


「宿じゃないのかここ?」


「すごく古い――家?」


 並んでいるのはよく見る豆腐みたいな形をしたホテルではなく、自分たちが今まで見てきた木造家屋よりもずっと古そうなものが両隣に沈殿していた。


 沈殿していると思ったのは、植物に埋もれているのもあったが、どれも松の木のような深い茶色をしているからであって、中央を走るアスファルトの道路が違和感を覚えるほど古めかしいものばかりだったからである。


 それがずっとどこまで続いているように見えるけれど、薄っすらとした青空と道の広がる先に山がぶつかっていて行き止まりがあるように見える。


「歩いてみる?」


「ああ、そうだな」

 

 なんだか気になって、バイクをそこらへんに止めさせておいて月見里と二人歩く。用心のため、拳銃を差したままにしたが、それが邪魔だと思えるほど酷く静かなところであった。


「これもあの昔の時代のやつか?」


「ううん……多分もっと新しいと思う。戦国時代の人はそんなに文字読める人いないから、こんなに文字とか書いてない」


「そうなのか……」


 どれ一つとっても目新しくも古めかしい建物群。


 時代劇でしか見たことのない提灯の抜け殻に、なんとか屋とか炭と筆で書かれたような味のある看板。タイムスリップしたかのようであった。

 残念ながら、月見里の好きな時代ではなかったようだが。


「こういう建物は好きなのか?」


「うん、嫌いじゃない」


 それなら、何よりである。少しだけ、気持ち程度、月見里の口元が上がっていた。


 ずっと歩いていると、本当に時を遡ったかのように石畳が現れた。苔に浸食はされているけれど、ひび割れもしておらずこっちの方が新しいのではないかと思うくらい状態がいい。


 時折現れる看板には、何か書いているかもしれないが判別出来ないぐらい擦れているのでもう分からない。


「ここなんだったと思う?」


「妻籠宿っていうんだから宿場じゃない?」


「昔の人って、こんな山の中に来るんだな」


「うん、内陸部まで暮らしてたんだって」


「嘘だろ。こんなところまでか」

 

 家があるので全く不思議ではないが、これほどまでに山に囲まれてビル一つの痕跡さえないところに住んでいるのはとてもじゃないが想像が出来なかった。


 だが、別にいてもおかしくないと思う自分もいる。それが確信めいたものだと思うのは何故だろうか。


 きっと、目の前にこうもはっきりくっきり見せられているせいなのだろう。右も左もぎっしりと詰め込むように立ち並んでいるので、たくさんの人でひしめき合っていたのだ。多分。


「綺麗なところだな……」


「うん」


 ぼんやりと景色を眺めていると、馴染みのあるものがあった。


「掲示板か?」


 これを初めて見た時、学校の黒板がなんでここにあるのだろうと思ったものである。今見ていると学生時代のことを思い出す。よく人に迷惑をかけていた。今も一人か大勢かの違いでしかないが。


 ようやくここで懐かしいものを見れた。ただ、やはり周りの景色とアンバランスすぎて感慨深くはならない。何といえばいいか、悪目立ちしている。


 だから、なんとなしにでも覗き込んでしまう。掲示板には何かを主張するかのように様々なものが張り付けられている。

 何かイベントごとやらゴミ捨て日とかいろんなものが張り付けられているが、霞んだ日付を見るともう何十年も前のものである。

 

「あっ」

 

「どうした?」


「川でホタルが見れるって書いてある」


 月見里が指さしたものを見ると、霞んで見えずらいが子供がクレヨンで描いたようなイラストともにホタルを見ようの会と銘打ったポスターが片隅に張り付けてあった。


 川というのは、きっとここに来る前に渡った川のことだろう。溺れ死にそうになった川よりも広くてずっと長くて速かった。


「あの川、あれが最上川なのか」


 その様子を見て、集めて早しの最上川を思い出した。五月雨が何かは分からないが、川を挟むように連なる山を養うくらいなのだからきっと凄いのだ。


「最上川は東京よりも北の方にあるから違うと思う」


「そんなところにあるのか!?」


「うん、これからずっと先に進んでいかないと無理」


「そうか……」


 行ってみたいけれど、そこまで物資はもたないだろう。そもそも道はあるのだろうか。


「行ってみるか?」


「……。ううん、別に。それよりも、これ――」


指さしたのはやはりホタルのポスター。先日、ホタルを見ることを約束していたのを思い出した。


「そうか。そうだったな。今日はホタルの日だ」


「うん」

 

 だが、まだ夕焼けにもなっていない空なので、ホタルを見るもクソもない。まだ妻籠宿は続いている。


「ひとまず、今日の宿探し含めて、暗くなるまで散策してみるか?」

 

「蛍がいる川も下見したいから良いと思う」


「そうか、行ってみるぞ」


「うん」


 道はいまいち分からないが、このまま真っすぐ歩いてみることにした。道中、地図が載った看板があったが、どれも数十年前に戻らない限りは絶対読み解けない。

 ポスターの下側に地図が書いてあったのでそれを頼りに出来るだろうか、月見里が引きちぎって持ってきているので彼女の案内任せだ。


「このまま真っすぐ行くのか?」


「地図にはそう書いてる」


 適当に歩いていても、真面目に歩いていても、やはり終わりがあるもので家屋がまばらになったと思ったら、すぐに森になった。だが、道らしい道は続いているようである。


 月見里の地図もそちらの方面に差しているみたいで、まだまだ終わらないらしい。

 鬱蒼としかけた森の中で倒木相手に斧を振り回し続けたトラウマが蘇ってウンザリするが、それも多少蔦が足にからむなと何十回か払いのけた後に終わった。


「線路か」


 断ち切るように線路があった。一瞬、倒木がそんな形に見せているのかと思ったが、盛り土に砂利にそれ以上に枕木と鉄のレールで組まれた線路がずっと森の先に続いているのを見て決して錯覚ではないようだった。


「ここに来るまでもあったよね」


「まあな、これずっと山の方に伸びてるのか……?」


「……明日は、ここを通るの?」


「ああ、いや、本当に人が住んでたんだと思ってな」


 線路は連なる山の方へ続いている。奥側を見ていると曲がっているので川方面に行くのかもしれない。ただ、山の方にずっと続く道路を見つけた。

 なんだか、ゲームでダンジョンを見つけた時のような気分になった。向こう側にも人が住んでいたのだろうか。


 しかし、そんなことが分かったとしても、一体何になってしまうのだろうか。


「そっちの方に行ってみる?」


「いや……今はいい。楽しい旅だ。このままホタルの川まで行ってくれ。今はそっちを楽しみたい」


「わかった」


 そういうと、一歩前を歩いていた月見里がこちらの隣まで来て、地図を見せてくる。


「地図を見ると、多分このまま真っすぐ行ったあたりの――あの突き当りを右に曲がればいいって書いてある」


「そうか……川って左側に――」


 ふいに、手を掴まれた。月見里のまだまだ小さな手があった。


「蛍は大きな川にいないんだって」


 なんでもないことのような表情をする月見里。驚きはしたが、胸騒ぎは起きなかった。

 

 いや、今更な話である。今まで何度も手を掴んだことも、抱きしめたこともあるのだ。


「……」


 ふいに離れそうになった月見里の手を、握り返した。


「ホ……ホタルは大きな川で泳いでいるのかと思っていた」


「……多分、それはホタルイカ。海に行かないと見れないと思う」


「ほんとうか、あの見てくれで魚の仲間なんだな」


「……そう。変だよね。フフ」


 面白そうに笑う月見里。きっと、こちらが何か間違ったことを言ったのだが、面白可笑しく笑ってくれるなら何でもいい。


 そのまま手を繋いだまま、歩いていくと丁字路。月見里の地図にも載っているらしく、なぞっていく形で右へ行くと森があった。


 地図には田んぼみたいなものが書かれていたが、もう無くなって久しいのだろう。


「ズボンは問題ないか?」


「問題なし。そっちは大丈夫?」


「ああ、後は祈るだけだ」


 きっと、森の中にあるのだろうと思うが、森の中に入るときは肌はちゃんと隠しておかなくてはならないという教訓をこの旅で得ている。ヒルや虫に刺されたら、誰だって思い知らされるのだ。


 背の高い木の生えそろうところなので視界はそれほど悪くはなく、中に入ってみると水が流れているのを見つける。


「これか?」


「うん、多分。これ?」


 見つけたものに指を指して確認してみるも、どのように見ても溝のようにしか思わなかった。


 片足を突っ込んだら水がせき止められそうな幅で、それが山から大きな川の方へと続いている。よく落石に潰されることもなく生き残れたものである。


「こんなところにホタルが住んでるのか?」


「……そうだといい」


「――まあ、また夜に来るしかないな。下見は出来たらいいだろう」


「うん」


 何とも言えない微妙な不完全燃焼感を抱えながらも、妻籠宿に帰る。とりあえず、場所が分かっただけでも、よかった。


「帰ったら、先に飯でも食うか」


「うん」


 森を抜けたころには、もう夕焼けになりかけている。さてさて、食糧はどれくらい残っていただろうか。

 


 帰った頃にはすっかり夕方になっていた。


 今から飯を用意するのは面倒くさいが、今日は家の中で寝れるのでゆっくりは出来そうである。

 ちょうど宿と付いているのだから、都合がいい・きっと、最初で最後に出会う歴史的建造物に泊まれると思うと、嬉しい気持ちがあった。


「どの家がいい?」

 

 しかし、月見里の方が歴史好きである。選ばせるのは彼女にやらせてしまおう。

 月見里も薄っすらと笑って。どれにしようかなと指を並ぶ家に次々と指していく。


「ここ……ううん、これにしたい」


 最後に指していた家を飛ばして、褪せた暖簾のかかった家を指す。なかなかに立派だが、肝心の暖簾に蜂の巣のような穴があいていて何だったのかは分からない。


 暖簾というと大抵は飲食店なので、「大将やってる?」のノリでうやうやしく暖簾をかき分けて中に入る。

 月見里も真似しようとしていたが、残念ながら暖簾をかき分けるにはまだ背が低い。


「うわぁ、時代劇みたい」


 それが月見里が入った時の第一声だった。


 広々とした岩の床の玄関。そこから上る形で畳の広がる広間があって、その中央に鍋が吊りさげられていた。


 どこに続いているのだろうと上を見上げてみると、天井が結構高い。外から見た時には2階建てかと思ったが、2階があるかわりに三角の屋根の形をした高い天井があって、それと境目を作るように梁が井の形で組まれている。

 雨戸で締め切られているが、それほど暗くないのは天井にある小さな穴があるからだろうか。

 

 残念ながら、時代劇をあまり見たことがないが、どこか既視感があって合点がいった。畳の臭いに、鼻を撫でる埃の臭い。あの風呂を入るのに通っていた家も、結構古い建造物だったのだ。


「あたりを引いたな」


「うん。先上がるね」


「おい……まあ、いいか」


 興奮気味の月見里は、はやばやと靴を脱いで、飛び跳ねるように畳へとダイブ。そこ汚いぞと注意しかけたが、こちらから見る限りは少し色がくすんでいる程度でまだマシな状態に見える。


「あんまり隅っこには行くなよ。ゴミ溜まってる可能性がある」


「ふふ、わかった」


 そう返事をするも、月見里は泳ぐように手足を動かしていた。どうやら、畳で飛び跳ねたのは魚だったようだ。


 大丈夫だろうと周りを見渡してみるが、どこを見ても障子ばかりがあって、手入れするのが大変だっただろうな昔の人の気苦労を感じられた。

 外から障子が見えなかったのは雨戸があったせいだろう。こういう長年放置されている木造家屋というのは動物に荒らされることが多いが、その形跡が見受けられないのであってよかったと思いたい。


 自分も靴を脱いで畳の部屋に上がってみる。どれもこれも昔に漬かっているような状態で、個々の住人は相当大事にしていたのだと思う。だが、どうして真ん中に鍋が吊っているのだろう。


「これ何かわかるか?」


「囲炉裏じゃない?料理とか作ったりするところだと思う」


「なるほど……」


 道理で鍋の下には畳が無くて、灰だらけだと思った。枯山水か何かだと思っていたが、どうやら違ったらしい。


「今日はこれで料理してみるか」


「それ、私もやってみたい」


 月見里が泳ぐのをやめて立ち上がり、魚から人間になった。料理を作る際にはよく手伝ってもらっているが、今回ばかりは食いつきが良い。

 よくわからなくても時代物。鍋も年季の年輪が見えるほど古めかしいものなので、そんなものに触るのが嬉しいのだろう。


「悪いな。じゃあ、鍋にアルコールでも吹きかけて洗ってくれ……ああ、クソ、捕まえた。頼む。俺は薪を取ってくる」


 そう言って、こちらは難産ながらもアルコールをポケットから取り出して、手渡した。最近は、いろんなものが漬物になってしまう。


 いってらっしゃいと月見里に言われ、バイクから薪と食糧をひったくって帰宅。いろいろ落としたものを、月見里に拾ってもらいつつ、囲炉裏に薪を投入。


 月見里が事前に鍋を取り外してくれたおかげで、そのまま薪を落とすことが出来たが、高い位置から落としたせいで灰が鼻腔と月見里の顔面に直撃。


「ゲホッ、ゲホッ!」


「もうっ!ゲホッ!位置エネルギー!」

 

「おうっほっ!スマン……!」


 ひと悶着ありながらも、2人で水をわけあって顔を洗い、気を取り直して薪に火をつけてみる。ずっと野ざらしにしていたおかげか、マッチ一本の火種で煌々と燃えた。


「今日は何にするの?」


「まあ、スープでいいだろ」


「またあ?」


 月見里が不平で眉を歪める。一緒になってレシピ本を読み漁ったものだが、材料が無さ過ぎてこれ以上のものが作れないのでしょうがない。もうスイートポテトは繰り返したくない。


「悪いな。いいのがこれ以上思いつかないんだ」


「……私も思いつけないから、それで諦める」


「じゃあ、闇鍋と行くか」


 何が出るかはお楽しみ。手を突っ込んで何度か底に触れ、缶詰2つを取り出した。


「なにでた?」


「コーンとほうれん草」


「――また?」


 なんとも不服そうな顔をする月見里。2日間隔で同じものを食べているから無理もない。


「これが一番数が多いからな。諦めろ」


 塩コショウかけたら、旨くなるだろと元気づけてみるが、仏頂面から変わる気配はなし。そもそも自分はガチャ運がすこぶる悪いのだ。


「明日は、月見里も引いてみるか?」



「……それはいい。ずっと引いてて」


 その後、食料の入った荷物の方に目を向けて何かを言いかけたが、月見里は飲み込んだ。


「ああ、そうしよう」


 当分はなと言おうとしたが、こちらも言葉を飲み込んだ。言ったって仕方がないのだ。


「まず水をいれるぞ」


「うん」


 鍋の中に水を入れて、ほうれん草とコーンを投入。野菜のるつぼである。ここに塩コショウを振りかけたら、個性豊かな旨いスープの完成。個性豊かではないが、旨いスープの完成。


 しかし、月見里は微妙そうに眉を曲げたまま。自分も少しだけ苦く笑っておいた。

 自分もスープ以上の料理が作れたらよかったのに。いや、スープだからどう作っても美味しいのだろうと思う自分もいるが、これを言ったら月見里がますます不機嫌そうになるので口を閉じておく。


 無言の中で、ぐつぐつとスープが踊る。


 後は待つだけである。冷たいのか温かいのか温いのか微妙な空気感の中、少しだけ寒くなったと感じたのは外が暗くなったからだろう。光もなくなって残った囲炉裏の火をじっと見つめた。

 

 火にはいろいろ思い出がある。だから、自分の胸に氷とお湯が一斉に入ってきた気分になっているのだろう。


 楽しい旅だ。旅を始めて森の中入っていた時、料理をしようと生木を燃やしたのが懐かしい。

 黒い煙にせき込んでいたのが、今では絹糸のような煙が立ち上って、香ばしい匂いと共に天井にある小さな穴のところから空へと抜けていく。そうか、あの穴は煙を逃がすためだったのかと、合点がいった。

 

 道理で煙たくなかったわけだ。別に躊躇して2本で済ませる必要もなかったようである。


 

「もう出来上がりじゃない?」


 継ぎ足しておこうかと思ったら、どうやらもう出来上がったタイミングだったようである。


「泡立ってるから、大丈夫そうか。ほら、お椀を貸してくれ」

 

「はい。均等でお願い」


「ああ」

 

 月見里からお椀を貰って、スープをよそいだ。以前、コーンを多めにいれたのをまだ覚えているらしい。その時に野菜の甘さは甘さじゃないと怒られたので、注意深くコーンとほうれん草を均等に入れていった。


「いただきます」


 合掌してから、頬張る自分たち。いつもながらの味である。


「缶詰そのままよりはうまいが、もう慣れたな」


「飽きた」


 言いすぎだけど、月見里の言う通り。初めて料理をしたときに、缶詰そのまま食べていたのが勿体ないと思っていたのが、今はどうでもいいと思えるぐらいには慣れ切ってしまった。


 それでも、まだ美味しいと思えるのは、暗い部屋の中で囲炉裏の火を頼りに食べているからだろうか。雰囲気も調味料だと東台が言っていた、気がする。


 だからか、パチリパチリと火が跳ねて、煙がゆっくりと登っていく風情を楽しむ前に、夕食は終わってしまった。

 腹に溜まったような感じはあるが、ごちそうさまと言いづらい物足りなさもあるのは確か。

 

 月見里もそれに引っかかってしまったようで、食べ終わったもののなんだか微妙な表情を自分に向けていた。


「金平糖でも食べる?」


「いや、それはいい。食い合わせが悪いだろ」


「それはそう。でも、食後のデザートには良いと思う」


「俺はコーンの甘さを口の中に残しておきたい」


「えー、なにそれ?」


 月見里はフフと微笑んだ。一ミリの説得もないただの冗談だったが、月見里は取り出そうとしていた金平糖をそっと仕舞いこんでいるのが見えた。


 月見里は普通に食べていいと思うけれど、きっと彼女こちらが食うっていうまで食べようとしないんだろう。金平糖でほろ苦い経験をさせてしまった。


「もっと良い時にとっておきたい。良い時に……」


 言っていてしまったと思ったが、これももはや仕方ないと思ってしまった。いくら隠そうが1になったのは結局0になるのだ。


 さて、果たして、0になるまでどこまで行けるのだろう。


「……うん」


 鍋に残ったスープを二人で分けて、ごちそうさまと合掌した。


 暗くて危ないので、皿と鍋はアルコールとティッシュで拭いて野ざらしにして、後始末は完了。その頃にはもう火が周りの光を吸っているかと思うほど暗かった。


 これぐらい暗ければ、一粒の光さえ見逃すことはないだろう。


「蛍を見に行くか」


 食後の怠さはあるが、ほっといても腰が重くなるのでいよいよと立ち上がって、玄関に下り靴を履いた。

 澄ました顔で飯を食べていたので、忘れてなかったらいいと思っていたが後ろを振り向くとランタンを持って機嫌の良さそうな顔をする月見里がいた。


 それでも、外へ出ると月光の乏しい暗闇で、飛び跳ねるような元気はどこへやら。トンネルの底のような暗闇に、月見里は体を萎ませていた。


 だから、自分は月見里の手を触った。一瞬、手を震わせていたが、こちらの手であることに気付いて握り返してきた。


「入ったのは右側だったから、左側に行けばいいのか?」


「――うん」


「わかった」


 言われた通り、進んでいってみる。あれほどまでに歴史深かった建造物が、もう何かもが炭のように真っ黒と濡れている。聞き覚えのある鳥の声だけが、親近感の拠り所だった。


 だからか、月見里はガチャガチャと揺れるランタンを気にすることもなく、こちらの手を握る力を強くしていた。きっとテゴでも動かないだろう。


 喋るぐらいの雰囲気にはならず、ずっと無言で明るいとき歩いた道を思い出しながら、ホタルのいるところへと向かう。

 ずっと暗いままで本当にいるのだろうか。半信半疑になった頃には、足元に線路の感触があった。もう半分ぐらいは来たようだった。


 突然の感触にヒッと月見里が小さく叫んだので、月見里の手を握り返した。彼女の手の感触が消えぬように。


 やがて、丁字路に行きつき、右へ進んで森の中へと入っていく。森が野太い声でささやくように震えていて、足の重さが二人分になった。立ち止まった方がいいのかもしれないが――。



「ここか」


「多分」


「ここからだと、ホタルが見えないな」


「……だね」


「……どんなのだろうな、ホタルって。空を飛んでケツから光を出す魚なんだろ?」


「プフッ、そんな魚いない。虫だから」


「は?じゃあ、もしかして、ウミホタルは泳げる虫なのか!?」


「それも違う。ウミホタルはイカで、ホタルっていう名前がついてるけど発光するからっていう理由だけだから、ホタルの仲間じゃない」


「……知らなかった。しかし、イカの方は分かるが虫がなんで光ってるんだろうな?天敵に食われるだろうに」


「交尾の為だって書いてあった」


「命がけなんだな」


「うん、でも、成虫になったらご飯も食べずに光って交尾する時期だからもう大人になった時点で命かけてる」


「はあ、省エネだ」


「うん。幼虫の時に蓄えた栄養だけで光ってるんだって」


「ああ、知らなかった。本当に命を燃やしているんだな。月見里にはよく学ばせてもらってる」


「本に書いてあったから……」


 ずっと歩いた。月見里の手を引いて、彼女のうんちくでいろいろなことを学んだ。しかし、褒めると、どこか気恥ずかしそうにしてて、全く謙虚な子である。自分も何か一個ぐらいは知識を蓄えて話してみたい。


 月見里から伝わる手の感触の重さが和らぎ、体に微妙な軽さを感じたころに、川のせせらぎが聞こえてきた。どうやら、終着点に着いたようである。


「ホタル……」


 でも、川の姿を捉えることは出来ず。その代わりに、光の粒があった。


 イルミネーションのような光が途切れることなく続いている。これが全部ホタルの光なのだろうか。


 緑がかった黄色い光が飛び回っていて、ポツポツと明滅して暗闇を照らたり戻ったり。その光景を見て、どうしてか絵本で見た妖精を思い出してしまった。 

 見知らぬ人間が入り込んできたというのに、にげることもなく、ずっと踊るように飛び回っている。 

 

 邪魔をしてはいけないような気がして、この場から離れようと思ったが、神秘的な光景に、このまま去るのも失礼だと思って、その場で固まる。


 もはや、こちらの姿が見えていないのか、光の玉が続々と増えていき、光の絨毯が伸びていく。ついには自分たちの体の周りにも湧いてきて、舞踏会の始まり。

 もしかしたら、自分を交尾相手だと思っているのだろうか。残念ながら、ここに立っているのは人間のオスとメスである。 


 だから、自分たちは観覧者として、ただただそれを眺め続けた。


 いつもあった光が急に無くなった。


「どうした?ランタンのオイルが切れたのか」


「人工の光はホタルの妨げになるみたいだから、消した」


「……そうか」


 そう安堵深い声で言った月見里の瞳には、ホタルの光が映っていた。ならば、十分すぎるほど明るいのだろう。

 月見里の緩んだ手を握って、ずっとそれを見続けた。


 ホタルの光が回り回り、ずっと必死に瞬いている。ただ番を求めるだけにこんな狂うように踊っているのだと思った。だからか、走馬燈のように見えてしまうのだろうか。


 ふいに、頭がぼおーっとして、鼻から何か伝うものを感じた。手で拭ってみると、それが仲間だと思ったのかホタルが手に止まり、光を明滅させる。


 ヘドロのような黒い血が鈍く光っていた。直後、首から頭が外れそうな酩酊感。


「……っ」


 堪えて、手を隠した。

 

「どうしたの?」


「いや、なんでもない。ホタルにうんこされた」


「うわぁ、汚な」


 ホタルの光は幼虫の時にため込んだ栄養を使っていると月見里から聞いた。


 ああ、だから、自分は走馬燈に見えたのか。ホタルたちは命を燃やしているのかと思うと、自分は親近感を覚えた。反面、月見里の楽しそうな顔を見ると胸がざわついた。


「なあ」


「なに……?」


「……綺麗だな。ホタル」


 月見里の顔が曇らないうちに、そう言った。


 ポイント付きそうなぐらい溜めたねと揶揄われて、自分も一緒に笑った。


「ねえ」


「……どうした?」


「ごめん、嘘ついた。ウミホタルはイカじゃない。甲殻類」


「なんだって?」


「ミジンコとか、カニの仲間。昆虫もどき」


「お前、嘘つきやがったな。お前ってやつは」


 そうだ。これは楽しい旅なのだ。最後まで。



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