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世紀末でも屑はクズ  作者: パクス・ハシビローナ
あうとおぶあす
72/89

褪せたフェンスの見えないぐらいまで 後半


「悪いな。月見里」


 自分の声が聞こえているのかが怖い。耳の中がずっとキーンと震えているせいで、声がくぐもって聞こえてきてしまう。


「――――」


 目の前にいる月見里は何を言っているのか分からないが、その表情からしてこちらを心配しているようであった。

 

 心配しなくていい大したことないと言いたかったが、両腕がたまらなく痛い。熱した針で刺されたような痛みがあって、血もダラダラと滝のように流れていた。


 

「――――っ!」


 消毒液を水みたいに掛けられ、悲鳴をあげる間もなく包帯でぐるぐる巻きにされて悶える。

それでもまだ真っ白い包帯から血が浮き出てきて、どうやら傷は深いようであった。


 そういえば、血がどれくらい流れたら人は死ぬのだっただろうか。

 自分はどこか他人事であるというのに、月見里は必死な顔をして止血をするのに躍起で、絞られた腕が痛い。


「もういい、月見里。もう大丈夫だ。」


「――だめ。もうちょっと待って」


 静止しようとしても振り払われ、包帯越しに腕を抑えつけられる。おそらく、血を止めようとしているのだ。


 正直、痛みが増しているが、それでも効果はあるようで、血の広がりがやがて止まった。耳鳴りも消えた。

 

「私も対処できるから、こんなこと止めて」


「いやだ」


 耳鳴りが消えた今。月見里の忠言をぴしゃりと叩き落とした。痛がる月見里を抑えつけて、治療をするのはごめん被る。


 しかし、悲しい顔をされて、目を逸らした。


「ありがとう」


「……ああ」


 悲痛な声でありがとうと言われる。もう少し、耳鳴りがあったらよかった。

 

 目を逸らしたまま返事して、苦く歪んだ頬を掻く。

 

「……それで、逃げる?」


「いや……これぐらい静かなところだ。もしまだいるなら、今頃チキンレースだろ」


「確かに」


 【あれ』2匹に不意打ちを食らわされて、銃で何度も撃った。それでも、落ち着き払ってしまえばまた静かな廃墟の中にいる。もうそれだけで十分である。


 そうとなれば、自分も月見里も落ち着き払っていた。逃げる場所はもうない。

 

「あれ、どうする?」


 そう言って、月見里が倒れた『あれ』を指さす。

首を折った『あれ』はともかく、もう一匹の方は頭に出来た穴から止めどなく血が出ていて床を汚していた。


 テントで寝ることも一瞬考えたが、やはり設営が面倒くさい。他にいい家もなく、選択肢はない。


「とりあえず、外に出しておくか。血が出てる方を先に運ぶぞ」


「うん」


 成人くらいの『あれ』であったため、二人がかりで運ぶこととなった。

 月見里に足を持たせて運んだが、頭の方は後ろまで貫通していたらしく、少しでも揺らすといろいろと出てきて処理に難儀する。


 えっちらおっちらと運び、庭らしきところに置いた。庭だと分かったのはレンガで囲んだ場所があったからである。

 おそらく、野菜を育てていたのだろう。棒が何本か刺さっていたがもう枯れてしまっている。

 

 とりあえず、そこに埋もれるように置いておいた。


 二匹目も枯れた作物の上に寝かせたら、もうクタクタで眠りたい。アドレナリンも切れてしまって、千本針につつかれるような痛みが両腕を駆けまわっている。


「大丈夫?」


「やっと、終わったな。さっさと家に入るぞ」


「……うん」


 つばでも付けて数日寝て起きたら治るだろう。今はさっさと寝ころびたい。家の方に戻ろうとすると、月見里に袖を掴まれた。


「これ。痛み止め」


「……悪いな」


 差し出されたのは久しぶりに見た鎮痛剤とペットボトルの水。もはや、それも貴重品である。

 

 そこまで酷くないからと遠慮しようと思ったが、真剣みのある表情をされてありがたく貰うことにした。 

期限は切れているからどれくらいの効くのだろう。少なくとも眠たくなるタイプの薬なのでタイミングはいい。

 

「お前、まだその銃持ってたのか?」


「うん……今は護身用だから」


 そういって、銃を前方へと固定する月見里。それでも、自分がワンワン泣いて縋ったのを思い出してしまう。忘れてくれていたら嬉しいが、こちらを見てにやりと笑っているので望み薄である。


「……弾はあるか?」


「うん、それは遊園地からあるだけ持ってきた」


「用意周到だな」


 これから、どれくらい『あれ』を見るのだろう。そもそも、数十年前に放棄されて立ち入り禁止にされていたはずなのに、どうしてこんなところに『あれ』なんていたのだろうか。


 その答えも分かるわけもなく、家の中に入る。もしかしたら、この中に答えがあるかもしれないと思ったが、解明したところでどうにもならない。


 床にべっとりと血がついていたので、靴のまま入ることにした。それを洗ってやるほど、気力はない。一瞬、東台を思い浮かべて、妙に寂しくなった。


 月見里に東台がここにいたら良かったなと口から出そうになって、寸前のところで止めた。


 奥に入るとやはり見たままの木造家屋。床も天井も壁も赤みがかった木の板で張り巡らされている。


 ギシリギシリと床の悲鳴を聞きながら、中へと進んでみる。天井に雨漏りのあとがあって、ところどころにバケツや鍋が置かれてあった。

 壁を見れば、かさぶたみたく木材板を打ち付けているところも多々あって、家の崩壊を必死に止めようとしている痕がある。

 

 彼らは最近まで人間だったのだろうか。

 それは分からなかったが、彼らがどういう人となりをしていたのか奥に行くほどよくわかった。


「富士山噴火…?大地震?なにこれ?」


 壁に貼り付けられた無数のポスター。月見里は訳が分からないという表情で、それを眺めて居た。


 手作り地震。電波G攻撃。ワクチンウイルス。聞いたこともない雑誌の切り貼りが壁に貼られてあった。

 どこかで耳にしたことのある陰謀論ばかりだが、見たこともないものもあって、まるで陰謀論の博物館のようである。

 

 月見里はどれを見ても、チンプンカンプンな様子でずっと首をかしげていた。


「陰謀論ってやつだ」


「陰謀論ってなに?」


「これからこんな悪いことが起きるぞみたいな、不安を煽ったりするお話だ」


「これって、本当に起きたの?」


「いや、起きてない。だから、陰謀論」


「こんなにたくさんあるのに?」


「ああ」


「変なの」 

 

 目に飛び込んでくるどれもスーパーのチラシみたいにでかでかと書いているくせに、どれ一つとも刺さった試しがない。

自分も月見里と同じように怪訝な顔をさらしていることだろう。


 結構、大変そうな人たちだったらしい。 


 こじんまりとした外観とは違い、意外と奥行きがあったらしく、見飽きた頃にようやく奥へとたどり着いた。どこもかしこも陰謀論に睨みつけられている。


 その中の一つ、まるでその長ともいわんばかりに、新聞紙が壁の真ん中に張り付けられていた。


 人口1000万人を割ったか。

 出生率0.1パーセントを下回る。

 平均寿命の大幅な低下。


 そんな言葉が堅苦しい文章で書かれていた分厚い新聞紙。


「これも、陰謀論?」


「いや……これは事実だ」


 新聞紙の隅に、どうせ1000万人もすぐに消えると粗野な文字で書かれていた。

 信じられやすい噓というのは真実も混ざっているらしい。


 残念ながら、まだ2人いる。そう経たないうちに、真実になってしまうのだろうなと、そう思った。


「もう食べるもの食べてさっさと寝るぞ」


「うん」


 そうして、いろいろと回った結果、一番隅っこの部屋に落ち着いた。一番落ち着きのある部屋だったからである。


 昔流行りのミュージック関係のポスターや、古いカレンダーに掛け軸。畳と共に生活感を押し込められたようなインテリア。

 ドアの隣に備え付けられた押し入れに布団があったが、黄ばんでいたので仕方なく寝袋を敷いておいた。畳の上なので地面の上で眠るよりかは断然良い。


 これで設営完了。やはり、室内だと楽だ。後は、宣言通りの夕飯だと、荷物を持ってキッチンへと前進。

 傷の映える銀色のコンロやら調理台やらシンクが壁付けに設置されたキッチン。寝袋を敷いた部屋とキッチンだけはごく普通なのが救いである。

 その垂直のところにあった冷蔵庫には、いろんな紙が張り付けられているがそれは見ないこととした。


「今日何食べる?」


「今日もガチャだ」


 えー、と不満の声を上げる月見里。仕方がない、運に任せた方がいろいろと考えずに済む。


 出来ればガツンとした味の濃いものがいいなと、願掛けていざ荷物へと手を突っ込んだ。


「サツマイモ……見なかったことにしよう」


 外れとばかりに、出てきたサツマイモ。いつものように、仕舞おうとすると月見里に止められた。


「それ、カビてない?」


「あっ、本当だな……クソ」


 月見里に指摘され、サツマイモをよく見ると縁のところに白っぽい綿が付着していた。あの忌々しい白カビだ。

 これに気付かずそのまま食べてしまい腹を壊したことは久しい。しかし、まだ腹の指で潰せるぐらいの大きさである。

 

「……まだ置いておいても問題ないよな」


「忘れた?前もそれやって、青色のやつも生えてきたじゃん」


 青色と聞いて、ようやくお腹の締め付ける痛みと共に、食中毒の恐怖を思い出した。

 青と白を一緒に食ったら中和できるんじゃないかと思って食べたら、一日トイレに篭る羽目になったのは久しい。


「取り除いたら食べられるから、今日のうちに食べとかない?」


 私も嫌だけどという締め括りをつける月見里。食料は文字通り有限である。食べたくないからと言って、貴重な食料をダメにするのは論外。



 そのまま食べるのも嫌なのだが、その時ふと料理本の存在を思い出した。荷物の底の方に眠っていたようなと宝探しの感覚で探してみたら、埃と共にそれが出てきた。


「これ、東台の……」


 月見里が少し不機嫌に唸る。東台から貰った料理本。馴染みのある紙の感触に、文字に、複雑な感情を抱えつつも開いてみる。

 サツマイモが主食だったので、東台の料理本には手ごろなサツマイモ料理のレシピが書いてあるだろうと探してみるが、なかなかいいのがない。

 

 パラパラと捲ってみるがあまり作れそうなものもない。ついには、しびれを切らした月見里と共に料理本を覗き見る。

 

「これサツマイモのごま味噌あえだって。これいいんじゃない?」


「ごまと味噌がない」

 

「じゃあ、ホウレンソウとサツマイモならどう?ホウレンソウの缶詰ならあったはずだけど」


「無駄遣いしているみたいで、嫌だ」


「この塩かけるやつは?」


「甘いやつに塩をかけるのか?溶けるんじゃないのか?」


「溶けないよ」


 やれやれと月見里の首を振られた。あーだこーだと議論を重ねたが、落としどころが見つからない。


 いや、いろいろ候補はあったのだが、自分の料理スキルとレシピの材料が無いせいで全部没になったのである。


「もう一個レシピ本があったはずだ」


 万策尽きてページも尽きたので、荷物の底の底の方にあるモールで見つけたレシピ本を取り出した。


 どうやら写真付きだったらしい、美味しそうな料理ばかりが載っていてお腹が空いてくる。ホットケーキにロールケーキに、ついデザートのレシピばかり見て月見里と二人涎を垂らしてしまう。

 

 お腹に穴が開くぐらい見てもひもじいだけなので、さっさとサツマイモのレシピに行こうとしたら、あるものに目が留まった。


「スイートポテト?」


 いつか見たスイートポテト。紫色の原型をとどめず、おかず用カップの中で琥珀色に丸く収まるそれ。

 

 もともと甘いサツマイモに甘いという単語が被るとは一体どれくらいの甘さなのだと、今更ながらネームバリューに困惑する。


「「――――」」


 二重になる腹の虫。それだけで今日作るものが決まった。


「とりあえず、レシピに書いてある調味料とか探してみるか?」


「うん」 


 しかしながら、芋と包丁以外レシピに書いているものが殆どない。月見里と共にキッチンの扉という扉を開くことにした。

 あの二人には悪いことをしているが、もうどうせ使う人間はもういないのだ。


「ピラーあったよ」


「おお、いいな。こっちには塩があった」


「しゃもじもあった」


「いいな、どんどん探せ」


 棚を開けていくと次々とレシピ本に見たものが出てくる。これなら、スイートポテトを作るのも夢じゃない。

 机に盛られる調理器具に、ちょこんと聳える調味料少々。今なら、一流のコックになれそう。


「バターはあるか?」


「ううん、ない。冷蔵庫にあるんじゃない?」


「冷蔵庫か……」


 あまり冷蔵庫にはいい思い出がない。一年目の時に何かないかと物色して、生活感ぐらいしか出てきたためしがない。冷蔵庫の内臓みたいなものが出てきたのは、今でもトラウマになっている。


 それは月見里も例外ではない。


「開けるぞ」

 

「うん」


 冷蔵庫を取り囲むようにして近づき、月見里がドアを掴み、こちらはテロリストを捕まえるようなスタイルでとにかく構える。


 月見里がこちらにアイコンタクト。とにかくバターみたいなものが出てきてほしい。


 そうして、一気に開かれた。刺さる激臭。


「くさっ!」


「だめだ、閉めろ!」


 急いで閉めたが、鼻に酸っぱい匂いが残っている。もしかしたら、良いものが入っているかもという希望を打ち崩せるぐらいの臭さである。

 

「何が入ってたの?」


「野菜のミイラと、何かヘドロだ」


「うへえ」


 月見里が顔を歪める。もうバターはないのが分かった。下らなく虚しい結果であった。


 しかし、月見里がハッとした顔をすると、頼もしくも荷物を漁り缶詰を出した。


「コンデンスミルク、使えばいい」


「そうか、なるほど!」


 確かコンデンスミルクは、圧縮したミルクだった記憶がある。結構甘かったはずなので、砂糖とミルク代わりになるだろう。これで月見里の金平糖を砕かずに済んだ。


「よし、早速料理だ」


 材料も揃い手にお玉と包丁を持ってみたが、あまり意味はない。月見里も別の食器を持っていたが、あまり意味はない。


「レシピだと、なんて書いてある?」


「皮むきしろだって」


 どうやら、月見里が持っていたのは意味があったらしい。両手に持っていたピラーの片方をこちらに渡して、勢いのまま二人皮むきに挑戦。

 こちらは持っていた包丁で、カビのところを取り除いておいた。


 しかし、どうして皮が剥きにくい。引っ張るほど重々しくなっていくかと思えば、急に空を切るようになって尻ずぼみ。剝けたのは薄皮一枚。


「これ包丁で剝いた方がいいんじゃないか?」


「もうケガはしてほしくない」 


「ああ……そうだな」


 月見里に灸をすえられる。いや、それでも、月見里も皮を剥けないだろうと思って覗いてみると、バナナと見まがうぐらいサツマイモを丸裸にしているではないか。


「それどうやったんだ?」


「コツは、あんまり押し付けないようにして、流れるように横にスライドする感じ」


「なるほど……やってみよう」


 月見里リーダの指導の下、皮むき。どうやら、サツマイモに効果抜群であったようらしい。ズルズルと鉛筆削りみたいに削れているではないか。


 調子に乗ってどんどん削っていくと、身まで削ってしまい月見里に「あーあ」と呆れた顔をされてしまった。


「今度はサツマイモ半月切り?、にして、水の入った鍋の中に入れる」


「なるほど」


 八つ当たりとばかりに黄金色になったサツマイモを切って、サツマイモをフライパンに入れて水を投入。水は自前だが、井戸があったので後で補充しておけばいいだろう。


 レシピによると、この後蒸すらしい。全く料理というのは蒸すのが大好きなものだ。


「これってどれくらい蒸すんだ?」


「竹串が刺さるぐらいだって」


「竹串ってなんだ?」


「さあ。刺さるっていうから、包丁でもいいと思う」


「いや、包丁は危ないからダメだ」


 多分、レシピ本で言っていることはふやけるまで蒸せということなのだろう。それなら、人体も切れる包丁を使っても意味がない。


「とにかく、待ってみるぞ。勝手に崩れるかもしれない」


「う、うん、それでいいなら。いいや」


 歯切れの悪い返事をする月見里。ひとまず、肩ひじついて芋がほぐれるのを待ってみるが、月見里とこちらが頬杖をするぐらいになってもまるで様子が変わらない。

 

「なかなか、崩れないな」


「……三分ぐらいだし」


「仕方ないちょっと確かめてみるか」


「うん――って、え!?」


 アルコールで手を洗い、鍋に手を突っ込んでみる。


「あ゛っづ」


 瞬間、刺さる痛み。声にもならぬ悶え声をあげて、手を引っ込めお腹に隠した。


「なにしてるの!?」


「っ!――水に刺された」

 

 こっちが刺すはずなのに、どうしてこうなったのだ。泡立ってない水だったのに、もう熱湯になっている。だから、どうりでカップラーメンが三分で作れるわけである。


 一人合点がいくと、月見里は不安と呆れがせめぎ合った表情を浮かべて、隠していた手を取られた。

 

「軟膏。液体は刺さないから、もう変なことしないでね」


 そうして、軟膏を塗られて、強めの声色で注意してくる月見里。そうなってしまえば、もうこちらははいとしか言うしかない


「ああ、悪いな」


  手がやけどしたはずなのに、顔が一番熱い。本当に恥ずかしいことをしてしまったと、顔から火が出そうだ。

 そんなこちらを見ないふりをしてくれたのか、キッチンの引き出しのあるところでゴソゴソと何かを漁っていた。


「この割りばしでいいと思う」


 そうして、月見里が割りばしにしては立派な木の棒で沈殿するサツマイモを刺した。


 ズブリと鍋の底まで突いていく。どうやら、上手くいったようである。


「次は水気を飛ばすんだったな」


「水気を抜くんだよ。文字通り、飛ばすわけじゃないから」


「なるほど、勉強になる」


 シンクにぶちまけようとしたフライパンを寸前で止めた。料理は生みの苦しみ。


「やっぱり、貸して」


 そう言われて、フライパンを取って、慎重にシンクへと水を流す月見里。


「水気が抜けたか?」


「多分?終わったら、お好みで裏ごしをしてくれだってさ」


「裏ごしってなんだ?」


「さあ?裏ごしに見るとか?」


「なるほどな」


 そうして、月見里からフライパンをもらって、それを裏から見てみる。いつもよく見る、銀色である。


「何も見えないな。月見里、何か見えるか?」


「……傷とか?」


「裏ごし完了だな」


 天才とバカは紙一重というが、これをすることによって美味しくなる先人の知恵的なものがあるのだろう。


 料理は深い。まるで料理に覗かれているようだ。


「次はなんだ?」


「バター、砂糖、生クリームの順に加えて、弱火で水気を飛ばしながら混ぜろだって。材料ないから、コンデンスミルクで代用」


 そういって、コンデンスミルクのすべてをぶちまける月見里。黄色かったものが白濁としたものに変わる。そして、コンロを弱火にセット。


 これ本当に代用になるのかと不安になって覗いていると、月見里が唐突にそれに指を指す。


「ぶっかけみたい」


「やめてくれ。食欲が失せる」


 いやなものを連想してしまった。かき消すようにしゃもじでそれを混ぜる。写真と違って、なんだか白っぽい。


 また嫌なものが実態をもってやってくる前に、混ぜた。完全に掻き消すまでやると、しゃもじから伝わる重みが軽くなった。

 

 よく見ると、ゴワゴワしていたそれが滑らかなものになっているではないか。しかし、これでよく混ぜたことになるのか判断に迷っていると、月見里がじっとりとそれを見ていた。


「おいしそう」

 

 よく見ると、よだれを垂らしている。これで完成でいいだろう。


「卵黄を加えて、また混ぜるんだって」


「ない、次」


「次は……手で触れるぐらいの熱さになったら。小判型に成形するって書いてる」


「そうか、じゃあ――」


「もう指は突っ込まないでね」


 ハエ叩きみたくピシャリと月見里にそう言われた。


「じゃあ、待つか」


「うん」


 また二人頬杖をついて、何分か待ってみた。


 しかし、冷めているかどうか分からない。


「どうやって、確かめる?」


「ん、それは任せて」


「おま――危ない」


 月見里はそう言って身を乗り出したので止めようしたが、そのままフライパンに載せられているそれに触れる月見里。急いで離そうとしたが、月見里から悲鳴がない。


「大丈夫。触ってないから」


 よく目を凝らしてみると、付くか付かないかの距離が空いているようで、胸をホッとなでおろした。


「それで分かるのか?」


「うん、湯気の熱さで分かると思う――ぬるいから、これくらいの熱さなら大丈夫」


「さすがだな」


 そして、触るのはこちらの役目である。再びアルコールを手を洗って、それをつかみ取ってみた。月見里の予想通り、ちょうどいい熱さである。


「よし、これで小判型か」


「うん、みたい」


 まあ、それぐらいなら簡単だろうと二人で握ってみる。なんだか、生温かくてフニフニしていて、おもしろい感触をしている。


「だめだな、こりゃ」


 出来たのは、握りこぶしの形。ここからどうやって小判型にするのだ。


 月見里の握りこぶしの方が可愛げがあるだろうとみれば、立派な小判型が鎮座していた。こちらの視線に気づくと、そのまま威風堂々と胸を張る。もっと張ってもいいと思う


「すごいな。どうやったんだ?」


「こうやって、掌の中に空気を含ませるようにして握れば、出来る」


「なるほど……空気か」


 試しにやってみるが、大きめの握りこぶしが出来た。


 それでも、何度か握りをやって、多少のコツがつかめたころに使い切ってしまい。お手製の空気入り握りこぶしと、小判が仲良くキッチンペーパーの上に並べられる。


「これで完成なのか?」


「ううん、オーブントースターで20分ほど焼けってさ」


「オーブントースター?」


「電子レンジみたいなやつだと思う」


 ああと合点がいったが、そんなものはもちろんない。


「とりあえず、焼けばいいんだよな?」


「ううん、多分?」


「それなら、フライパンで焼き続けたらいいだろう」


 それもそっかと月見里。もう一度、フライパンに戻して、強火でセット。若干強引に入れてしまったので、文字通り山がフライパンの中にできている。


「これで20分か」


 月見里と二人じっとりと眺めてみる。だが、何もしない20分。頬杖付いて待っているのさえ苦痛なほど、その時間は長い。


 隣を見れば、月見里も目を開けたまま気絶をしているようだった。


「一回外出るか?」


「うん」


 見る景色ぐらいは変えたい。耐えられなった2人、外へと出ることにした。

 再び陰謀論のトンネルを抜け玄関を出て、元菜園を通り抜けて、琵琶湖の見える裏手へと出た。


 夕方。水平に出来る限り遠くへ続いていく湖は陽に染められている。向こう側に何かあるのだろうか。

 しかし、初めて見た時と同じく苔むした建造物群しかなくて、期待をこめられるものでもなかった。


「あそこには何があるんだろうな」


「あんまり興味ない」


 月見里も同じく、下らなさそうな顔をしている。不機嫌そうに眉を曲げだして、海を見た時と同じ眉になっていた。

 ああ、そうだった。どこまでも続く海を嫌っていたのを思い出した。


「とりあえず、明日はこれから離れてみるか」


「……うん」


 そうして、指を指してみる。琵琶湖を逸れるとしたら、その向こうはまた山だった。

 またあの未開の地へと入っていくのか、出来る限り山の方に入らないルートにしよう、そう心に誓った。


 そんな面持ちを察されたのか、指先が遊んでいたせいか、月見里は微笑を浮かべた。


「そんなにすぐ離れなくてもいい」


「悪いな」


 出来ればもう土砂崩れの道を上りたくない。木も伐りたくない。


「出来る限り、楽しそうな道を走ってもいいか?」


「うん、旅は楽しい方がいい」


 どうせ、あてのない旅。最後ぐらい楽しんでもいいだろう。


「ありがとう」


「いい。あての旅をするって一緒に決めたから」


 そういう月見里の声色には覚悟の色が含んでいた。


 それにただただ無言で頷いて、いつものように目の前の景色を見た。相も変わらず波がなく、穏やかで大きな水たまり。


 もしかしたら、すごい昔に隕石が落ちて出来たのかもなと適当な話をしようとしたときに、後ろから異臭があった。

 月見里も気付いたのか、後ろに向けて鼻をヒクヒクさせていた。


「焦げ臭くない?」


「あっ!まずい!多分、スイートポテトが焦げている!」


「えっ!?」


 もう二十分たったのかと、走る。玄関で親指ぶつけたのも気にせず、キッチンに戻ると黒っぽい煙が充満していた。

 急いでコンロを消すと、変わり果てたスイートポテトがあった。


「ゲホッ、ゲホッ。どうだったの?」


 追いついた月見里が、キッチンの窓をあけながらそう聞いてきて胸が萎む。


 それでも、事実は変わるわけがなく、仕方なくフライパンの中の惨状を見せた。


「黒焦げた」


「え?」


 月見里の驚く声が耳に響く。それに似合った表情を浮かべる月見里がのぞき込むようにしてそれを見た。


 しかし、月見里はいつも冷静沈着である。鑑定人のようにじっくりとそれを眺めると、一瞬で落ち着き払った表情に戻る。


「……まだ食べられそうなところありそう」


「本当か?」


「うん、上側の方はまだ黄色いのが大分残ってる」


 これが不幸中の幸いというところだろうか、確かに積み上げていたものは焦げているところはあるものの美味しそうな黄色を放っている。

 しかし、本当に食べられるのだろうか。


「分けてみるか。皿を頼む」


「うん」


 出来てしまったものは仕方がない。混ぜるときに使っていたシャモジでそれぞれの皿に盛り付けることにした。


「私にも焦げたやつ、ちょうだい」


「腹壊すぞ」


「それ全部食べたらお腹壊すじゃん」


「……ちょっとだけだからな」


 自分のところの黒い塊を一つまみ分、パラパラと隅にふりかけてみたがあまり納得はいってなさそうであった。

 しまいには、自分から取りに行って、ちょうど半々になった。


「だめだったら、ちゃんと残せよ」


「わかった」

 

 胃袋の大きさ的に、月見里の方が多いのではないだろうかと指摘したいが、何のこともないような顔をしているので喉の奥に引っ込めた。


 それほどまでに減らされたというのに、どうして黒い方が勝っている。


「い、いただきます」

 

 二人、覚悟を決めて合掌。


 好きなものを最後に残すたちなので、黒い方を口に含んだ。


「うっ」


 バリバリという固い感触から、ジャリジャリと砂利みたいな感触になる。味はもう炭そのもので、途中から砂になった。

 月見里も似たようなタイプなので、口からジャリジャリと音が漏れている。


 ジャリジャリ。ジャリジャリ。俺は虚無を食っているのか、そうだったらどれほどよかったか体に悪そうな苦みが口いっぱいに広がって、舌がもう味わいたくないと拒否している。


「ダメだ、吐き出せ」


 もはや、食い物じゃない。降伏宣言で、白いキッチンペーパーに吐いた。


「ふぅふぅ、ふぅふぅん」


 ダメ、吐けないという月見里。仕方なく、彼女の口元にキッチンペーパーで塞いで吐かせた。まだ味が残っている。このままいけば舌が炭になったのではないか。


 口内から飛び出した月見里の舌は、とてつもなく黒ずんでいた。

 

「うぇ、まずかった」


「こんなの食ったら、寿命がいくつあっても足らん」


 二人で水を飲んで、口内をリセット。


 そして、いよいよ黄色い方を口にしたが――、


「うーん、うん」


 月見里の言葉の通り、なんとも言えない味がした。決して不味くはないが、雑な甘さが多分にあって、そこに薄いサツマイモの味。辛うじてデザート成分のある味。


 なんというか、手探り感のある味がした。


 少なくともいつものサツマイモの味とは一味違う。だから、バクバクと食えているのかもしれない。

微妙な顔を並べて、食べたのにも関わらず、あっという間に皿にあったものは黒い塊だけになった。


「「ごちそうさま」」


 ちょうど月見里も食べ終えて、2人で合掌。食べ終わると多少なりとも満足感があった。これが新鮮な味だったのだと思っておこう。


「じゃあ、片付けるか。鍋を洗うから、月見里は皿を頼む」


「うん」


 しかし、缶詰と違い、食器を洗うのが面倒である。キッチンにある洗剤とスポンジを拝借して、フライパンを洗う。

 底の方に炭がこびりついていたが、なかなか取れない。

 

 月見里にも皿を洗うのを手伝ってもらい、黒い塊を暗くなった外にぶちまけて食器洗い完了。

 いまだこびりついている方は、とりあえずフライパンと色が一緒なので放っておくこととする。


 ひとしきり作業が終わると、月見里が不快そうな表情を浮かべて、口元をいじっていた。


「まだ、じゃりじゃりが残ってる」


「ああ、俺もだ。さっさと歯磨きするか」


「うん」

 

 部屋に戻って、歯ブラシを取り出し、洗面台のところで鏡を見ながら2人で歯を磨く。

 

 ジャリジャリという音が口元でなり、微妙な笑みを並べた歯磨き。終わって、部屋へと戻った。もうすっかり暗くなったが、オレンジ色の光が後ろからついてきているので無問題である。


「明日って、早い?」


「いや、分からん。適当な時間に起きてくれ」


「分かった」


 微妙な満腹感を抱えて、寝袋を被った。畳の柔らかい感触に心地の良い眠気に誘われる。

 まだ推定スイートポテトの味が残っているが、そんな悪い気もしなかった。


 余韻を楽しんでいるともうランタンの光も消され、外の月と星の光だけが窓から差し込む。


 月見里はおびえた様子もなく、穏やかに声をあげた。


「ねえ」


「どうした?」


「ちょっとおいしかったよね」


「そうだな……」


「だから、また作りたい。一緒に」


「ああ」


 月見里の声も、自分の声も微睡んでいる。


「おやすみ……」


「おやすみ」




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