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世紀末でも屑はクズ  作者: パクス・ハシビローナ
らすとおぶあす
66/93

今回も短めです。皆、読んでくれたり、ブクマしてくれてありがとうやで。



 さざ波の、堤防を越えた先にあるそれが五月蠅いと思うくらいに静かなところに取り残された。

 さざ波といっても、白い泡が出るほどの波でもなく、波紋が浮くぐらいの静かな様子である。確か、これを凪というのだっただろうか。


 人というのは、混乱したとき、やけに冷静になって別のことを考えようとするのはなぜだろう。


「どうする?」


「……いやな」


 困惑する月見里に、どうすればいいんだろうなと聞きたくなったが、オウム返しみたいなことをしても仕方がないと代わりの言葉を探してみるも出てきたものが言葉にならなければどうしようもない。


 東台は一人だけすっきりしたような顔をして、じゃあねとそのままどこかへ行った。。

 後ろ髪掴むことさえ叶わず、東台の姿が小さくなってどこかの角へと消えていくまで、こちらは手を伸ばしたまま何も言えなかった。

 どこにも自分の感情が入る余地もなく、今も漠然とした感情にもならない半熟なものが自分の頭を占めていた。


「東台のところ、いく?」


 しかし、東台を追いかける気にもなれない。こちらは首を振った。


「いや、やめておこう。東台も自由――時間って言ってたか」


 返しつつも、言っていて違和感を覚える。東台を追いかけた方がいいんじゃないだろうかと常識的な考えが頭に浮かぶが、それでもそちらの方へ足を向けたくはなかった。

 あのカラカラと抜けた笑顔をした東台を目の前にして、その後俺は一体どうすればいいのかと。


 前は水平線の見える海、後ろに浮世離れした建物群。しかし、ここでずっと静止できるほどの度胸もない。 


「だね」


 月見里がこちらの答えに異を唱えることもなく、首肯してまた沈黙。2人海を眺める。


 青く澄んだおそらく穏やかな海。それをずっと見ていたいが、ざあざあ波が迫ってくるような気がして、圧迫感を覚える。

 いや、そんな穏やかなものに圧迫感を見出しているのは、昔行った海水浴の記憶のせいだと思う。熱く怠い日に、誰と行くでも一人で行ったあの海水浴。

 勢いで行ったはいいものの、少なくとも自分の性質に一つも引っかかりようがないような人々に紛れて何かこう青春の一ページともつく何かをするのはとてもじゃないができなかった。

 結局、自分は流されるタイプなのに、あれほど明るくワイワイと集まっている場に混ざることが出来なかったのだ。


 これならば、後ろに並び立つ街の中へと紛れたい。今なら混じれそうな気がする。

 

 月見里なら、海を楽しめるのかもしれない。少なくとも当の彼女は水平線をそれほど悪くない表情でじっと見ていた。ああ、そういえば、初めて海を間近で見ているんじゃないだろうか。この子は。

 


「海はどうだ?」

 

「そんなに嫌いじゃない。ちょっと変な匂いするけど」


「潮の香りか。俺もあまり好きじゃない」


 特徴的な匂いだけれど、これも記憶からくるものなのだろう。どうして、波の音が聞こえないほど騒げられたのだろう。正直、彼らがうらやましかった。

 フジツボと一緒に隅っこにへばりついていた俺は、当時と変わらずただただ波が引いたり押し寄せてきたりするのを眺めることしか能がない。


「東台が自由時間って言ってたよな?」


「うん、それは大丈夫」


「なら、海でなにかするか?」


「なにするの?」


「ちょっと、海で何かをだ」


「海でなにかしたいの?」


「ああ、いや……考え中だ」


「……それなら、遊ぶ前にちょっと街を探索したい」


「そうか」


 どうやら、月見里も海をはしゃぐタイプではないらしい。彼女ぐらいの歳の子が、満面の笑みをして蠢く波をペチペチと叩いていたのを思い出したが彼女はそうではないのか。確かに水着はないので、泳ぐことはできないが。


「いや、『あれ』がいるかもしれないし……街を探索したほうがいいでしょ?」


 固まるこちらに何かを察したのか、そう諭されて今更ながら気づいた。でも、銃声も鳴らして、あれほど東台の黄色い声が響いていても何も出てこないのだからいないのは明白である。月見里に気遣われるのだろうか。

 そう感じ取りつつも、こちらにとっては海よりも街の方に興味があったので、言葉に甘えることにした。


「ああ、確かにな」

 

 打合せをするわけでもなく、2人もたれ掛かっていたブロック塀から腕を放して、街の方へと向かった。東台の言う通り、自由時間だ。何をしてもいい。時間が経てば、東台は戻ってくるだろう。


 今は、奇妙な空気感に落としどころを見つけたい。再び東台に案内された不思議な街を遡るように入ることにした。

 

 

 東台が山間と言っていたところの看板を背にして歩いてみると、海岸の砂浜一つしかない殺風景なところから、木造家屋が雑多に並べられている過密な風景になってくる。

 先ほど見た場所に戻って一瞬ほっとする。もしかしたら、東台の言っていた場所になっているのかもしれないと不安に思ったからで、それを思いつくにはいささか自分は歳を取りすぎてはいないだろうか。

 

 しかし、それでも信じ込んでしまえたのは、雑多なのに賑やかに思えないぐらいの別の殺風景さがあったからだと思う。並び立つ一つ一つの家から呼吸が聞こえてくるかと思えるくらい綺麗な状態なのに人が一人もいない。それは当たり前の話なのだが、先ほどの東台の言動も重なって、やはりどうして奇妙に思える。


「さっきまで人が居たみたいだな」


「なんか不気味」


 綺麗だと奇妙だといったが、確かに不気味にも思える。それでも進んでいこうと思うのは『あれ』がいるかもしれないという建前ではなく、好奇心のせいだろうか。

 しかし、戻る道を辿ったとて劇的に風景が変わるわけも無く、やはり同じ色味で構成された木造家屋が並び立てられ、それがシャッターかよく見るような茶色のドアで閉じられているかの2種類しかない。地面は一様にアスファルトに塗りつぶされているが、両端にサイズがバラバラな石が組まれてあって決して冷たい印象は受けない。

 

 傍から見ても何か特徴的というか、以前誰かが暮らしていたのだという形跡も分からず、まるでジオラマのようにさえ思える。


ただ、進んでいくと一つだけ様子の違うものがあった、こちらはそこへと吸い込まれるように赴いた。


「…………」

 

 艶やかに光る黒いお椀。そんなものがショーウィンドウに並び立てられているのところがあった。


 砂漠の中に一輪の花を見つけたような気がしてまじまじとそれを見てみるが、予想外なことに内側は真っ赤な色に輝いていて酷く美しい。まるで塗ったばかりのものを干したかのような鮮やかさに視線を吸い込まれた。

 

「気になるの?」


「まあな。下らないが」


 隣に並んだ月見里に元々あるお椀で十分だろと言って見せる。ずっと昔から使ってきた茶碗なので多少凹んだところはあるものの愛着は抜けることはない。そう言ってると一生あれを使っていそうな気もするが、それでもいいだろう。


「そろそろ茶碗変えたいか?」


「今のままでいい」


「そうか、お前のもだいぶボコボコになってなかったか?」


「まだ全然使えるし、手にも馴染んでるから」


 そういって、ショーウィンドウ越しにお椀をなぞる。その手は昔よりも大きい、お椀を持つのに苦労していた手が、いつの間にかすっかりと綺麗な箸使いと共にお椀を持てているのだからすごいものである。


「そうか」

 

 無粋なことを聞いてしまったと、さっさと別のところへ行ってしまおう。そう思い立って、上げた足が重い。

 決して、この茶碗が欲しいわけでもない。しかし、どうして後ろ髪を引っ張られるような思いになるのだろう。


 ここの家屋が一際綺麗だったからか、あの綺麗なお椀の魔性に取りつかれたからか。なんとも奇妙な感情を抱いたが、月見里も例外ではないらしくショーウィンドウの向こう側をじっと見つめているようだった。


「入ってみるか?」


「うん」


 運のいいことに、ショーウィンドウの隣にちょうどドアがある。おそらく、店ではあるので近くにドアがないと不都合なのだと思う。

 ならば、厳重に閉められているのだろうなと思い、ダメもとでドアノブを回してみたが恐ろしくそれは回る。もはや空回りしているかのように思えたが、確かにかちゃりと開く音が聞こえた。

 

「開いた」

 

 胸が躍った。はやる気持ちに子供みたいな声を出して、しかしゆっくりと宝箱を開けるように慎重にドアを開けて、その先へと勇んでみるが結果は一つも変わらない。


 何もない。


 おもちゃ屋みたいに何か賑やかなものでもなく、ボーリング場で見た何か人間臭いものがあるわけでもなく棚一つも無い殺風景な空間が眠っていただけだった。

 シーンと耳鳴りが聞こえるぐらい生活感をゴッソリと抜かれ、ただフローリングが薄っすらと輝く立方体の空間だけがあるだけ。ショーウィンドウにある数個のお椀は一体なんだったのか。

 

 どうしてか、酷くがっかりしてしまった。その光景に。全身の力が抜けてしまったのかと思えるほどに。


 ああ、やっぱりそうなのだ。ここも他と変わらないバス数両程度で詰め込められるぐらいのものが脱ぎ捨てた抜け殻であるのだと、思い知らされた。


「なにもないね」


「ああ……やっぱりだな」


 月見里の声さえ虚しく響く。音や一つ二つ反響してしまうぐらいには広い空間である。今の自分にとっては、嘲笑われているように聞こえた。



 その音はやがて足音になり、それに気づいて振り向くと月見里がお椀を両手で掴んでまじまじと見つめているのを見つけた。


「これ貰っといていい?」


「今の茶碗はもういいのか?」


「それもいるけど。予備として持っておきたい」


「……、観賞用か。それなら、保存用もいるだろうな。もう一つ貰っといてくれ」


「分かった」


 そういって、月見里にもう一つお椀を取りに行かせる。それを取ってしまえばもうショーウィンドウには一つポツリとしか残らない。

 まあいい、殺風景な空間にはこれがお似合いだろう。ざまあみろ。最後の情けに、遊園地のチケットを2枚分置いておいた。

 昔はこれよりもずっと価値があったに違いない。だが、今となっては、紙切れに高いも安いもあるわけがない。

 払い終えて、背中にいた月見里は神妙そうな顔つきでお椀を眺めていた。


「落とすなよ」


「うん」 


 ここはもうもぬけの殻だ。軽くなったドアを開けて、お椀を両腕に抱える月見里を外へと誘導して、外へと出た。

 辺りを見回しても、やはり無味乾燥の木造家屋が広がっている。少なくとも、『あれ』がいないということだけは理解できたバカ一人がいる。

 

「他も回ってみる?」


「いや、いい。どうせ、どこも同じだ。どうせ」


 どこも空っぽだ。言いかけて虚しくなったので、言葉を飲み込んだ。代わりにため息を吐いた。


 もし、東台の言っていた駄菓子屋も広場もどうせ行けたとしても、今のように冷えた肺を温めるぐらいのため息一つしか出ないのだろう。


「……海にいかない?」


「そうだな。そうするか」


 月見里の提案に、こちらは頷いた。今は凹凸のない平面の何かを見たい気分だ。

 彼女は手に入れたお椀を手際よく自分のリュックサックの中に入れ、もういいよと淡白な号令と共に海へと向かう。


 自分の期待が街の奥の奥へと入らせたせいで、海の姿は建造物に遮られていた。

 

 教科書の隅っこで見た日本家屋。誰かを歓迎する崩れかけの電光看板。誰かを引き付けていた褪せたポスター。何も入っていないショーウィンドウ。濁った白紙が入っている屋外掲示板。エトセトラエトセトラエトセトラ。


 一体。何に期待していたというのだろう。ここはもう東台一人のみが街の外観が漂わせる温かい何かを感じ取ることが出来ないのだ。


 海へと行けると期待しているふりをして、横目に引っ付くものを早々に通り過ぎ、通り過ぎ。


 ようやく、ブロック塀と共に海が見える。


 それにもたれ掛かる暇もなく、ブロック塀の端にある階段を下りた。


 砂浜に足元を掴まれて覚束ない足取りに、薄い貝殻一つに身を崩しそうになって、ようやく目の前に平面の海を見据えることが出来た。


 広く広くどこかでも続く平面。確かにこれを大海原というのも頷ける。しかし、晴れやかな気持ちには一つもならなかった。


「何もないな」


 無限に続くのかと思えたそれも、ずっと遠くを見据えてみればどこからどう見ても同じ高さにずっと閉じられているだけで、その先からは青々とした空に伸びていくだけで何も見えてこない。これが水平線だとか言われる所以だったのか、なんだこれは。


「ここで行き止まりだって言われてるみたいでムカつく」


 月見里のつぶやきに、その通りだと思った。

 なんで、俺はあの時に気付けなかったのだろう。肌と毛の色しか見えない芋洗い状態の中、そんなことも気付けるはずも無いか。また、胸が空っぽになる嫌な気分になった。

 波だけがざわざわと煽ってくるだけで、思ったほどに広々ともしていない。それが無性に腹が立った。

 

「くそったれー!」


 自分の腹から勝手に出てきたのかと思って慌てて口を塞ごうとしたが、月見里が叫んでいた。


「どうした急に?」

 

「……水平線に叫んだら、木霊が返ってくると思って」


 確かにと膝を打った。空が壁のように遮っているのだから、声の一つや二つあげたら返事は返ってくるだろう。罵詈雑言を叫ぶのは山には本当に山彦があるのかと試してみた時からの伝統である。

いくらか叫んだはずなのにうんともすんとも返さなかったので、ムキになって暴言を吐いたら何倍もの数で帰ってきたという成功体験に裏付けされているのだが、残念ながら返事は波にかき消されて聞こえてこない。

 

「バカヤロウ!」


 こちらも叫んだ。いや、叫びたかったから、叫んだ。それでも、向こうの壁は遠く反響するはずのものは波の音にかきけされた。


 まけじと叫んでいる。もっとキツイ暴言が必要だ。月見里も叫ぶ。


「島沈めすぎ!図体デカいだけで中身空っぽ!」


「平面すぎるぞ!山みたいにもっとボコっとしろ!」


「塩分多すぎ!もっと体に気を使え!」


「そうだ!山の方がお前より青々しいからな!」


「海流蛇行してるくせに、なにこれ波多すぎでしょ!早漏野郎!」


「てめえ、でかい顔してるけど、空の方がずっとデカいからな!」


 自分で言ってて何を言っているのかよくわからなくなったが、どうしてこれほどまでに気持ちいいのだろう。

 しかし、語彙力のない自分では、悪口のレパートリーなんてすぐ枯渇してしまい、定番のものを海に浴びせかけるしかなくなった。

 そのおかげか、ポンポンと悪口を出せるようになったが、一向に跳ね返る気配はない。もうここまで来たら何かが返ってくるまで暴言を飲み込むわけにもいかず、ムキになって月見里と共に声を張り上げる。


「「バカ!」」


「「アホ!」」


「「マヌケ!」」

 

 そして、ついに返ってくる。


 

「うわっ」


 言葉ではなく、乱暴な水音と共に大きな波で返ってきた。海というのは言葉よりも感情の方が先に動くらしい。 


 おかげで、膝から下がびしょ濡れになって、靴にもじゃりじゃりとした水が入り込んでいる。気分もダだ下がり、月見里も残念ながら被害を被ったらしい。ズボンが肌に引っ付く感触に不快な表情を浮かべている。



「少なくとも、何かは返ってはきたな」


「だね」


 こちらの声色と同じく、月見里はすっきりしたような顔で返す。


 それでも、胸に溜まっていたものはいつの間にか消え失せていた。



「とりあえず、乾かすか」


「え?ここで脱ぐの?」


「いや、普通に何かしていたら、自然と乾くだろう」


 運がいいことに、まだ服を乾かすには十分なくらい太陽は上をあがっている。おそらく、正午ぐらいだろうが、昼飯を食べないのもそう珍しいことでもないので、そのまま定番らしい砂遊びをしてみるか。


「東台はどうする?」

 

「ここで待ってたら、まあ、帰ってくるんじゃないか」


「それもそうだね」


 東台のことは心配だが結構広い街並みだ、いろいろと回るにはまだまだ十分な時間は経ってない。念のため、自分の荷物を階段手前のブロック塀に置いてみた。


 何度も見ているはずだし、それに別れたところのすぐ近くにいるから、ここで待っておけば帰ってくるだろう。

 バイクの方に帰っているかもしれないが、その時は戻ればいいだけの話だ。これだけ街を散策して、これだけ馬鹿みたいに叫んでもさざ波ぐらいしか聞こえてこないのだから。

 

「砂と油どっちがいい?」


「あんまり動かない方。なにするの?」


「いや、油売るか、砂遊びするかって聞こうと思ってな。手は動かすが、砂で山か城でも作ってみるか」


「うん、足を動かさないなら何でもいい」


 薄っすらと笑う月見里の表情と共に、こちらは座り込んで砂を手につかんでみた。湿っぽくてザラザラとした感触が掌に収まるが、そのまま体重をかけてみると嘘のように手が沈み込んでいく。結構、きめ細かくて、手触りもなかなかに悪くない。

 月見里も神妙な顔をしていたが、手触りにご満悦のようだ。

 砂遊びといっても人を埋めたり貝を獲ったりというのもあるらしいが、人を待つ分にはこれで十分だろう。


 しかし、最初から城とはいかない。月見里と共に、お椀のような山を作り、トンネルを穿ち、その発展を祝してようやく城が打ち立てられた。

 そうはいっても、これは城なのかという哲学から始めないといけない出来になり、月見里から自然そのままで強そうというお墨付きさえもらった。

 だが、何回かやっていたら多少はコツを掴んでくるものでそれらしいものが作れてしまうものである。少なくとも自分の手からは山ではない何かができてくるが、月見里の方が発展目覚ましい。すでに彼女はビーチの奥の方にあるベンチから赤いバケツを手に入れた途端、こちらが一個城っぽいものを作る毎にバケツ型の2階建ての城を何個も作っていく様に産業革命の妙を見たような気がした。


 月見里の城にこちらの城が囲まれ、これは城というよりビルだろうと笑いあっていると、そのころにはもうあたりに夕方の空気がまとっていた。



 東台は帰ってこなかった。

 


 

 


 


 

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